午後7時。お風呂から上がってきた。いまからベッドに入ったら、夜が長い。10時間も眠っていなければならなくなる。それはできない。
だったら、起きていないといけない。起きてしばらくテレビを見ることにする。見たいテレビ番組はないけど。いま草原の帝国モンゴルが紹介されている。
午後7時。お風呂から上がってきた。いまからベッドに入ったら、夜が長い。10時間も眠っていなければならなくなる。それはできない。
だったら、起きていないといけない。起きてしばらくテレビを見ることにする。見たいテレビ番組はないけど。いま草原の帝国モンゴルが紹介されている。
こんなにもまあるく笑う人だっけ退職初日の夫と歩きて
福岡南 福井幸子さん
今朝発表になった西日本新聞読者文芸栗木京子選短歌部門第3席の作品です、これは。
いい作品だなと思いました。
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夫が退職した。初日いっしょに外に出て歩いた。歩こうと誘うので歩いた。靴は二人とも軽いスニーカーにした。お天気もよかった。四月の公園は桜がもう見頃になって居た。風が花びらを散らすと、夫はこどもになったように、大声を出して、「きれいだね」「きれいな蝶のようだね」とはしゃいだ。いままでこんな顔は見せなかったのに、と思った。重たい拘束から解かれた人が、今日は自由になった日である。何か言ってあげたいのだが言葉が見つからなかった。角張った顎がなくなって、顔がまあるくなっていた。夫は、この日、初めて会った人のように初々しかった。
この短歌からわたしはそんな風景を想像してみました。この歌は感情があふれています。
何百の薄羽黄蜻蛉くれなゐの空へ銀河をつくりゆくなり
大野城 染川ゆりさん
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これも今朝発表になった西日本新聞読者文芸短歌部門栗木京子選大2席の作品です、これは。
こんな芸術作品に仕上げることのできる染川ゆりさんってどんな人なんだろう?
美しい観察がなされた幻想的な、いい作品だなあと思いました。
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薄羽黄蜻蛉(うすばきとんぼ)がどんな蜻蛉なのか見て見たくなります。<羽根が薄い><透けて見える><全体が黄色><できるだけ体重を軽く軽くした蜻蛉>なのかな? それが何百といる。大群を作っている。何か重大な儀式をしているようだ。
夕暮れ。夕焼けが赤い。空がどこまでも澄み切った淡い「くれなゐ色」をしている。そこへ薄羽黄蜻蛉がいっせいに大空へ駈けて上昇する。何のためにそうするか。作者は答えを出した。「蜻蛉銀河を作るためだ」という答えを。読者はその幻想にとり憑かれることになるだろう。
白黒を決める瞬間近づきぬ列すすみゆく蜂楽饅頭
志免町 大久保容子さん
今朝発表された西日本新聞読者文芸短歌部門伊藤一彦選年間大賞第三席の作品です、これは。
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前半575を読むと、重大事件が予想されてはらはらします。「何事かこれは?」と思います。後半77でやっと理解に届きます。ほっとします。なんだ饅頭の餡の白黒だったのか、でストンとします。白餡にするか黒餡にするか迷うんですよね、最後まで。
こんな短歌もいいなと思いました。遊び混入の。
気温は8℃ありますが、寒いです。当たり前ですよね、冬なんだから。年の暮れが迫って来ましたから、そうあらねばならぬとでもいうように、寒々としています。
町の郵便局まで手紙を出しに行って来ました。こんな用しかありません。たまたまそこにいた卒業生から声を掛けられました。もうそろそろ還暦を迎えるのだそうです。忘れずにいてくださって嬉しく思いました。
で、近くのスーパーで今夜の酒の肴を探しました。イイダコにする中っくらいの蛸がありました。それを買いました。晩酌が楽しめます。なんか1品あればいいのです。一合の酒ですから。家内に料理を頼まねばなりません。
菜の花菜の花多数決にはかなわない
吉野ヶ里町 真島美智子さん
西日本新聞 12月25日付け読者文芸 年間大賞 川柳部門 佳作
(きらきらしてて、そして奥があって、どうとも読めて、ぷっと笑いたくなって、一席にでも推したくなった)
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何だか面白かった。挙手採決をして、圧倒的多数で決まってしまったのだろう、なにやらが。それで万事解決とあいなって、すっとしたのだろう。
その一斉に揚がった挙手の手が一面の菜の花に見えたのだろう。川土手の菜の花は菜の花ばかり。黄色い菜の花がゆうらゆうら揺れて、春を告げている。春の川土手はそれでいいのだ。
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川柳も575の17文字。飛び石の美学である。ことばの飛び石の空間空隙に、どれほどでも想像が入り込める。いい想像も、そうでないのも。それを読者読者で勝手にできる。
いまはもうそんな風景は見られなくなっているから、これは若い頃の思い出の中の風景だろう。(死んだ人の霊送りをする夏祭りは、もう日本の国から途絶えてしまったのでしょうか?)
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踊の輪夜空のねじを巻いている
筑紫野市 横山美恵子さん
今日発表になった西日本新聞読者文芸年間大賞俳句部門一席の作品です、これは。秋尾敏選です。おめでとうございます。よろこんでおいででしょう。鮮やかな美しい絵が見えます。
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盆踊りを踊っているところでしょう、男も女も浴衣を着て。賑やかな曲がボリュームいっぱいに流れています。
中央に櫓舞台があり、舞台の上にも人が踊っています。それから舞台を取り巻いて幾重にも踊りの輪があります。
輪が同じ方向に回っています。その回転がネジ巻きのためのネジ棒に見えたのでしょう。
夕空が盆提灯の灯りでぼんやりぼやっています。ぼんやりを引き締めるにはネジ巻きが必要です。
踊りが最高潮に達してきました。ネジがずいぶん回りました。夜空がずいぶん引き締まって見えています。星がすぐそこまで迫って来てきらきら輝くようになっています。
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俳句は多重構造建築物ですね。この見事な建築物ができあがるには、もしかしたら、数日数ヶ月の労働が必要だったことでしょう。
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選評はこうなっています。
「奇抜な発想の句である。櫓をめぐる盆踊りの輪が、夜空を回す原動力になっている、と。夜が更けて、星の位置がだいぶ動いたということもあるだろう」
1
あと5分で11時半になる。空が冴えない。どんよりしている。日が射さない。外気温は6・3℃。寒い。コタツに入っている。じっとしてばかりじゃなくて、活動を開始してもいいのに、コタツを出られない。
2
畑の玉葱に追肥をしなければならない。そうするまえに、草を抜かねばならない。冬の草は根が深い。これが厄介。やたら時間が掛かる。凍り付いた土を相手ににする作業なので、手指がこごえてしまう。それが予想できるので、なかなか畑へ行けない。
3
たぶんずっと行けない。ひたすら怠け者をして、コタツの中にもぐって暮らすことになるだろう。日が射してあたたかくなってこないと、実行できないままだろう。これじゃ、野良仕事従事者失格だね。玉葱の追肥時期を逃してしまうと、玉葱は太らない。ピンポン球のまんまで終わってしまう。努力を回避すれば、収穫が覚束ない。
(それが分かって努力しないんだから、お粗末)
おはようございます。12月25日、月曜日になっています。あと15分で10時になります。日が照って明るくなったり、翳って暗くなったりしています。外気温は4℃。寒いので、軍手の手袋をしてパソコンのキーを叩いています。
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今朝は西日本新聞で、読者文芸の年間大賞が発表になっていました。秋尾敏選の俳句部門の、佳作の最後にわたしの名前がありました。年間大賞だから、佳作もうんとよろこんでいいように思いました。詩部門にも短歌部門にもわたしはいませんでした。
(わたしは詩部門で、前年度は年間大賞一席を受賞しました。今年に入って選者が代わられました。その後一度も入選していません)
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ふふ、これで選者がどういう作品を高く評価しているのかが、(うっすらですが)分かります。選者の評価判断に合わせないと、拾ってはもらえません。ピントをそこに合わせる努力をしなければなりません。選者の評価眼を尊重しなければなりません。
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同じ春の花でも桜の花が好きな人、桃の花が好きな人、梅の花が好きな人がいます。でも、桜、桃、梅に価値の高低があるわけではありません。絵だってそうです、日本画が好きな人、水墨画が好きな人、西洋画の油絵が好きな人がいます。絶対価値はないのに、それぞれ特有のよさがあるのに、そのうちのどれか一つを最高にして選ぶって難しいですよね。(なんてことも、思います)