熱帯夜。蒸し暑い。汗だく。体がべとべとべたべた。眠りが浅い❗すぐに目覚める。布団が汗で湿る。たまらなくなって、好きではない冷房をオンにした。
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こんな夜が毎晩続くのかあ。一月も二月も続くのかあ。ウンザリするなあ。
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ブログを読んでくださっている読者のみなさんは、どうやって過ごしておられるのだろう。
熱帯夜。蒸し暑い。汗だく。体がべとべとべたべた。眠りが浅い❗すぐに目覚める。布団が汗で湿る。たまらなくなって、好きではない冷房をオンにした。
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こんな夜が毎晩続くのかあ。一月も二月も続くのかあ。ウンザリするなあ。
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ブログを読んでくださっている読者のみなさんは、どうやって過ごしておられるのだろう。
おい、お前、お前の楽しみとするところはなんだ?
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と、聞かれたら、おれはなんと答えよう。
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食うこと、寝ること。そう答えようか。これでも、嘘じゃない。答えにはなる。
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そう答えておれは、はて、それだけか?
と思うだろう。
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おれは慌てて、追加したくなるだろう。いや、もっとある、と。
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おれはおれの楽しみをあれこれと広げている。宇宙を広げるように、広げている。それで、広大になろうとしている。そうしないと、どうもせまっ苦しい。窒息しそうになる。
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楽しみが多い分だけ、ゆったりゆっくり生きていられるような気がする。
久しぶりも久しぶり。草取り作業に出て行った。夕方、1時間ほど、庭の小道をキレイにした。蚊に攻められた。それでも怯ます。
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抜いた草を貯めて、何度も捨てに行った。小道がキレイになった。これで、新聞配達の人が、お、お、お、って思うだろう。なにしろ小道が草に覆われていたから。
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なんだか、いい。いいことをしたようで、気分がいい。
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汗まみれになった。風呂場に駆け込んで、シャワーを浴びた。すっきりすっきりした。
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おおおおおおお
そろそろ5時に近い。夕方が来る。今日も何処にも行かなかった。肉体全体は。でも、その一部は、外出をした。
ビッグバンをして、わたしたちのこの宇宙が誕生してから137億年が経っている。らしい。わたしたちのこの宇宙以外にも、宇宙があるらしい。あるいは、あったらしい。無数に。それは、ユニバースじゃなくて、マルチバース宇宙というらしい。そういう宇宙マルチ説を聞いても、それが何処にどれだけ広がっているか、想像はつかない。想像はつかなくても、あるものはある、はずだ。
「わたしたちの」という限定語がかぶせられない、つまり「わたしたち以外の」宇宙というものが、あるとも考えられるらしい。
そんな宇宙とわたしとの間の「関係性」はどうなっているのだろうね。では、無視されているだろうか。無視されてもいないようにも思われる。
10
これは副産物。自分が描いた絵が、写真に撮れば、美しく化けるのである。ああ、写真というのは化け技術だったんだな、ということに思い当たる。風景だって、そう。写真の方がうんと美しい。美しさが凝縮されているように見えてしまう。美が百倍千倍に濃縮される。
12
わたしは写真は初めてである。撮るのが苦手だった。面倒でもあった。ところが、写真はニューフロンテイアなんだということを知った。写真の中では、被写体が拡大されて美しく見えてしまうのである。被写体は、きっと大喜びのはず。目もくれなかった彼女が、あどけない目を大きく見開いて、秋波、色目、流し目を送って来てきれるのである。
8
友人が電話をして来て、「ブログに載せたきみの絵が素敵だったよ」と言ってくれた。ひやりとした。実物に接したら、かならずその理解は吹っ飛んでしまうだろうと思う。なあんだ、とがっかりしてしまうに決まっている。錯覚なのだ。
9
だから、実物は見せてはいけないのだ。あれは写真の技術がそういうふうに美化の工夫をしているのだ。拡大技術があれば、たいていは美を拡大もしてくれるものなのだ。
写真で褒めてもらうだけに留めた方がいい。写真しか見せない、ということにすればいいのだ。
7
写真の話の続き。(ここは意味がよくとれないだろうなあ)
写真の魔術を見ていると、我が描く絵も、「おやおや、捨てたもんじゃないなあ」という嘆息になる。きれいに見える。「なんだ、我が目に見えてなかっただけじゃないか」と思う。指で広げて、拡大部分見ると、そこにも美がおのずからに蠢いている。という現象が起きて来る。それを楽しむ。拡大は迫力を連れて来る。迫って来る。
実物をそこへ置くと、いままで現れていた美が消えて行く。
6
写真というこの拡大技術を応用すれば、いままで見えなかったものが、クローズアップされて来る。そういう利点がありそうだ。それで、あっと驚く。人生はこんなに美しかったのかという溜息が洩れる。にたりにたりする。
極微のミクロの世界だって、見えて来る。それがまた見たこともない新種の美に満ちている。
5
それでふっと思ったことだが、同じ事ができるんじゃないか。生きている時間も空間も拡大ができるんじゃないか。百年を千年に拡大する。視界の狭さを取っ払って大空にする。大宇宙にする。
人生の愉快も痛快も、写真に撮って、拡大ができるんじゃないか。指先を、撮った写真に、当てて広げてみれば、人生の愉快と痛快が広がって見えるんじゃないか。などと思う。
何だ、人生は工夫に満ちていたのか。などと小児のように驚いてみる。
4
スマホで取った写真は、指先で拡大が出来る。便利だ。拡大すれば、衰えている視力でも、よく見える。しかも、美しく。ほんものよりかうんと美しい衣装を伴って現れて来る。見たこともない美女との遭遇。というわけで、撮った写真の拡大版に魅了されてしまう。
ほほう、ほほう、ほほう。写真は魔法だ。魔法を拡大して遊んでみる。