<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

もう朝かと思ったのに、まだ10時にもなっていなかった

2019年07月23日 18時22分15秒 | Weblog

かかかかかをかしをかし。

もう朝かと思ったのに、まだ10時にもなっていなかった。三年寝た郎。いい気なものよ。

鯛の刺身、烏賊の刺身、鯛の頭の酒蒸しに舌鼓した。庭の唐辛子🌶️が効いた。ピリピリした。うまし、うまし。ほんとに、友人にはどうしてお礼をしたらいいのやら。

雨が止んでいたので、夕方、外に出た。畑を見て回った。ラグビーボール🏈カボチャの大玉を二つ見つけた。

目をかけていたスイカ玉は、なんとまあ、カラスにつつかれていた。がっかりした。さぞや、おいしかっただろう。

暑い。蒸し暑い。扇風機を回して耐える。冷房はどうも苦手だ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

行き過ぎるこどもたちに 蜜柑が匂った 短歌を味わう

2019年07月23日 18時07分18秒 | Weblog

もう一首、木下利玄の歌を取り上げる。

街を行きこどもの傍を通るとき蜜柑の香せり 冬がまた来る     木下利玄

僕は勝手な推測をする。それで歌を捕まえようとする。捕まらないのだが。捕まったという錯覚に甘んじる。

久しぶりで作者は都会に出て来た。行き過ぎるこどもたちに、蜜柑が匂ったのである。甘酸っぱく匂ったのである。秋も深くなっている。厚着をしている。マフラーもつけている。寒くなって来て呼吸がわずかだが白くもなっている。呼吸の後に小さな雲が浮かび上がっている。こどもたちは元気だ。元気で走り去って行った。季節が来たら、蜜柑を口にする。しかし、それはこどもたちばかりではない。大人だってそうなのだ。でも、作者はこどもたちにより多くの関心がある。そこに希望と期待を見ている。冬が来ると大人達は行動をゆるやかにするが、こどもたちは駆け回る。いっそう活発に駆け回る。それが作者には嬉しいのである。

わたしは此の歌をそういうふうに明るく受け止めてみた。しかし、背後にはきっとそれを覆い尽くそうとする暗雲が立ち籠めてもいるだろう。そうでないと、明るい歌は歌えない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

病んでいる人の目は 見ているもの、見えて来るものに 敏感である

2019年07月23日 17時41分13秒 | Weblog

深く生きるというようなことが、ありうるものなのだろうか。わたしのように浅く生きている者には見当もつかないことなのだが、有り得るようにも思われて来る。

牡丹花は咲き定まりてしずかなり 花の占めたる位置のたしかさ   木下利玄 歌集「一路」より 大正13年

木下利玄(1886~1925)は岡山県の人。佐佐木信綱の「心の花」に所属した。

作者は結核で寝ている。病んだ人の目は見ているものに敏感である。なんでもないことが、ことごとに己と深く関わってくる。大きな鉢に鉢植えにされている牡丹花が、病床から見えている。力づけるようにして濃紺の大輪を咲かせている。それに、作者が力づけられないでいるということはあり得ないのだ。しっかり受け取って受け止めているのだ。花が作者との間にしっかりと位置を占めている。静かにして不動だ。死ぬのではないかなどと言う恐怖や心配などにも揺られていない。その落ち着きが、作者を力づけているのである。

作者利玄は、しかし、40歳の若さで此の世を去った。彼もまたきっと死んだ先のその位置にいて、さだめし静かな寂静に入っていることだろう。定まるということは、禅定というが如く、安らいで揺らがないということでもあるのだ。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

何を返礼したらいいのだろう。

2019年07月23日 16時30分24秒 | Weblog

それにしても、でかかった。友人は5kgの鯛と4kgの鯛と3.5kgの鯛の3尾を釣って来ていた。自慢して見せてくれた。自慢したくもなるだろう。我が家は小家族だから、その中では小さい方を頂いて来た。立派な烏賊も2杯頂いた。

何を返礼したらいいのだろう。船を借りて対馬あたりまで行って来たらしい。お金もずいぶんかかったろう。返すものが見つからないぞ。お金では失礼になるだろうし。

ううんううんううん。頭が上がらないぞ、当分は。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

友人から大きな鯛を頂いて来た

2019年07月23日 16時12分09秒 | Weblog

友人が鯛を釣って来たから取りに来いと電話して来た。出かけて行った。3.5kgある。長さは65cmほど。デカイ。婚約を決めに行くときに相手先に届けるお祝いもののよう。

もらって帰って来た。研いだばかりの出刃包丁も借りて来た。さっそく捌いた。なにしろ下手な料理人である。鯛の骨は硬い。包丁が切り崩せずに、立ち往生した。汗まみれになった。これから数日は鯛料理が食べられそうだ。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

雨が降ったり止んだりしているよ

2019年07月23日 12時55分10秒 | Weblog

どしゃ降りの雨。降ってる降ってる。空が白濁して滝壺になっている。視界が真っ白だ。

それからしばらくして、雨は止んだ。空が明るくなった。光が溢れた。

いま現在は、その中間。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

男が 恋しい女に 会うということは

2019年07月23日 09時05分37秒 | Weblog

逢ひ見ての後(のち)のこころにくらぶれば昔はものをおもわざりけり       権中納言敦忠  拾遺集 恋二

逢いたい逢いたいと願っていた人に逢ったのである。とうとう一夜をともにしたのである。まんじりともせずに相手の目を見て語り合って、情を尽くしたのである。するとどうだ、逢いたい会いたいと思っていたあの頃の我が思いが、まるで薄氷のように薄情けだったということが分かってくる。男が恋しい女に逢うと言うことは斯(か)くも重々しく切ないことだったのである。

この場合の「後」は、情事の後というよりま、真っ最中を指しているように思われる。

人はこころを動かす。恋しい人に動かされる。そうしてやっと、己の今日の生を確かめることが叶い、深く深く味得することが出来るのである。

この感情の動きは、権中納言敦忠が、ひとりプレイボーイだったからではないだろう。まったくそうではない者にも、それは想像の金の屏風に見えて来るもののようである。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

悪を好んでもいい。善に傾いてもいい。

2019年07月23日 09時05分37秒 | Weblog

かかかかかはひは、はひはひ、

また雨。雨が降りだした。たまたま外に出ていた。濡れてしまった。着替えて、タオルを水に濡らして、全身を拭き上げたら、さっぱりした。

もうお昼だ。冷やし中華が冷蔵庫にある。これを食べよう。

そんなに空腹でもないのだから、急がない。

人は何かを追い求める。悪を好んでもいい。善に傾いてもいい。どっちでもいい。どちらも魅力的。身を染めたものに、身が染まる。染まった色のまま一生を終える。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

空が冴えない。曇り空。じめじめしている。

2019年07月23日 05時57分39秒 | Weblog

かかな・なやや・みちあ・しれわ・やなた。

文字の組み合わせ遊びという新しい遊びをしている。ここ何回か。面白い。新天地に足を運んだようで。遊びはいろいろあるものだ。

空が冴えない。曇り空。じめじめしている。汗を掻いてもいる。背中が痒い。人間にも黴が生えるのだろうか。

お習いしている詩吟の先生のお孫さんの写真が今朝の新聞に載っていた。1才の男の子。可愛かった。見ましたよの電話を差し上げた。赤ん坊の着ている服が、先生のお手製だと知った。

人は日々何を楽しみにして生きているのだろう。そんなことをよく思う。楽しいことはいろいろあるはずだ。それを上手に取り込んで、上手に、人は生きているに違いない。上手な日と下手な日があるかもしれない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

それまでをどうやって生きているか

2019年07月23日 02時06分17秒 | Weblog

人は、いつかは、死ななければならない。威張っている人も、自虐している人も、ついには死ななければならない。そうなるともう、威張ることもない。自虐することもない。

死んで行く。死んで行ける。

それまでをどうやって生きているかだ。体で生きているか、心で生きているか。何を大事にして生きているか。粗末にして生きているか。

わたしは、願わくば、仏陀の教えを大事にして生きていたい。教えを実践実行していくのは、難しい。仏陀を仰いでいながら、実践実行が伴わないでいるのが恥じられるのだが。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする