<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

いずれ、わたしが、読みに来るだろう、この誰も読まないブログを。

2023年12月17日 20時17分23秒 | Weblog

わたしの書くブログには、読者がいない。ほとんどほとんど、いない。

ま、いいか、それでも。

いずれ、わたしが読みに来るだろう。この世に生きていた頃のことがなつかしくなって、読みに来るだろう。

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脊椎カリエスを病んでいるこの若い男は、

2023年12月17日 20時08分33秒 | Weblog

脊椎カリエスを病んでいるこの若い男は、病床を離れられない。

昨夕から雪になった。夜も降り続いた。朝になった。障子戸を開けてもらった。果たして雪は堆く積もっていた。男は看病をしてくれている妹に何度も何度も雪の深さを尋ねた。尋ねても尋ねても雪の深さを、この手にじかに知りたい欲望に駆られた。妹が味噌汁の椀に、ふんわりの綿雪を山盛りにして運んで来た。

いくたびも雪の深さを尋ねけり

正岡子規

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人の鼻の中は、雨に濡れないように造られている。

2023年12月17日 19時48分31秒 | Weblog

生憎の雨。それも土砂降りになった。源左は、田圃に出ている。自分の田圃の草刈りが済んだら、隣の人の家の田圃に移って草取りをする。自分と他人との見境がない。

「さあ、これで源左のヤツ、今日こそはぶうぶう文句の一つ二つ鳴らして帰って来るぞ」と村人たちが興味津々で待っているところに、源左が帰って来た。びしょぬれである。着ているものは泥だらけである。

彼は妙好人である。不幸を不幸としない。そういうところがある。おもしろくない。不平をもらさない。悪口を言わない。人間らしくない。おもしろくない。まわりの人はそう思っている。一泡吹かせてやりたいと思っている。

人間にはうわべがあるが、うわべを剥ぎ取れば地が出る。やつの泣き顔が見たい。回りはそう思って見ている。

田圃から帰ってきた源左は雨に濡れて疲れて帰って来ているのに、泥を吐かない。「えらい雨降りじゃった。降れば降るほど、じゃが、嬉しくなってきたんじゃ」「ほう。それはどうしてだ?」みんなが囃す。「雨に濡れんところがあったんじゃ、鼻の穴じゃ。鼻の穴は下から上に穴が空いておった。それで、雨が降り込めなかったんじゃ」と。

源左はどこまでも飄々としたところがあった。彼はしかし、不幸を重ねた。いやというほどに不幸を重ねた。試練を与えているというふうに、まわりからは見えたが、しかし、彼の人生大肯定は揺るがなかった。

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なんでもかんでも、阿弥陀仏からのご褒美である。

2023年12月17日 19時16分29秒 | Weblog

先日の旅、山陰日本海の旅で、島根県温泉津(ゆのつ)温泉を訪ねて共同浴場に入りました。ここの湯が好きで、もう何度も来ています。その共同浴場の駐車場の所に、妙好人浅原才一(さいち)の座像がありました。才一は下駄職人でした。いまも町中に、才一の下駄職の実家が残されています。下駄を作る鉋(かんな)が引いた薄い木材木っ端に、彼は溢れ出る彼の宗教詩を書き込みました。みな平仮名書きです。妙好人とは、ひたすら感謝念仏に明け暮れた人のことを指します。

かぜをひけば、せきがでる。さいちが、ごほうぎ(ご褒美)のかぜをひいた。ねんぶつのせきがでる、でる。なむあみだぶつ。

冬になって寒くなって来れば、風邪を引きます。それを妙好人の彼は、阿弥陀仏からのご褒美と受け取ってしまいます。苦しいはずのゴホンゴホンの咳が出るたんびに、南無阿弥陀仏の短い念仏が飛び出します。短く強く。何度も何度も。そしてそこに追い込まれている自分を有り難がります。そんなところにも、阿弥陀仏と自分との接点を感じ取って、お慈悲を感じて、感極まるのです。

妙好人はなんでも感謝にしてしまう名人です。それもこれもみんな阿弥陀様からの奥深いお慈悲のプレゼントだと受け取って感泣するのです。

浅原才一大ファンの弟と一緒に、なんどもこの浅原才一の暮らした温泉津(ゆのつ)の温泉を訪ねました。先日の旅でも、弟はわれわれの旅についてきていたと思います。

 

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よいかなよいかなよいかなよいかな。我は仏の世を生きる者なり。

2023年12月17日 17時32分37秒 | Weblog

善哉善哉大薩埵 善哉善哉大安楽 善哉善哉摩訶衍 善哉善哉大智慧

般若理趣経より

ぜんざいぜんざいだいさった ぜんざいぜんざいだいあんらく ぜんざいぜんざいまかえん ぜんざいぜんざいだいちえ

よいかなよいかな大薩埵なり よいかなよいかな大安楽なり よいかなよいかな摩訶衍なり よいかなよいかな大智慧なり

この世に大薩埵(仏教と仏教修行者)あること嬉し。この世に大安楽(修行の行き着いたところの悟り)あること嬉し。この世に摩訶衍(大乗の教えとその修行)あること嬉し。この世に大智慧(仏の智慧が行き渡っていること)あること嬉し。この世は仏の世界なり。

(これはわたしがわたし流に解釈しました。自分流に解釈することはいいことではありませんが、自分がよろこべるような解釈にしてしまいました)(皆さんは皆さんで解釈を施してみてください)

「ああ、嬉しいなあ嬉しいなあ」で、この世を暮らせていけたら、いいですね。ほんとうにそうなら? ほんとうにそうなら、わたしは鬱鬱とした顔をせずに、もっともっと嬉しがっていなければならないでしょう。

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明日目覚めたら

2023年12月17日 16時48分52秒 | Weblog

豚饅を2個買った来た。2個で1パックの。やや大きめで、1個100円近くした。お昼ご飯にするつもりだったが、帰宅したら、うどん煮麺が料理されていて、それを丼半分ほど啜って終わりにした。腹減らし労働なんてなんにもしていないから、腹が減らない。豚饅は明日に回した。

若夫婦出してやりけり酉(とり)の市

高浜虚子

という、酉の市を題材にした俳句もあった。なんだかほほえましい。老夫婦は残ったのだろう、いっしょには行かずに。仕事仕事に追われていた若夫婦がよろこびいさんで祭に出掛けて行った。こうしたやれば、若夫婦はおもいっきり仲良くもできるだろう。なんだかとってもいいことをしてやったような錯覚がして、擽ったくなった。

5時を回った。いっきに暗くなった。寒い。部屋のエアコンをオンにした。明日目覚めたら、外は雪になっているかもしれない。

 

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時が三の酉まで進んできて、寂しさが溜まってきた

2023年12月17日 16時27分24秒 | Weblog

世の中も寂しくなりぬ三の酉

正岡子規

季語は「三の酉」。冬。11月の酉の日の第三番目の酉の日。毎年あるとは限らない。酉の日には酉の市が立つ。11月に酉の日が3回もあると火事が多いなどとも言われる、らしい。三の酉が終わるといよいよ慌ただしい師走に入る。

賑やかな酉の市が済んで、集まっていた人たちは去って行って、世の中を形成していた社の参道界隈はさすがに静かになっている。とたんに冬の寒風が、行く道の先々で巻き起こるようになる。不穏になる。火事でも起きそうな気配がする。歩みがのろくなる。ふ、ふっと寂しくなる。(そんなふうに勝手気ままに読んでみた)

俳句は、日本庭園。踏み石と踏み石の間隔がやたら長い。これを渡って行くには骨が折れる。「世の中」と「三の酉」までに、寂しい感情が、足になって、うごめいている。雲を突くような展開である。

人間は寂しい。それをどっかにやってしまおうとするのだが、しつこくついて回る。11月も三の酉まで進んできた。溜まっていた寂しさが泥沼をなしてしまった。

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雪にはならなかったようだ。

2023年12月17日 15時26分25秒 | Weblog

お、光りが射して来たぞ。日曜日の午後3時半。冬の日の太陽は、値打ちがある。

そろそろ夕方に向かっている。空の東半分は、重たげな黒雲に覆われている。空の西半分に、夕日が遊んでいて、青空になっていて、明るい。雪にはならなかったようだ。

午前中、高岸の港まで行こうと思って出発して、大和町尼寺あたりまで来ると、西の空が暗くなった。夕方には雪になりそうな予感がしたので、引き返すことにした。

高岸の港には、温泉センターがあるからだ。もうひさしく行っていない。今朝の新聞の投稿欄に、この温泉のことが語られていた。行くところが見つかった。せっかく見つかったのに、没になった。

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甘みを増した我が家の畑の白菜がおいしい。

2023年12月17日 15時09分54秒 | Weblog

我が家の畑の白菜がそろそろ完成の時期を迎えている。虫の侵入を拒み、しっかり巻いて締まって固くなっている。ずしりと重い。

畑の四列の白菜の畝の、二列は虫の侵害を受けて、穴ぼこになって、育たず、枯れて、とうとう駄目になった。がっかりだ。

初収穫をした。鍋物にして食べた。寒くなって、糖分が増していて、甘く、おいしかった。寒くなると、凍傷になるのを避けるために、白菜は糖度を増して、乗り越える作戦を遂行する。ああ見えて、なかなかの智慧者だ。

残りの半分ほどは、茹でて、お浸しにして、胡麻和え料理にしてもらった。これがまたイケタ。「おいしい」が何度も口からついて出た。注ぎ分けてもらった皿はぺろりと平らげた。アンコールだ。添え物の春菊も薫った。

訪れた客人にも、さっそく差し上げた。冬の野菜さまさまである。

 

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紅ズワイ蟹を食べました、初物でした。

2023年12月17日 13時32分43秒 | Weblog

先日の山陰の旅。鳥取県境港市の、港に海産物市場がありました。お店がずらりとならんでいました。

 

取れたての紅ズワイ蟹が売られていました。真っ赤な真っ赤な蟹が。

松葉ガニを食べたくて立ち寄ったのですが、18000円なりの値札にすくんでしまいました。

二人で4800円の紅ズワイ蟹を食べました、うましうまし、うましと。

 

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