<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

僕は、一人の自由ばかりを尊重している。

2023年12月20日 17時12分53秒 | Weblog

「今日は意義深い一日だった」を胸を張って(月に一度くらいは)言ってみたいなあ。そんな日は、晩酌のお酒が、さぞかし美味しいだろうなあ。

そんな(意義深い)日を思い起こそうとしているのだけど、(記憶をうしろへ捲っていくのだけど)、ない。うすっぺらな生き方をしている自分が、あらためて浮き彫りになるだけだ。

どうしたらいいんだろうなあ? なにかしら人様のお役に立ったら、そういうことを此の身でしっかり体験できたら、<意義深い一日>というのを感じ得るのだろうか? 

僕はその反対ばかりしている。まず人の中に入らない。協調しない。一人の自由ばかりを尊重している。とてもとても我が儘者。これじゃ、人の役になんか立てないよね。

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反省をしても同じです。

2023年12月20日 17時03分44秒 | Weblog

午後5時を回りました。もう外は夕暮れを深めています。風はぴたっと止まったままです。

窓の外が暗くなると、「ああ、一日が過ぎてしまったなあ」と思います。たいがい、「ああ、何にもしなかったなあ」と同義語です。

すると、すとんと空しくなります。何にもしなかったんだから、それは当然の帰結です。来る日も来る日も此処へ落ちます。反省しても同じです。

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BSチャンネルで、テレビ映画を見ました。

2023年12月20日 16時48分00秒 | Weblog

時間が有り余っていましたので、わたしの部屋のテレビで「おかんと僕と、ときどきおとん」の映画を見ました。たまたまつけたら、映画があっていました。全部ではありません。途中からお客さんでした。俳優さんの名は思い出せません。みなさん有名な俳優さんでしたのに。

テレビを殆どつけませんから、映画を見るのも久しぶりでした。今回は、嫌がらずに(ぷつんと切ってしまわずに)見続けました。台所へ行ってお客さんとお喋りするまでは。

「おかん」役も「僕」役も、「おとん」役も、名演技でした。楽しめました。(テレビ映画を見たら、時間が潰せることを知りました)

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お昼過ぎから客人。お喋りが尽きませんでした。

2023年12月20日 16時38分50秒 | Weblog

お昼過ぎから客人でした。暖房の効いた台所に来て頂きました。16時半にお帰りになられました。久しぶりにおいでになったので、お喋りがつきませんでした。

で、結局、僕はこの日、何処にも行かないで終わりました。玄関に行って客人を送ったばかりでした。寒い日だったので、これでよかったのかもしれません。

もう一人客人がありましたが、家内が応対して、僕はお会いしませんでした。健康増進のための差し入れを頂きましたのに、申し訳なく思っています。

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わたしを賢者にしているので、

2023年12月20日 12時07分28秒 | Weblog

煩悩障眼雖不見 大悲無倦常照我

浄土真宗経典 「正信偈」より

ぼんのう しょうげん すいふけん

だいひ むけん じょうしょうが

煩悩の眼を障えて 見えざるというと雖も 大悲は倦むことなしに常に 我を照らすなり

ここのところを読むと泣きたくなります、うを~んうをーんと泣きたくなります。すまんことだなあと思います。

知らない、見ていない、聞いていない、受けていないで済ませてきたんです、ずっと。わたしを賢者にしているので、大悲が届いているのに、届いていないとして、踏ん反り返っているのです、このわたしは。煩悩のせいにして、責任逃れをしているのです。

仏様のお慈悲をないものにして、それで軽々飄々然としています、わたしは。経典を読むときだけ、ああ、そうだったな、知らぬ存ぜぬを押し通したおれは実に不届き者、傲慢な男だったと気付かされます。そこを離れるとまた知らぬ存ぜぬの元の木阿弥になります。

大悲は射して来る朝の光です。雨水です。春風です。広がった大空です。

彼らは飽きが来たなんて言いません。いつもいつもわたしを照らしています。無条件です。いい人間、悪い人間の区別をしません。あとで、お礼をして返せなんてことも言いません。わたしをとことん大切にしてくれています。

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チンすることすら面倒。

2023年12月20日 11時54分42秒 | Weblog

まもなく正午である。冬の淡い微かな光が、ベランダの濡れ縁に来ている。猫のAちゃんも来て、寝そべっている。呼んでも、振り向きもしない。餌を遣ったことのない者には、無視で答えている。

台所のテーブルには、僕がお昼に食べる分の食料が置いてある。「チンして食べてね」といって家内は出掛けて行った。そのチンが面倒なのである。それくらいこの老人は怠け者なのである。どうしようもない。

正午を知らせる市役所のチャイムが鳴った。外気温が8℃まで上昇しているので、部屋の暖房のスイッチを切ることにした。働いていない者の引け目である。

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光が弱く細くひっそりとしているものは、

2023年12月20日 11時29分34秒 | Weblog

かたまって薄き光りの菫かな

渡辺水巴(1882~1946)

季節はもちろん春。菫が山路に咲いている春。

菫が群落をして、寄り添ったようにして咲いている。どれもすみれ色に咲いている。それを全部合わせてもうっすらの光りしか発していない。

大袈裟にしていない。ひっそりしているが、それで十分にゆたかである。

光りが弱く薄くひっそりしているものは、山のあちこちに身を寄せて、こうしてかたまって生きている。

作者は東京浅草の人。高浜虚子に師事した。作風は繊細で唯美的、無情を有情に見るのが彼の特徴とされている。村上鬼城、飯田蛇笏らと大正時代初期のホトトギスを支えた人。

てのひらに落花とまらぬ月夜かな

白日がわが霊なりし落ち葉かな

などの代表句がある。

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ひたすら退歩に費やすのなら

2023年12月20日 10時34分33秒 | Weblog

怠けてもいい、怠けなくてもいい、ってところにいれば、僕はかならず<怠けていい>を選択してしまう。無造作に。

それじゃ、進歩がない。ないんだよね。

苦しい上り坂を上らずに下り坂を下ってしまう。楽な方を選んでしまう。

こうして老後を、ひたすら退歩に費やすことになるのなら、僕は貴重な老後を、もっと上手に、真剣に誠実に、行使できる人にお譲りすべきかもしれない。

考え込んでしまった。

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今日の日を与えてもらっている、というのに。

2023年12月20日 10時19分19秒 | Weblog

することがない。することがないなんて、おかしい。するべきことなんて、いっぱいあるはずだ。無視しているだけで。

無職をしていても、やっぱりあるはずだ。たくさんあるはずだ。無職だからこそということもあるはずだ。なのに、怠惰な僕はなにもしていない。ぼんやりしている。来る日も来る日も。

これでいいはずはない。せっかく生かしてもらっているというのに。今日の日を与えてもらっているというのに。

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師走は残り11日。

2023年12月20日 09時47分17秒 | Weblog

今日は12月20日。水曜日。師走の12月は31日ある。残る日は今日まで含めて11日。すぐに過ぎて行ってしまいそうだ。家の内の大掃除をする人は忙しいだろうけど。

家内は髪が気になるらしい。8時を過ぎて美容室に行った。誰も居ない。いつものことだけど。留守番といっても、貧乏家宅。番人をすることもない。

うすら寒い。畑に出て仕事をする熱はない。北の畑の、人参を蒔いた畝の1列が、草にすっかり埋もれている。人参を太らせるためには草取りをすべきだが、土も凍っているだろう。

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