<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

皆、不動明王の衆生救済の利益を蒙った。

2020年04月08日 20時48分19秒 | Weblog

皆、不動明王の衆生救済の利益を蒙ったのである。それで大いに歓喜をしたのである。信を得て、受領し、その通りに(明王と衆生との)円満一致を実行実践をして、帰りに着いた。

***

この老爺はこのようにこの経を読んでみました。求めているところを円満にしてもらえたようで、この老爺も嬉しくなっている。

この経は、日本で編まれた経典である。「仏説」となっているから、釈迦牟尼世尊が説かれたのである。だから、それを(直感テレパシーで)聞いた人が、この経を書いたのであろう。密教を我が国にもたらした空海の系列の修行者の方だったのだろうか。

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「仏説聖不動経」経典はこう結ばれている。

2020年04月08日 19時58分01秒 | Weblog

衆生は、所求円満をした。利益(りやく=衆生救済)を受けた。大日如来(その化身の不動明王に同じ)に救済された。

経典はこう結んで来る。

最後の行(くだり)はこうだ。

爾時大会 聞説是経 皆大歓喜 信受奉行

にじだいえ もんせつぜきょう かいだいかんぎ しんじゅぶぎょう

爾(そ)の時、大会(=だいえ)(の人たち)は、(釈迦牟尼世尊が)(大会の人たちに)、(この聖不動経が)説かれるのを聞いて、皆、大いに歓喜して、信受し奉行(ぶぎょう)しき。

 

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大日如来・不動明王に「下駄を預けてしまう」という解決法がある。

2020年04月08日 19時51分01秒 | Weblog

(この辺りは、胡散臭い。甚だもって自己流解釈である)

こちらが頼んだことはなんでも提供してくれる、というのではないだろう。だったら、人間は我が儘者ばかりになってしまう。

大日如来の化身の不動明王が、解決に乗り出してくれたのだから、「結果的には正しいものになって、円満に解決が得られた」というふうに受け取れるのなら、それで落着する。落ち着きが得られるはずだ。

下駄を預けてしまえばいいのだから。

何しろ不動明王は大日如来の化身である。使者である。間違ったことをなさったはずはないのである。

そういうふうに受領をする。「求めたところは、不動明王の救済実行によって、すべて円満した」という判断を下す。そして領収証を作るのであれば、どちらに転ぼうと文句はないであろう。

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衆生の意に随って、しかも利益(=衆生済度)に至らしめる。

2020年04月08日 19時42分49秒 | Weblog

(此処からはこの老人の一解釈である。従って、正しい解釈とは言えない)

人が考えている処は、一人一人違っている。だから、不動明王は、「わたしの言うことを聞け」「わたしの言うことのみが正しいのだ」の押しつけ一辺倒ではなくて、一人一人の悩み悲しみ苦しみをよくよく吟味酌量して、最後にはその人の現在にベストな解答を与えてくれる。

それが結局はもっとも多く利益をもたらしてくれることになるので、求めたところが円満解決をする。・・・こんな受け取りでいいのだろうか?

此処での利益(りやく)は、衆生救済のことだろう。

 

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われらが求める所を、すべて円満解決してくれるのか、不動明王は?

2020年04月08日 18時30分54秒 | Weblog

不動明王の経典「仏説聖不動経」を読み進めます。読んでもっと安らぎを得たいのです。

えっ? われらが求める所を円満にしてくれるんですか、不動明王様は?

衆生意想 各各不同 随衆生意 而作利益 所求円満

しゅじょういそう かくかくふどう ずいしゅじょうい にさりやく しょぐえんまん

衆生の意想は、各各にして不同なれば、衆生の意に随(したが)いて、而(し)かも利益(りやく)を作(な)して、求める所を円満にす。

 

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嬉しいのは、外に出ていけない日々のお陰だ。

2020年04月08日 17時56分17秒 | Weblog

でも、よかった。とにかくこうして、外に出て行けるまでに元気回復できた。ほぼ一週間ほどは外に出ていけなかったから、外に出ていられるだけでも嬉しい。

たったこれだけでもう嬉しい。外に出ていられただけで。嬉しいから、努めて嬉しくしていたくなった。外に出ていけない日々があったからだ。悶々としていた日々があったからだ。

じゃ、その悶々の日々にもお礼を言わねばなるまい。

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誰か見に来てくれないかなあ。春の花園を。

2020年04月08日 17時54分00秒 | Weblog

「見たよ、僕がきみらの美しさを見たよ」の台詞を言う役者は、今のところは僕しかいない。この老い耄れの僕だけじゃ、つまらないかもしれない。

誰か見に来てくれないかなあ。「ああ綺麗だ」「こんな花園が此処に在ったのかあ」と言ってくれないかなあ。

それから大袈裟に、「美しい花園がある地球という星はいいなあ」「今日此処に生きていることに感動を覚えるよ」などと、美辞麗句を添えてくれないかなあ。

 

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「わたしを褒めて!」って言っているような気がしてしかたがない。

2020年04月08日 17時44分33秒 | Weblog

最後にホースで水遣りをした。たっぷり。よろこんだろう、きっと。我が家の中ではこのお爺さんがいちばん愛情を注ぐ。見る来る回数が一番多い。水をやる回数も。施肥する回数も。褒める回数も。

人様にも見て頂きたいのだ。きれいに咲いているので、多くの人の目に触れて、そしてその可憐さを褒めて貰いたいのだ。ミヤコワスレがそう呟いているような気がするのだ。

 

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人様を案内して来られるようになった。

2020年04月08日 17時40分31秒 | Weblog

人様を案内して見せてもいいようになった。いま、ちょうど可愛い花を咲かせている。濃い紫色の花を着けたミヤコワスレが、本数にして10分の9ほどもあるが、白色の花のもある。

今は草丈が10cm~15cm程度。茎はこれからずんずん伸びていく。白花は仏壇に飾ってもいいほどの高さになる。濃紫の方は低いガラス製の花瓶に飾って美しいだろう。

 

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ミヤコワスレの花壇の草取りをした。

2020年04月08日 17時28分00秒 | Weblog

お昼から外に出て行った。やっと出て行けるようになった。怪我の痛みが薄らいできたからだ。

ミヤコワスレの花壇の草取りをした。花壇は日陰にある。この草花は日陰でないとよく育たない。気温は20度あるが、日陰は涼しかった。

椅子に座って、ゆっくりゆっくり作業した。2時間ほども続けた。伸びていた雑草が除かれたので、きれいになった。

 

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