<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

畑仕事が楽しくて楽しくて

2018年05月25日 20時55分09秒 | Weblog

畑仕事が楽しくて楽しくて。7時37分だった、畑から戻って来たのは。日没でもう薄暗くて、手元足下もはっきり見えなくなっていた。楽しい畑仕事は疲れない。

もっともっとと畑にいたいと思う。畑にいるとあれこれとするべきことが見つかる。それを追っかけ回る。東西南北ぐるぐる回っている。その度事に腰掛けを移動させて。

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ビーナスが今し夏風の中に颯爽と躍り出て来た

2018年05月25日 15時18分51秒 | Weblog

夏風にきみあざやかに生まれたり 生ましめし者の眸(ひとみ)のエーゲ海にて   薬王華蔵

ビーナスは何処の海で生まれたのだっけ? ま、エーゲ海にしておく。美女は何処ででも生まれる。生ましめる者が現れたら何処にでも美しく生まれ得る。そういうものなのだ。生ましめるのはお産婆さん、産科の医者でもない、美しいと誉め讃えて傅(かしづ)いてくれる人、奉仕してくれる者がいれば、容易に誕生を果たす。その人の眸のエーゲ海で。

ビーナスがいまし夏風の中に颯爽と躍り出た。あざやかな出現だった。それがあなただ。あなたを収めたわたしの眸がエーゲ海の朝日になって輝いた。

 

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偏屈を貫く老いのしあわせの小箱が開く

2018年05月25日 15時06分56秒 | Weblog

偏屈を貫く老のしあわせの小箱が開く なんと不気味な    薬王華蔵

わたしの性格は偏屈している。頑固頑迷に徹していて、小さく縮こまっている。それがよく分かる。それを翻すようにしてときどき反乱を起こす。すぐに終熄させるけどね。この老人は幼子のように幸せの小箱なるものを隠し持っている。それを開いてにんまりして過ごす。あるときその現場を見られてしまった。その人はたった一言の感慨を洩らした。「なんと不気味な!」と。不気味なもの、彼の幸せと名付けるものが、毛虫のように蠢いていたのである。

ユーモラスに作ったつもりだったがこれもまた受け入れては貰えなかった。失敗作として小箱の中に顰めさせられることになった。

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たんぽぽとライオンは近い親類筋

2018年05月25日 14時54分46秒 | Weblog

ライオンの歯を持つ草のギザギザのさびしや鼻緒の細い指噛む      薬王華蔵

ライオンの歯に似た葉っぱを持つ野の草はたんぽぽ。たんぽぽとライオン近い親類なのかもしれない。ライオンの歯だから当然ぎざぎざしている。百獣の王でも、ときには寂しいのだろう、通りかかった鼻緒の、細い白い指を噛んで、引き止めてしまった。

誰かさんのようだ。

これも新聞の読者文芸欄に落選した作品。中々取り上げては貰えない。

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風が渡って行く 遠くから来てまた遠くを目指して その4

2018年05月25日 14時42分59秒 | Weblog

風は力強い。海へ出て海を動かす。波が立つ。波は遠くへ伝わって行く。砂浜へ打ち寄せる。風は遠くと近くをうまく使い分ける。遠くへ漕ぎだしていって、それから近くに留まってみる。

風が渡って行く。風の遊びの気流に乗って、渡り鳥たちが雪を被ったヒマラヤ山脈を越えていく。一列になって。今日は風が、わたしを渡って行った。わたしの耳へ来て、ちょっと話しかけ語りかけ、そしてわたしの肩から静かに去って行った。

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風が渡って行く 遠くから来てまた遠くを目指して その3

2018年05月25日 14時39分14秒 | Weblog

ときには分裂を起こして、100くらいか、1000くらい、もっと小さく10000くらいかに分かれることもある。気分次第で、大きな図体になったり小さな図体になったりも出来る。でも、トータルすれば一に戻る。

風が渡って行く。夏は暑いが、夏風は涼しい。ときには大空へ舞い上がって白い雲を吹いて、動かしている。押された雲がブランコをして遊ぶ。それを風がお母さんになってじっと見ている。

 

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風が渡って行く 遠くから来てまた遠くを目指して その2

2018年05月25日 14時36分25秒 | Weblog

木の葉が揺れながら、さよならさよならさよならを言う。でも追い掛けない。行くに任せるしかない。風が匂う。通り過ぎたところにあるいろいろな匂いを連れて、風はきままな旅をする。

風は自分の体の大きさを知らない。地球上の風はたった一個のボデイー。区切りがない。境目がない。でもきっと何処かが手、何処かが目、何処かが足、何処かがハート。

 

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風が渡って行く 遠くから来てまた遠くを目指して その1

2018年05月25日 14時12分58秒 | Weblog

風が渡って行く。だから、渡り鳥に似ている。遠くから来て、そして遠くへ行ってしまう。あっさりしている。べとつかない。当て所(ど)がない。

渡って行くのは新緑の下影。みな途中経過地点だ。目標地点ではない。行けども行けどもそこも途中経過地点。渡って行ったらそこで縁が切れる。

 

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農村に麦刈りの季節が来ている その3

2018年05月25日 14時09分55秒 | Weblog

残っているのは高齢者ばかりだ。その高齢者ももはや畑に出て重労働をするだけの元気は失せている。若い者は農業を継がない。疾うに見限ってしまって,他所へ出ている。

国の農業政策はどうなっているのだろう。不安が募る。この現場を眺め渡して、それで満足しているのは誰なんだろう?

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農村に麦刈りの季節が来ている その2

2018年05月25日 14時03分27秒 | Weblog

ここは農村なのに、麦刈りの季節になっても、農家の人が作業をすることはない。請負の農協さんが一台の大型機械を動かしているきりだ。とても農繁期には見えない。日本の農村はいったいこれからどうなっていくのだろう。日本人の食べる食糧に誰が責任を取っていくのだろう。

田圃や畑には麦や米を作ってもらうのだが,聞いてみると、耕作料が手に入るわけでもないらしい。では、農家の方は何を収入にして生活しておられるのだろう。

 

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