<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

お爺さんの機嫌が、よくなる。

2022年12月17日 15時26分35秒 | Weblog

北の畑に行って、大根の生い茂る畝から、すらりとした足長の白首大根を抜いて来ました。みごとな出来映えです。

 

これを台所のテーブルの上で包丁を使ってとんとんとんと短冊に切り、それを大きな丸い竹製の笊に列べて、干し大根にしました。水分たっぷりです。

 

笊は、お日様の差す縁側に置きました。これが毎冬の、お爺さんの退屈しのぎを兼ねた室内手作業になります。お爺さんの機嫌が、これで少しよくなりました。

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仏教は日々の安心を説いている。

2022年12月17日 09時44分35秒 | Weblog

無有恐怖。むうくふ。恐怖有ることなし。恐れないでいいんだよ、安心の中に居て暮らしていていいんだよ。

 

仏教はそういう安心を説いている。

 

わたしが恐怖ばかりするものだから。恐怖の沼に沈んでばかりだから。

 

恐怖するために人間の命を生きているんじゃない、安心をするために人間の命を生きていることを思い起こして下さい、と説いて来る。

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100歳を生きる時代になっている。

2022年12月17日 08時22分49秒 | Weblog

親戚縁者に当たる方が亡くなられた。101歳になっておられた。

 

長く施設に入っておられた。コロナが猛威を振るっている最中なので、家族の人もあまり見舞いにも行けなかったようだ。

 

若い頃から畑仕事に精を出してこられた。ご主人様が戦地で早く亡くなられた。その後はその細腕で、息子3人と娘1人を育てられた。みな立派になっておられる。

 

101歳までを生きられるような時代だ。息子さんはまもなく80歳になられる。通夜が明日。葬儀が明後日。

 

100歳までを生きられるとしたら、このお爺さんは、小学校中学校を出て、この先もう一度成人式を迎えていいことになる。そんな意地・腹力は残っていない。

 

人生が長くなった。とはいえども、いつ何が起こるかは分からない。常に、我が身は死刑囚である。これは変わらない。

 

お婆さまは直前に患った肺炎で、ついに命を落とされたらしい。愚痴を言わない、まわりの人の悪口を言わない、おだやかでおっとりとした性格の方だった。

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素直に命に服した。

2022年12月17日 08時14分32秒 | Weblog

我が家の奥方様から里芋の皮剥きを命じられたから、素直に命に服した。

 

包丁で、里芋の皮剥きをした。中っくらいのを5~6個。わたしは里芋を剥いても痒くならないたち。

 

1個は腐り始めていた。少し向いたところでこれは除去した。あっさり。

 

里芋は我が家の畑で収穫したもの。愛着がある。なかなか捨てられないが、捨てる。

 

今夜の夕食は牛スジを出汁にしたおでんらしい。大根も畑から引いて来ねばならない。

 

しゃぶしゃぶ風に、サニーレタス、水菜、ほうれん草も、さっと湯に通して食べてみてもいいなあ。

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それなりの意義もあろう。

2022年12月17日 08時06分45秒 | Weblog

何とかならないか。打開策はないか。

 

ないなあ。

 

陥っている苦境を抜け出すべく、腕組みする。

 

浅い思案だ。抜け出せるはずもない。

 

巡り廻って来た苦境だ。

 

それなりの意義もあろう。そう考えてみた。

 

受けて立とう。乏しい力のなすままに。

 

これで少し楽になった。

 

今日は雨降り。外は暗い。雨といっても霧雨程度。畑に出て気分転換も叶わない。読書の日だ。

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