15
わたしは、観音様と同じように、銀河宇宙中におられる多千億の仏に侍(はべ)って仕えて来ている者です。で、ここまで、導かれて来ています。
そうでなければわたしはここへ辿り着いてはいません。
嬉しいことです。
☆
庭に、黄色いラッパ水仙が咲いています。籾殻に雀が来て遊んでいます。
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わたしは、観音様と同じように、銀河宇宙中におられる多千億の仏に侍(はべ)って仕えて来ている者です。で、ここまで、導かれて来ています。
そうでなければわたしはここへ辿り着いてはいません。
嬉しいことです。
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庭に、黄色いラッパ水仙が咲いています。籾殻に雀が来て遊んでいます。
14
ここまで長く長くブログを書いて来ました。飽きたでしょうね。わたしも疲れました。(笑い)
☆
これはしかし、わたしの安心です。
わたしはこういうふうに観音経を読んでいます、ということです。正しい読みではありません。
わたしは観音経を読み出すと、安心という鹿が飛び出して来ます。いっしょに遊んでくれます。
13
観世音菩薩は、「諸々の方所に応じる」のですから、何処へでも飛んで行かれてそこに姿を現します。
一人一人の「わたし」になって、姿をあらわされます。仏陀の教えを聞いている者、そのわたしに、大清浄の願いのこころ(菩提=仏智)を発動させてくださいます。
それが観音菩薩の出現です。生きている場所でみな化身仏(=救済実践の菩薩)になっているのです。
12
これを繰り返しているのは観世音菩薩だけではないのです。
誰もが観世音菩薩なのです。多くの仏に師事して修行を積んで行きます。わたしも間違いなく観世音菩薩なのです。
そのために、時間と空間の銀河の宇宙は拡大に拡大を続けています。
11
わたしたちは一度死んで終わりではありません。
一度くらいで修行は完成を見ません。人間修行は菩薩の修行です。菩提(=仏智=仏陀の悟り)に到達するまでは修行が続きます。
誓願を建てて、何度も何度も生まれ変わりをして向上を図っていきます。
そこまでは仏陀が導いて行くのです。師事をしている仏陀が守護をして行くのです。安心をしていていいのです。
10
衆生というのは生きとし生ける者すべてです。人間だけではなく、命を持つ者すべてです。衆生救済は大清浄願です。
ウイルスも命を持つものですから、衆生です。救済が必要です。殺意があるのなら、それを転じてあげねばなりません。正してあげねばなりません。ウイルスにも耳があります。仏陀の教えを聞くことは可能です。
9
その数々の仏陀にお仕えして来た間に大きな清浄の願いを起こされた菩薩です。
「苦しんでいる者はみな一人残らず救う」という清浄の大きな行願です。
その観世音菩薩はいまはここの地球上で、釈迦牟尼世尊の下で修行に励んでおられます。
地球を住処にしている衆生の救済が彼の実践行ということになります。
8
観世音菩薩は修行者です。仏陀ではありません。菩薩です。菩薩は菩提薩埵(ぼだいさった)の省略形です。菩提(仏の智慧=仏智=真理)に向かってひたすら仏道を歩いている者です。
で、菩薩として修行をしている間は師とする仏陀に仕えています。それが多千億に及んだというのです。
生まれて死に死んで生まれてその繰り返しの間もずっと多くの仏陀の教えを聞いて仏陀に成る修行をして来られたというわけです。
☆
わたしたちもそうしているのです。
6
多千億の仏に侍(つか)えて、大清浄の願(=誓願)を発(おこ)したり。
☆
仏は仏陀の略です。「完成者」の意味合いがあります。その仏陀は一人ではありません。なんとガンジス川の砂の数ほどの仏陀がおいでになるのです。しかもこの地球以外の国々にもおられます。宇宙中に仏陀の国があってそこに星の降るほどの仏陀がおられます。
5
汝(なんじ)、観音(菩薩)の行を聴くべし。(観音は)善(よ)く諸々の方所に応じたまへり。(観音の)(衆生救済の)弘誓(ぐぜい=誓願)は、その深きこと海の如くして、(たとい)劫を歴(ふ)るとも思議せられじ。
☆
あなたはよくぞ尋ねて下さいました。よく聞いて下さいね。観世音菩薩という修行者の衆生救済の実践行をこれから縷々とお話ししますからね。観音菩薩は、何処へでも姿を現します。困っている人たちの目の前に姿を現して救済をします。衆生救済をしたいという誓願が海のように深いからです。その誓願の深さは、聞いているあなた方がたとい一劫二劫という長い時間を尽くしても、考えも及ばないほどの深さです。