<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

寝苦しい熱帯夜を 過ごしました やっと朝になっています

2019年07月27日 17時24分17秒 | Weblog

おおおお・おはようございます・おおおお。7月28日になっています、今日は。日曜日です。熱帯夜を過ごしました。汗が噴き出ていて、お布団の敷布もべとべとです。朝の気温でも28度あります。湿度が85%に達しています。ベランダに色とりどりの朝顔が咲いています。快晴の空が仰げます。白い雲がむっくり起き上がって来ています。

 

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竹林の朝の光

2019年07月27日 17時24分17秒 | Weblog

おおおう、おおおい、おおなんだ。

 

竹林の朝の光。何処にでも朝がある。光の朝がある。

 

私のクレヨン水彩画。

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今日のわたしの即興詩 「絶対の1」

2019年07月27日 16時58分26秒 | Weblog

今日のわたしの即興詩 「絶対の1」

 

完成に、大きい完成だとか小さい完成だとかはない。ないけれど、場所を取らず、人知れず、「小さく収まっている完成」が、あるように思える。それもあちこちに。いたるところに。

完成とは、「それでいい」ということだ。「満たすべきは満たした」ということだ。「1分の1=1」ということだ。分母を小さくすれば、分子も小さくてすむ。それで堂々の1になる。絶対の1になる。おさまる。揺らがない。まるで座禅をしている達磨だ。

それを、一筆書きの、円で表現する。円は完成をしている姿だ。始まりに始まって終わりで終わって、しかもそれが分離していない。此の世がそうであるように。大宇宙がそうであるように。わたしたち一人一人がそうであるように。

コスモスが小さな完成を見せて、わたしの秋を呼んでいる。

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「小さな完成」 N新聞に載ったわたしの投稿記事

2019年07月27日 16時46分00秒 | Weblog

「小さな完成」

 コスモスがもう咲いた。まだ7月である。コスモスが咲くのは秋だと思っていたので、先取り感がある。夏コスモスという種類かもしれない。よく分からない。色合いのいいピンクである。上品である。ちょいちょい庭に出て見て来る。その度に、この二人は見つめ合う。(片方には少しだけ恥じらいが)草丈は1mちょっと。ほっそりして華奢な茎の最上部に、小さな完成を見せる。今年初めて種を蒔いてみた。極微の種を一粒ずつ指の先に抓んで、種蒔き用のポットに蒔いてみた。やがて発芽した。まるで当番の小学生のようにして、毎日水をやって、大事に育てた。大事にされたのが分かったように、嬉しそうにすくすく育った。「嬉しそうに」はたぶんお互いだっただろう。途中で、土作りをした深い鉢を用意した。植え替えてやったら、益々それに応えて勢いを加えた。cosmosは「調和した宇宙」の義。今もその愛らしい、誇らしい「小さな完成」を、夏の風に揺らしている。

***

これは7月25日のN新聞、朝刊に載ったわたしの投稿作品である。もったいもなや、クオカード1000円分をもらった。悪いなあ。読み直してみたら、風船のように軽かった。

投稿規定字数は20字x20行の400字。字数制限内にまとめるのに苦労した。新聞の読者の声の欄は、総じて、社会を論じているが、わたしはそれが苦手だから、こんなことを書くしかない。新聞社の趣旨には反しているかもしれない。

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畑の西瓜が立てる音がある

2019年07月27日 16時18分20秒 | Weblog

いいいいい、あいいい。あの次はい。あも快楽の音、いも快楽の音。

畑の西瓜が立てる音。

傷は虫の仕業。音を聞いて我慢ができなくなったらしい。侵入を図ったらしい。未遂。

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花を咲かせないコスモスがある それもそれでいい ラスト

2019年07月27日 16時13分14秒 | Weblog

草丈は1mを優に超えている。幹も見劣りはしない。威風堂々としている。だが、花という完成を見ていない。完成を見ていないようにも見て取れる。そんなことを無視しているようにも受け取れる。

自然界はバラエテイ豊かだ。それぞれの生き方を尊重している。進化をしていく途中なのかも知れない。「この宇宙に生きている生命体の新しい未来像」という想を練っているのかも知れない。

 

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花を咲かせないコスモスがある それもそれでいい その4

2019年07月27日 16時06分47秒 | Weblog

コスモスは、しかし、花を着けないと、実を結ばない。子孫に命を伝えていけない。それでも、悪くない。その分は他のコスモスがやってくれるだろうから。わたしは、「わたしがここに生まれて来た」という事実を、ラストにする。この主義もあっていい。そんな風にも理解する。

花を咲かせないコスモス。だからといって、小さくなっていない。ふてくされているようでもない。そこがいい。彼らは義を重んじていない。そういう世界には住んでいない。人間は意味を重んじる。有意義な生き方を尊重する。「○○のために」とか「誰々のために」をとっぱらった生き方も悪くない。空で無で、潔い。

 

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花を咲かせないコスモスがある それでもそれでいい その3

2019年07月27日 16時05分27秒 | Weblog

コスモスは、しかし、花を着けないと、実を結ばない。子孫に命を伝えていけない。それでも、悪くない。その分は他のコスモスがやってくれるだろうから。わたしは、「わたしがここに生まれて来た」という事実を、ラストにする。この主義もあっていい。そんな風にも理解する。

花を咲かせないコスモス。だからといって、小さくなっていない。ふてくされているようでもない。そこがいい。彼らは義を重んじていない。そういう世界には住んでいない。人間は意味を重んじる。有意義な生き方を尊重する。それをとっぱらった生き方も悪くない。潔い。

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花を咲かせないコスモスがある それでもそれでいい その2

2019年07月27日 16時02分19秒 | Weblog

解せないことというのは、そのコスモスのうちで、花を咲かさないコスモスがあるという事実だ。体だけは一人前になっているが、ラストの花を咲かせようとしない。晩生なのかなあ、ともとれる。性格がかたくなだからかもしれない。みんな咲かなくったっていいじゃないか、と主張しているようにも受け取れる。

たしかに、「コスモスになったからには、何が何でも必ず花を着けねばならない」ということはあるまい。それを期待するのはこちらの我が儘だろう。いいのである、「わたしは咲かない」を通していていいのである。

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花を咲かせないコスモスがある それもそれでいい その1

2019年07月27日 15時52分17秒 | Weblog

解せないことがある。コスモスのことだ。種から蒔いた。発芽したら、庭に移してやったり、鉢植えにしたりしてみた。鉢植えは移動させることが出来るからだ。見たい場所で見ることができる。いろいろな色合いに咲いてくれる。好きな色を好きなところに置いて、見て、贅沢をする。

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