<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

今日は七夕さま。🎋

2019年07月06日 17時19分14秒 | Weblog

今日は七夕さま。七夕祭り。あれは幼稚園児がするもので、つるつる丸ハゲの老爺は、するに相応しからず、なのだろうか?短冊🎋に願い事を書いて飾ってはいけないだろうか?

問う。

 

 

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三歳児童のお絵描き遊びのよう。

2019年07月06日 17時08分42秒 | Weblog

昔昔描いたクレヨン水彩画。部屋に掛けてある。

三歳児のお絵描き遊びのよう。

 

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夕日が西の方から来て 庭を照らしていますから

2019年07月06日 17時06分28秒 | Weblog

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此の詩が出来るまでに1時間が掛かってしまいました。5時になっています。

外へ出てみます。夕日が西の方から来て、庭を照らしていますから。

 

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わたしの詩を書いてみたくなりました 次へ行ってみたくなったのです

2019年07月06日 17時04分44秒 | Weblog

わたしも詩を書いてみたくなりました。訳詩ではありません。連想詩です。そこから連想された詩です。

「風の乗った人」  薬王華蔵

 

風に乗ってみたかしら

乗ったらあなたは風になる

木の葉がそれを知らせんと

ふういと風を連れてきた

風に乗ってみたかしら

乗ったらわたしも風になる

梢がそれを信じてて

すういと風を連れてきた

風に乗ってみたかしら

あなたもわたしも遠くから

夜風に乗って運ばれた

小さな綿毛 たんぽぽの

風に乗ってみたかしら

翼を着けてみたかしら

風に乗ったら透き通る

風の乗ったらもう見えぬ

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詩を読むと、そこから先へ歩いて行ってみたくなる

2019年07月06日 16時17分12秒 | Weblog

同じロゼッテイの詩の、こんな別の訳詩も見つけた。

「風を見た人」  木島 始

 

風をみたひとが いるかしら?

あなたも わたしも 見ちゃいません

でも 葉っぱが 垂れて ふるえていたら

風が 吹きすぎているのです

 

風をみたひとが いるかしら?

あなたも わたしも 見ちゃいません

でも 木々が 頭で おじきをしたら

風が 吹きすぎているのです

ああ、これもいいなあ。感じるなあ。感じさせるなあ。そこからその次へ行って見たくなるなあ。

詩は入り口の門なのかもしれない。そこから入り込むようにと、誘われる。そこへ入って行く。するとすういと体が浮いてくる。体が翼を着けて来る。

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詩があると、此の世が詩の世界に変わるなあ

2019年07月06日 14時33分07秒 | Weblog

クリステイーナ・ロゼッテイの詩をふっと思い出した。今日はしきりに風が吹いている。葉を着けている庭の植物が、それに応じて揺れる。

 Chrisutina Rossetti

Who has seen the wind?  Neither I nor you;  But when the leaves hang trembling  The wind is passing thro'.

Who has seen the wind?  Neither you nor I;  But when the trees bow down their heads  The wind is passing by.

クリスティーナ・ロセッティ(Christina Georgina Rossetti/1830-1894)は、19世紀イギリスの詩人。敬虔なクリスチャン(イングランド国教会)で、敬虔主義的な作風による作品を残した。

原詩は、クリスティーナ・ロセッティが1872年に発表したナーサリーライム(童謡)集「シング・ソング(Sing-Song: a Nursery Rhyme Book)」に掲載された。原詩にはタイトルはない。

以下のように西條八十が訳詩している。うまいなあ。原詩も訳詩も、詩だなあ。1921年6月に発行された「赤い鳥」に「風」の題名で発表された。此の詩は曲にもなった。曲をつけたのは草川信。

誰が風を見たでしょう 僕もあなたも見やしない けれど木(こ)の葉をふるわせて 風は通りぬけてゆく

誰が風を見たでしょう あなたも僕も見やしない けれど樹立(こだち)が頭をさげて 風は通りすぎてゆく

いい詩だなあ。いい詩だなあ。

詩があると、此の世が詩の世界に変わるなあ。見えない世界が、ふっと見えて来るようだなあ。そこに、意思があるように思えて来るなあ。決して顔を出さない大いなるものの、その意思のようなものが。

 

 

 

 

 

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魚の干物の水彩画。いま海辺に来ている。

2019年07月06日 11時07分51秒 | Weblog

これは水彩画。魚の干物。昔昔に描いたもの。

 

こちらの気温は、26度。海風が吹いている。海へ来た。

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こんな美しい風景の中にわたしがいる。

2019年07月06日 08時45分24秒 | Weblog

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こんな美しい風景の中にわたしがいる。絵を描いてみてそんなことを思う。

こんな美しい風景を作り出して、その中にわたしを住まわせている。

あ、画像がひっくり返っているぞ。まずいなあ。だが、どうにもできぬ。

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知らされていないのが 可哀想にも思えて来る

2019年07月06日 08時36分00秒 | Weblog

手の甲に静脈の血管が浮き出ている。腕にも盛り上がっている。此処を赤い血が流れている。体の外側の見えるところにも、内側の見えないところにも、流れている。わたしが意思して、命令をして、流しているわけではなく、自律して流れている。このお陰で、体内60兆箇の細胞が、必要なエネルギーをもらって活動をしている。

血管も血管を流れる血液も、しかし、わたしがどういう人間であるかを、知らない。

知ったら、どうするだろう。することなすことの悪行悪態。煩悩の泥の中を這ってうろついてばかりいる悪たれ。己が、そういう悪たれ人間の中を流れる血だ、ということを知ったら、どうするだろう。流れるのを止めてしまいたくなるだろう。

泣くかもしれない。悲しくなってさめざめ泣くかも知れない。

今日日は泣かないで、静けさを保って、我が腕の浮き出た静脈を流れている。手の甲を紫色して流れている。

知らされていないのが、可哀想にも思えて来る。

 

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今朝のわたしの即興詩 その2 「ほんにおまえはかわいいな」

2019年07月06日 06時44分38秒 | Weblog

今朝のわたしの即興詩 「ほんにおまえはかわいいな」

 

ちりとんちりとんちんちりとん/青空を/粉にしてみせろ/

ちりとんちりとんちんちりとん/わたしが握った分の青空を/粉にしてみせろ/

 

ちりとんちりとんちんちりとん/青空が青い粉になって/手の平に積もる/

そしてそのとき/たてる声の響きが/ちりとんちりとんちんちりとん/

 

ちりとんちりとんちんちりとん/そしてまた手の平から/青空へたち昇る/

そしてそのとき/聞こえて来るのが/ちりとんちりとんちんちりとん/

 

ちりとんちりとんちんちりとん/ほんにおまえはかわいいな/

わたしの願いは/この通り/みんなみんなこの通り/

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