全国中学校女子駅伝大会が終わった。佐賀県の代表校(多久市内の中学校女子)は健闘した。全国10位以内につけているときもあった。ラストで10位以内を出たが、予想通り大いに健闘した。ぱちぱちぱちの拍手を送った。
ちょっと涙目になった。お爺さんは感激屋さんなのだ。
全国中学校女子駅伝大会が終わった。佐賀県の代表校(多久市内の中学校女子)は健闘した。全国10位以内につけているときもあった。ラストで10位以内を出たが、予想通り大いに健闘した。ぱちぱちぱちの拍手を送った。
ちょっと涙目になった。お爺さんは感激屋さんなのだ。
信仰はわたしの信仰である。強制されるものではない。他者の束縛を受けるものではない。命令をされるものでもない。
危ういが、それでもわたしが主体者となっていなければならない。
判断をする力がないわたしのために力になってくださっているのが、わたしの場合は、仏陀である。十方無量の諸仏諸菩薩である。それを力強く思う。
守られて守られている。導かれて導かれている。わたしはそういう受け止めをしている。
わたしは苦悩のままでは終わらない。わたしは次へ次へ歩き続けている者である。未来へ未来へ歩み続けている者である。わたしの歩みは、やがて苦悩が終わるという方向性を持っている。
わたしは守られて歩み続けている者である。わたしは導かれて歩み続けている者である。わたしは自己完成者の仏陀とともに生きて、仏陀とともに死んでいる者である。
わたしのこの苦悩は苦悩のままで終わることはない。わたしは明るい方向へ明るい方向へと歩を進めている者である。
そこに至るまでの時間がいかに長い時間であろうとも、無駄な時間を生きていることは片時もないのである。
仏祖の往昔は我等なり、我等が当来は仏祖ならん。
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曹洞宗経典「修証義」より
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お爺さんは今日は此処に足を止めて一夜の宿を取ることとする。
宿にいながら、次のようなことを雑然と考えて過ごしている。
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わたしの未来は仏陀、仏陀の過去はわたしだった。でなかったら、仏教は信じられないものになる。
わたしとは無縁になってしまう。
仏陀とわたしは、わたしの煩悩苦悩と同じ道に立っている同胞関係の関係でなければならない。別個の道であってはならない。
仏陀一人を特別としてしまえば、わたしの入り込む余地はなくなってしまう。
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仏陀はわたしを仏陀にするために仏陀となられたのである。
その願いが無に帰することはない。
わたしの苦しみ悲しみを知る人であったがゆえに、誓願を起こされて、仏陀の道を歩かれたのである。
「あなたは所詮仏陀にはなれない」のであれば、仏教を説かれた意義は消滅する。
仏陀が説かれた仏教の主人公は、あくまでもこのわたしである。
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仏教は仏が説かれた教えであるが、わたしが仏になっていく為の教えでもある。
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これはわたしの仏教理解だが、わたしは間違って理解をしているかもしれない。読者諸氏は読者諸氏の仏教理解をして頂くことがいいだろうと思う。
夜中、お風呂に入ったらお爺さんはいつも、ぼそぼそと独り言を言う。
ぼそぼその最後には「いい一日でございました」を言う。これを結論とする。この結論で一日を締め括る。
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腰痛に苦しんだ日も、失望に身をやつした日であっても、いいことなんて何にも起こらなかった日でも、これであっけなく「いい一日」になってしまう。
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過ごせた日のその一日が、お爺さんへのビッグなプレゼントに思われて来て、感極まってしまう。
ここまで長生きができたお爺さんである。頂けるものはなんでもかんでもビッグなのである。
わたしが死んで行くように、あなたも死んで行ってしまうんだよなあ。
どちらも生きていたのに、「そうですか、あなたも死んだのですか」とその人の顔を見て、問いを発するのだろうか。
「生きていた頃は、あたたかい声をしてお話をしましたね」などと懐かしんで、声で問いを発して、互いを温め合うのだろうか。
生きていた頃の時間は消えてしまっていても、生きていたころの空間は残っているのだろうか。
空間はもとのまんまにあたたかい空間を保っているのかもしれないなあ。
空間に牡丹雪がしんしんと降っている。椿の上の雪が落ちて、真っ赤な椿が突然笑い出す。
ここは山里だから静か。一日静かだ。朝も静かだ。昼も静かだ。夕方も夜も静かだ。
人の声を聞かない。通りかかる人すらもいない。
雪も降っている。野原は解けずに降り積もっている。
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人が立てた声が、竈の白い灰になっている。
竈にも火は燃えていない。
燃えていない竈に両手を延ばして、人のあたたかさを忍ぶこととする。
雪がわたしを尋ねて来る。
後から後から。
ご用があって尋ねて来る人のように。
*
あなたを捨てたりはしませんよ、いう台詞つきで。
昨夜から降り続く雪の、人思い台詞が幾重にもなって、しんしんと屋根の上に積まれている。
夕方にかけてまだまだ一降りも二降りもしそうだ。
空が混濁のミルク色をしていて、向こうの山が見えない。まるでぜんぜん見えない。
狭い風景の盆地の、狭い底にいる。
*
お爺さんが今日を生きている。死なないで今日を生きている。
用に立つことなんて何にもしていないのだから、いつ死なされてもいいはずなのに。
それを撥ね除けるようにして、普通にして、しぶとく生きている。
そんなしぶとさがこのお爺さんにあっただなんて信じられない。
喰いだしたら止まらない。手が止まらない。
おこしをぼりぼり食べる。
うまいうまくないを通り越してしまっているのに。
テーブルの上の一袋がまもなく終わる。
強欲お爺さんをして、日曜の午後を過ごしている。