<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

唐人の寝言は誰にも理解が出来ない

2018年05月03日 14時37分15秒 | Weblog

「唐人の寝言を言うな」とよく言われた。小さい頃も。唐人の寝言は誰にも理解できない。だから、そういう。でも、唐人には理解が可能かもしれない。

僕はこの種類の寝言をよく言っているらしい。いまも、この習性は潰えていないらしい。一人の世界に入りたがる。

どうも他者との交易交流を苦手とする。交易をするのに努めていた時期もあっただろうが、結局はそれで得る者が少なかったのだろう。

それで、それをすることを無駄だとしてしまったのだろう。まだ寝言を言って暮らしている。僕の書く詩はこの寝言のようだ。

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風が書く詩、それを聞く耳をわたしが広げていたらいいのだ

2018年05月03日 14時29分12秒 | Weblog

風が書く詩を聞く耳を、わたしが持っていたらいいのだ。空が書く詩を聞く耳を、わたしが持っていたらいいのだ。耳で聴いたのを言葉に直す翻訳装置が頭脳の何処かに据えられていたらいいのだ。どんどん聞こえて来たら、もう独りぼっちがさみしいなんか言わないでいられるだろう。どんどん聞こえて来たら、始終にこにこをしていて飽きないだろう。他のことに手を染めるいとまもなくなるだろう。風が美しく書いた詩を、こっちで美しく聞いているだけでよくなるだろう。そういう風の詩というのが、いつもどこにも流れているのかもしれない。

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風に聞いてもらう詩が書けたらいいだろうなあ

2018年05月03日 14時14分44秒 | Weblog

小鳥が聞いてくれるような詩を書きたい。どんな詩を書けばいいのだろう。小鳥は、啄むおいしい餌以外は、見向きもしないかもしれない。おそらく詩なんか聞いてくれないだろう。第一、詩の言葉は人間のことば。理解しないだろう。音楽だったらいいかもしれない。彼らも歌っているから音楽だったら嗜むだろう。じゃ、音楽で詩を書けばいいということか。音楽になにかの意味を載せることは可能か。可能だろうが、わたしには無理かも知れない。やっぱりにんげんに聞いてもらうのと同じ詩しか書けないだろう。以心伝心という策がある。それを直感で理解し合うしかあるまい。神さまと人間との間にもやはりこれと同じ外堀内堀があるけれど、そこを乗り越えているではないか。相互乗り入れをしているではないか。だったら、小鳥と人間との間にも相互乗り入れが出来るかもしれない。小鳥とだけではなくて、虫や魚や獣たちともそれが可能かもしれない。風や山や木や草とも、石や砂や川や空とも気心を通い合わせることが出来るかもしれない。そういうフィールドが出来上がっていることもないとはいえない。風に聞いてもらう詩が書けたらいいだろうなあ。空に聞いてもらう詩が書けたらいいだろうなあ。イメージを膨らませてみる。

 

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一度にたくさんは読み難いので小まめに分けて投稿しています

2018年05月03日 10時33分39秒 | Weblog

このブログ「おでいげにおいでおいで」は一度にどさっと書くと読みづらいので、小まめに分けて投稿しています。

読んで下さる方があります。有り難いことです。ほぼ決まって10人程度です。それを超えることは数少ないです。

一度に100人が読みに来て下さるようになるのはいつの日でしょう。そういう記事が書けるのはいつの日になるでしょう。

写真を貼り付けたら読みやすくなるのかなあと思いますが、写真の技術がありません。時代遅れな老爺です。困ったものです。

文章の魅力、題材の魅力、面白さの魅力などがあれば、その穴埋めが出来るのでしょうが、それもかないません。わたしの文章は硬いです。柔軟さに欠けています。

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有明海の魚、エツの料理が食べられる季節を迎えています

2018年05月03日 10時23分46秒 | Weblog

エツ漁が解禁になりました。新聞にそうありました。有明海の魚です。柳の葉っぱに似ています。ほっそりしています。この時季に築後川へ上がって来ます。船を浮かべて、船の上で釣り上げて刺身にして胃の腑に収める遊びが出来るようです。小骨だらけの魚ですから、ちょっと食べづらいです。フライにして食べるとおいしいです。弟が好きでしたから,この季節になると、「おおい兄貴、食べに行こうじゃないか」と誘って来ていたものです。早死にをしたのでもう弟といっしょに食べに行くこともありません。筑後川沿いの大川、柳川、諸富あたりにエツ料理専門の割烹が並んでいます。こちらでしか食べられない珍しい魚です。

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わたしはいかにも小さき者 小さく生きています

2018年05月03日 10時14分12秒 | Weblog

10時を過ぎました。行動を起こせという声が聞こえて来そうです。これだけいい天気なんだぞ。家の中にじっとしている手はないだろう。さあ、さあさあと煽り立てられます。さわさわさわと風が蕗の葉のスカートめくりをしています。

でも、何をしていいのか分かりません。何処へ行っていいのか分かりません。逡巡しています。家の者はそれぞれに行くところが定まっているようです。出掛けて行ってしまいました。わたしはいかにも<小さき者>。小さく生きています。

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純白のオオヤマレンゲが咲き出しました きれいです

2018年05月03日 10時05分30秒 | Weblog

庭先にオオヤマレンゲが咲き出して来ました。きれいな純白です。色と匂いは泰山朴の花に似ています。でも、今年は花ぶりがいかにも小さいです。高山植物ですから、高山に咲いているのよりは、ずいぶん小さいです。レンゲというからは蓮華で、池に作「蓮の花瓣」を彷彿とさせます。木の高さはやっと一階の庇に届くくらいです。これは数年前に山好きな友人から頂いたものです。実から育てられたのでしょう。やさしい友人を思い起こさせます。

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お日様がにこにこ顔をしています あなたもどうぞと誘います ラスト

2018年05月03日 09時50分29秒 | Weblog

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お日様がにこにこ顔をしています。

「わたしが此処にこうしてにこにこ顔をしているということが、なによりの証です」「あなたがにこにこ顔をしていていいという証です」と誘いかけてきます。

わたしも上唇を上に上げて細い目になってにこにこ顔をします。

これでこのシリーズを終わります。

しばらくにこにこしていただけましたか? 

「おれはお日様のにこにこ顔ぐらいでは、にこにこしないぞ」という方もおいでになるでしょう、きっと。

この宇宙はバラエテイに富んだところですから、そういう選択肢も素晴らしく見えます。

 

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お日様がにこにこ顔をしています あなたもどうぞと誘います その11

2018年05月03日 09時46分15秒 | Weblog

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でもやがてわたしは生きていられなくなります。わたしもまた通り過ぎて行く風です。

通り過ぎて行きます。何事もなかったかのように。

通り過ぎるということは? 次の地点が呼んでいるということです。風は誘われて行くのです。流れ込んでいくのです。

でもその時はその時。その次のフィールドで、今度はまた新しく存分に楽しめるでしょう。いまはその時を楽しんで待っていたらいいのですね。

 

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お日様がにこにこ顔をしています あなたもどうぞと誘います その10

2018年05月03日 09時36分50秒 | Weblog

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お日様がにこにこ顔をしています。あなたもどうと誘いかけてきます。

「どう? 楽しんでる?」「此処に居て生きていることをあなたは楽しんでいる?」と尋ねます。

わたしは首を横に振らないで、縦に振って頷きます。肯くに足る条件は皆揃っているのです。頷かない手はありません。

 

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