<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

しかし、それでいい。守られている。

2023年12月01日 15時23分37秒 | Weblog

無碍光仏のひかりには 無数の阿弥陀ましまして 化仏おのおのことごとく 真実信心を まもるなり

浄土真宗経典 「現世(げんぜ)利益(りやく)和讃」より

仏は無碍である。拒んでも拒めない。光がわたしに届くようにいつもどこにいても、わたしに届いて来る。

仏は無量である。無限である。永遠である。

あまねく行き渡っているから、一仏二仏三仏などと、数で数えることなんてできない。

何処にでもおられるから、すぐにあらゆるものが化仏になってしまう。風も仏になる。空も仏になる。山も仏になる。

ハタラキがあって、そのどれもが、一つ一つ、そしてことごとく、この世の真実と、それを信じる人のこころをやさしく包み込んでいる。

いつも仏のハタラキは、わたしにはたらいている。それで、わたしが守られ導かれ助けられている。

わたしを守る阿弥陀仏は、数として数えられるくらいの数ではない。

と、繰り返し繰り返し、説かれてあるが、わたしは馬耳東風である。煩悩無明の間を行き来して暇がない。しかし、それでいい。

 

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芭蕉一行は、五月の山路に差し掛かった。

2023年12月01日 14時59分02秒 | Weblog

あらたふと青葉若葉の日の光

松尾芭蕉

「あら」は「ああ」。感歎の間投詞。「たふと」は「たふとい」「尊い」。ああ、尊いことだなあ、有り難いことだなあ。

山路に差し掛かる。爽やかな五月。カッコウが鳴いている。

青葉若葉に惜しみなくさんさんと光が降っている。ふっと足を止める。感歎の声が出る。いい、いいなあ、爽やかでいいなあ、いい季節だなあ。

光が降る。光が降る。足を止めて見上げている山の全体へ光が降る。澄み切った大空から光が降って、目が開けていられないほどだ。

青葉若葉は、いよいよ嬉しそうな青葉になり、いよいよ嬉しそうな若葉になる。それが、旅人をまた嬉しくさせる。

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わたしの麻痺の足は、冬になると鋼鉄になる。

2023年12月01日 14時50分01秒 | Weblog

麻痺をしたわたしの左足は、寒い冬になると、鋼鉄になります。膝から下が、血が通ってないように、冷たくなります。コタツの中に入っていても、なかなかあたたまりません。冷血動物です、わたしは。夜、布団に寝てても、同じです。右足はそうでもありません。

悔やんでもしようがないから、原則、悔やまないことにしていますが、ひょいと出ます、吐息が。

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外出から帰宅しました。息抜きになりました。

2023年12月01日 14時38分23秒 | Weblog

もうすぐ3時。おやつの時間に少し早いけど、頂いた神戸土産のワッフルをつまんでいます。ぽりっぽりっと。上品な甘さです。有り難うございました。

外出終わり。渋柿特大がありました。一軒目のスーパーにありました。買って来ました。どっさり。1袋6個入りでした。

これから渋柿の皮剥きをします。剥いたら、紐に結んで、2階のベランダの、竿に吊します。

妙な趣味で、皮剥きが好きです。果物ならなんでも。苦になりません。上手下手を言うと、でも、下手な方です。スピーデイではりません。ゆっくりゆっくりです。

2階のベランダは、木枯らしが吹き付けるでしょう。これくらい寒ければ、もう黴は生えないで済むでしょう。しめしめです。

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これから外出する。

2023年12月01日 10時48分58秒 | Weblog

これから息抜き外出する。

渋柿を買いに行く。大きめの渋柿を買いに行く。何処かには売ってあるだろう、まだ。

幾つかスーパーを回ってみよう。

お昼までには戻れそう。見つかればの話だが。

干し柿を作る。いまベランダに吊しておけば、お正月には上等干し柿が食べられるだろう。

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できないことばかりでいい。

2023年12月01日 10時34分58秒 | Weblog

五濁悪世の有情の 選択本願信ずれば 不可称不可説不可思議の 功徳は行者の 身に満てり

浄土真宗経典 「五六億和讃」より

不可称である。不可称ならば不可称である。表現して称賛することすらもできない。

不可説である。不可説だからどこまでもいってもそれでも不可説である。説き得ることではない。

不可思議である。不可思議だから、思議はできない。一尺一寸の思議もできない。

できないことばかりでいい。そういう世界になっている。阿弥陀如来の世界は、わたしの計らう領域ではない。阿弥陀仏のオハカライだけで終わっている。

五濁悪世を悪人でいる有情(衆生に同じ)のわたしである。それで、阿弥陀仏の届けてくれる功徳にまみれて過ごしていられるのである。ほとほとよいご身分である。

よかったなあ、と思う。

選択本願は、阿弥陀仏の誓願のことである。わたしを救うぞ助けるぞ、と書いてある。信じても信じなくても、救いが変更になることはない。

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弟はいない。寒い。あたたまりたい。

2023年12月01日 10時17分13秒 | Weblog

弟。死んでしまったから、でも、弟ともう酒を酌み交わすこともない。

今日はふっとそれが悲しい。寒い。あたたまりたい。昆布出汁の湯豆腐がおいしかろう。

弟の代わりはいないか。代わりをしてくれる者はいないか。いない。

弟と飲んだら、かならず仏教の話になった。弟の勉強量は凄かった。兄のわたしは太刀打ちも出来なかった。彼の仏教理解を分けてもらいつつ、相槌を打ちつつ酒を飲んだ。そういう飲酒だった。

弟を兄が思い起こしているように、兄を思い起こしているかもしれない、弟も。何処かにいて。

何処かにいるとしても、あいつのことだから、やはりひたすらに仏教経典を、面白く面白く愉快に愉快に、読んでいるばかりかもしれないが。

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現世で阿弥陀様から受けているわたしの利益(りやく)=現世利益。

2023年12月01日 09時33分51秒 | Weblog

親鸞聖人が著された「現世利益(げんぜりやく)和讃」の15首の和讃の、スタートはこうなっている。

阿弥陀如来 来化けして 息災延命のためにとて 金光明の寿量品(じゅりょうほん) 説きおきたまへる みのりなり

よいことばかりが書いてある。こんなによいことだらけでいいのかと思うほどに<よいこと>が書いてある。それを和讃にしてある。誰もがうなづけるように和讃(日本文で書いた仏陀礼賛文)にしてある。

<よいこと>は、わたしが阿弥陀如来から頂くご利益のことである。

安心していい。無料無償である。有り難うの強制要求もなし。お返しなしである。

しかも現世で受けているご利益である。こちらから頼んでそうなっているのでもない。一方的に阿弥陀如来が、こういうものを欲しがっているであろうと推量して、それで調達して、わたしに届けてくれるものばかりである。

<頼んでもいないのに>、ここがミソである。仏様のお慈悲というのは、こちらが頼んでやっとしてくれる如き安物類ではない。それくらい(お金をもらって頼まれるくらい)なら、娑婆の悪ガキのわたしだって、できる。

「来化(らいけ)」は、「向こうの方からわたしのところへ歩いて来てくださって、すすすっと化仏されて」の謂である。「化仏」は仏の姿をとられることである。仏様は法身であるから、わたしの目には見えないのだが。たいがいは、仏のお遣いの菩薩様、行者様が、この役目をなさる。見えないでも、仏のハタラキは有効である。

「金光明の寿量品」とは、阿弥陀如来のお誓いを説かれている浄土三部経のことだと、わたしは受け取っている。

「みのり」は「結果」「阿弥陀如来のお慈悲の結果」と受け取っている。それが「ご利益」である。阿弥陀如来からのわたしへの一方的な届け物である。わたしはそれを利用し、それで益金を受けている。

阿弥陀如来からの届け物の第一が、わたしの「息災延命」である。この利益をわたしは無償で受けていることができる。礼金は要求されない。礼金要求は、すべていかさまである。

いいことばかりなのである。

阿弥陀如来がわたしのために説いている「金光明の寿量品」を、わたしは無視していない。受領している。仏が届けて来るご利益(りやく)を日々この現世で受けていながら、「受けていない」とは言えない。

 

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今日から12月。歳末。年の暮れ。

2023年12月01日 08時55分49秒 | Weblog

寒いなあ、7・1℃しかない。まもなく午前9時になるところ。コタツに入って、さらに部屋のエアコンをつける。それでも両手の指先がかじかむ。外は、日が隠れているので、薄暗い。今日は予報ではずっとこんな具合らしい。雨マークはついていない。

あ、今日から12月になっているんだ! そうだったんだ。師走に入ったんだ。一年の終わりの月。歳末。終わり良ければすべて良し。いい月にしようじゃないか。てったって、ことさら何かをしなければならないということでもない。元気でいれば、健康で過ごせれば、それで、「いい」の条件は100%満ちる。

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