<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

今夜の我が家は湯豆腐らしい。

2023年12月21日 15時50分25秒 | Weblog

今日は雪ばっかり見ている。いまも降っている。ふわりふわりしている。夢遊病者のようだ。夜明け、瓦屋根に降り積もっていた雪がしだいに解けて、その後は、どんなに降っても、もう降り積もらない。

コタツから出ている手の指が冷たい。でも、部屋の暖房はオフにしている。働いていないから、なんだか悪いような気がして。雪降る中ででも働いている人(先日高串の港まで行くとき帰るときに見た)に悪いような気が、ちょっとして。

温かい九州でこれだから、日本海沿岸の北陸・東北地方は凄いだろうな。海も山も、風景画見えないように吹雪いているだろうな。

いま午後4時。このままずっと雪降りなのかな。天気予報では明日がもっと寒くなるらしい。

今夜は我が家は湯豆腐らしい。春菊、白葱をたっぷりいれてもらうとしよう。

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ドラマの内容が悲しいよ。

2023年12月21日 14時16分54秒 | Weblog

隣家の瓦屋根に降り積もっていた雪が解けた。濡れたようにもしていない。乾いたのかな? 粉雪はまだ降り続いている、風に吹かれている。もうすぐ午後2時半。僕は午前中に銀行に行って用を済ませてきた。お昼はビーフンだった。それと古高菜入り炒めご飯を少しだけ。どちらもおいしく頂いた。

今? いまはテレビ映画を見ているところ。外国映画の名画を。途中からだけど。時間が有り余ってて。でも、ドラマチックだけど、内容が悲しいよ。

雪が浮かれ浮かれしている。ふんわりふわりしている。風がしばらく途絶えていたかとおもうとまた強くなる。するとふんわりが終わる。

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汀女にはこどもの句が多い。

2023年12月21日 10時19分18秒 | Weblog

降っていた綿雪が止んでいる。といっても、粉雪は粉になって落ちているけど。

咳の子のなぞなぞあそびきりもなや

中村汀女

汀女にはこどもの句が多い。我が子なんだろう、咳をしているのは。咳がついて止まらないでいる。お布団に入って寝ていればいいものを、起きて来て、なぞなぞをねだる。ねだられるままにしている。そろそろ飽いてもよさそうだが、そうならない。

こうやって親子で愛情の確認作業をしている。愛情確認遊びは、夜が更けてもおさまらない。外は、雪がいっそう深くなったようだ。卵酒を作っているそのそばから、また「お母さん、じゃこれは?」と聞いて来る。

この句は分かりやすい。理解がしやすい。風景が見える。そしてそこに情愛が霧のように流れている。

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老齢をいとしむ。

2023年12月21日 09時57分09秒 | Weblog

することがない。雪が舞っている。

誰もわたしがここにいることに気付かない。一人で居るしかない。

ほうほうと揚がる薬缶の蒸気にようにして、瞬間瞬間に消えている。

齢だけはとどまらない。日一日老いて行くが、それを拒む手段はない。というのに、今日することもない。

春暁や今はよはひをいとほしみ

中村汀女(1900~1988)高浜虚子の門人。

眠い目をこすりこすり起きて来たら、春の光が窓際いっぱいに溢れていた。苦しみ悲しみばかりの一生を過ごした来たというのに、ほっかり今ここの時間と空間が明るくなっている。映画館の古い映画のように、瞬間ストップしている。

「案外、いい一生を送ってきたんじゃないか、自分は」などとも思えるようになって居る。老齢がそうさせているかもしれない。皺皺の手を擦ってみる。皺すらも愛しめるようになって居る。

俳人中村汀女は時間を肯定している。老齢を迎えているのに、それでほんのり杏の花のようにしている。わたしとは天地の開きだ。

 

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しんしんと雪が降る冬の寒さもたのしくできる

2023年12月21日 09時14分34秒 | Weblog

しんしんと寒さがたのし歩み行く

星野立子(1903~1984)

「しんしんと」はどうも「雪が降る」に掛かる副詞のように、僕には思えるが、どうだろう。この句は、雪の降りしきる日ではないのか? 寒さが募って行く。それが「たのし」いのであれば、そこにそういう事態が想起されているのだろう。じっとしていられないで、寒い雪の舞う中、それを求めて歩みを進めた行った作者。子供は雪の子、だったから、まだお若い頃の作品なんだろうか? それとも雪を楽しむ子供になりたくて、雪の中を歩んでみたのだろうか?

こどもじゃないのなら、そういうしんしんと寒さが募る日にきっとなにかわくわくするのものが用意されていたのかもしれない。たとえば、遠く離れた仕事場から久方ぶりに、愛する人が帰ってくるように。

いやいや、「しんしんと募る冬の寒さ」を拒否せずに、むしろ進んで楽しくできるのが俳人なんだろう。あやかりたいものだ。

星野立子は高浜虚子の次女。東京都の生まれ。初の女性主催俳句誌「玉藻」を創刊した。昭和初期に活躍した俳人の中村汀女・橋本多佳子・三橋鷹女とともに四Tと称された。

 

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白銀の雪が、2倍嬉しい。

2023年12月21日 08時52分14秒 | Weblog

ぬ、ぬ、ぬぬ。冬らしさが増して来たぞ。綿雪舞い仕切る。天上の幸福を雪にして届けてくれるやさしさ。配慮のやさしさ。そういう設定にして見ると、白銀の雪が2倍嬉しい。

今日は12月21日、木曜日。いよいよ残るは10日だ。師走のラストを飾る日々を、お爺さんはどうやって暮らそうか。

お爺さんは、雪降りしきる外には出ないで、猫のようにコタツに入ってまるくなっている。暖房もオンにしている。首には風呂用のタオルも巻き付けている。もちろん軍手の手袋も。

わくわくしていたい。できれば、与えられているいのちのためにも、わくわくしていたい。嬉しくて小躍りするようでありたい。お爺さんをそうさせるものが、あるか? 

ない。ないなあ。手をこまねいていないで、積極果敢にこちらの方から求めていってもいいのではないか。とも、思うが、その積極果敢はもはや衰え果てているようだ。

そこへまた雪が舞う。雪が舞う。衰亡のお爺さんをあやすように、雪が舞う。泣きじゃくる赤ん坊をお母さんが抱きしめて、あやしてくれるように、ゆうらゆうら雪が舞う。

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瓦が隠れてしまうくらいの積雪。でも、ふふっと嬉しい。

2023年12月21日 08時00分40秒 | Weblog

雪。白雪。積雪。隣家の屋根に積もっている。瓦を隠すくらいに。畑の白菜にも大根葉にも、ブロッコリーの葉っぱにも、積雪。

空には粉雪が時折かすかに舞っている。地上に届く前に消えてしまいそうなくらいの。

寒いけれど、なんだかこどもになる。はしゃぐ。嬉しがる。風景画新しくなっている。きらきら輝いている。嫁入り姿をした美しい雪女に出会えたらいいな。

まだ降るのかなあ? 今日は用事があって町まで出掛けて行くんだけどなあ。これくらいなら、車の運転が出来ないことはあるまい。

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