こころはカタチがない。カタチがないこころが、カタチのある肉体に住み込んでいる。カタチがないんだから、カタチを必要としていないはずなのに。
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1個の肉体に棲み着いたこころが、「わたし」になっている。一人の「わたし」になるために、1個の肉体を必要としたのだろうか?
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肉体は物質である。こころは物質ではない。物質はカタチを取ることができる。時間は物質ではないが、距離は物質である。
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カタチのあるものだけが死んだり生きたりしている。カタチのないこころそのものは、生きたり死んだりをしないでいられるが、物質の肉体を宿としたために、物質の肉体といっしょに生き死にをしているように見える。
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カタチがないのだから、こころは何処に住んでいてもよさそうに思える。宇宙中の何処にいても良さそうに思える。といっても、宇宙は物質である。
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物質界以外であっても、こころは存在しうるはずである。カタチのないものは、場所を必要としないのだから。
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物質界でないとドラマが生まれないのだろうか。嬉しい悲しい寂しい悲しいのドラマが欲しくて、カタチのないこころがわざわざ物質界に降りて来て、カタチのある肉体に住み込んでいるのだろうか?