<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

愉快な宇宙になってみる いい気なもんだ

2018年05月16日 23時28分52秒 | Weblog

夜中の11時半。暑い。真夏の下着だけなのに。といってまだエアコンはつけたくない。お腹が弱いので、冷えないようにバスタオルを載せている。

おんあぼきゃべいろしゃのうまかぼだらまにはんどまじんばらはらばりたやふーん

寝付けないので、戯れに、光明真言を称えてみる。部屋に一人で寝ているので。邪魔にはならない。瞬間、永遠を生きてみる。永遠を生きる仏になったつもりになってみる。清々しくなってみる。広々となってみる。愉快な宇宙になってみる。いい気なもんだ。

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桑の実のドライフルーツ作りに挑戦している

2018年05月16日 23時08分03秒 | Weblog

桑の実のドライフルーツに挑戦している。熟した桑の実は濃い青紫色。昨日の夕暮れは風が強かった。熟れた桑の実が揺さぶられて地上に落下した。何しろ柿の木と同じ背丈をしている。実は枝にたわわに実っている。これを何度も拾った。指先が青紫色に染まった。洗って洗って洗った。ヨモギやカンコロ干し大根を干す大きな竹籠がいっぱいになった。下に油取りナプキンを敷いた。白いナプキンが青紫色に変色した。何日間かかるのだろう。日差しは強い。案外早くカラカラに乾くのかもしれない。珍しいから人様にも味わってもらいたいものだが、食べたら口の中がたちまちに染まる。

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日が暮れてしまうまで畑にいました いたいからいました

2018年05月16日 20時22分45秒 | Weblog

日が暮れてしまうまで畑にいました。いたいからいました。座椅子に腰掛けて、とろんたらん土いじりをしていました。ここにいるといい気持ちです。子どもたちの砂遊びに同じです。ムラサキ薩摩芋の苗を畝に挿していました。

日が暮れて戻ってきました。汗びっしょりです。背中が濡れています。先ずはシャワーを浴びました。すっきりして夕ご飯を食べました。酒の肴を相手に缶ビールを二缶飲みました。ご飯は食べません。ピーマンの肉詰めがおいしかった。

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蓬団子を作って持参するよ とのご好意 ラスト

2018年05月16日 14時50分55秒 | Weblog

たくさんいた従姉妹も少なくなった。みな高齢になった。残っているのが僅かになった。父は6人の兄弟姉妹がいた。父が下から2番目で。男性は父だけだった。父方の従姉妹はわたしを含めて4人となった。彼女は隣町に一人で住んでいる。

積もる話が山ほどもあるだろう。近くなのに1年に2~3回しか来ない。

従姉妹が来てくれたら何か差し上げるものはないか。不断草だったらたくさんある。トマトと茄子と向日葵と百日草の苗はあげられるだろう。どれも芽が出ている。

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蓬団子を作って持参するよ とのご好意 その3

2018年05月16日 14時49分00秒 | Weblog

そう考えていたら,一人暮らしをしている従姉妹から電話があって、「明日空いてる?」とのこと。「なんにもすることはないよ」と答えてしまった。「蓬団子を作って持参するよ」というご好意。撥ねることはないよね。毎年この従姉妹はこうしてくれるので、待っているということもある。それにうまい。

 

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蓬団子を作って持参するよ とのご好意 その2

2018年05月16日 14時46分45秒 | Weblog

雨の気配は消えた。よく晴れている。明日はどうだろう。雨が降らないのなら、魚釣りに行ってみたい。釣れても釣れなくてもいい。静かにのほほんと釣り糸を垂れていたくなった。ど素人だけど。

 

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蓬団子を作って持参するよ とのご好意 その1

2018年05月16日 14時27分04秒 | Weblog

素麺の乾麺を半分だけ茹でて洗って水に浸して冷たくして啜ってお昼とした。この単品のみで。素麺には鰹節のタレが合う。これにチューブのワサビを加える。おいしかった。一人だと簡単ですむ。

 

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フィクションをよく書く 事実であるかのようにして その4

2018年05月16日 14時24分55秒 | Weblog

夢の中でよかったと安堵することもあるが、夢の中で快感を味わって現実のストレスを回避している場合もある。

一人の思惟の内なる宇宙を、楽しいフィクションに満たしておくのは、案外に楽な生き方なのかもしれない。

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フィクションをよく書く 事実であるかのようにして その3

2018年05月16日 14時17分28秒 | Weblog

われわれはしかし、どうだろう。ほんとうに<事実>を生きているのだろうか。それとも<フィクション>を生きているのだろうか。

此処は仮の宿でもある。真実にはほど遠い<虚仮不実>を生きている。虚構を虚構とするのが辛いので、敢えてこれが事実だ、真実だというように言い含ませていることもある。

この世は<夢のまた夢>である。胡蝶を夢見ている男は、胡蝶に夢見られている男でもある。

 

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フィクションをよく書く 事実であるかのようにして その2

2018年05月16日 14時10分59秒 | Weblog

あの方はいないのに、いるようにして書く。するとそこに暗示が起こる。そしていつのかには、それが、つまりフィクションが事実のように自分にも思えて来る。わたしを思ってくれるあの方が其処にいてくれるように、思えて来る。錯誤だが、それを含めると楽しくなる。わたしを思っていてくれる人がいないとするよりも、いてくれるとする方が、歩いて行く視界を明るくさせてくれる。

虚構の画中のあの方に涼しい帽子を被らせる。新緑色のスカートを履かせる。まあ、こどもの時分のお人形さん遊びに等しい。画家はそういう楽しみを楽しんでいるのではないか。理想を描き出そうとする宗教家も、詩人も、五十歩百歩なのかもしれない。

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