くしにひゆみい。呪文をかけないと、パソナからブログが立ち上がらない。
鬼ユリが開花した。夏だっ!
他所の家に咲いていたのを、写した。車を降りて。あんまりキレイだから。
鬼ユリは好きだなあ。わたしはにんげん揚羽蝶かもしれない。
くしにひゆみい。呪文をかけないと、パソナからブログが立ち上がらない。
鬼ユリが開花した。夏だっ!
他所の家に咲いていたのを、写した。車を降りて。あんまりキレイだから。
鬼ユリは好きだなあ。わたしはにんげん揚羽蝶かもしれない。
帰りがけに、大和の道の駅に立ち寄って、キクラゲをワンケース買った。250円だった。この地方の特産物。
キクラゲも薄く細く切って、さらに薄く切った胡瓜と酢の物にして食べるのが好きだ。今夜はこれを作ってもらおう。酒の肴においしい。
お腹が減ってきたぞ。大相撲テレビ観戦が終了したら夕食にしよう。
若いお父さんが、赤ちゃんを抱いて入って来た。聞いてみると、8ヶ月の色白の男の子の赤ちゃん。赤ちゃんはちっとも泣かなかった。よほど気持ちが良かったんだろう。わたしは近くへ寄って行って、「かわいいかわいい」を連発した。
赤ちゃんのお兄ちゃん(幼稚園児)もいっしょだった。出来上がった赤ちゃんをどうするのだろうと思ったら、小学校4年生のお姉ちゃんが脱衣所で迎え取った。透かしガラスの向こうで、上手に服を着せていた。赤ちゃんはここでもちっとも泣かなかった。賢いお姉ちゃんだった。感心した。
車で30分のところに古湯温泉がある。そこへ行って来た。ここへよく行く。(というよりも、他に行くところがないのだ、可哀想に)
日曜日だけあって、湯船の湯治客が多かった。入湯料は350円。駐車場も満杯だった。少し遠いところにある第2駐車場に駐めることが出来た。
混雑を予想して湯船に入って行った。数えてみたら17人が湯に浸かっていた。広い湯船が狭くなった。
姫林檎の木に登り詰めた三尺ササゲ豆が、実ってぷらりぷらりと垂れている。三尺はありそうだ。姫林檎はまだ赤くならない。小さな小さな林檎を無数につけている。眺めていて楽しい。煮て食べてもおいしい。さわさわさわと夕風が吹いて来て、揺れが大きくなった。
これはアメリカ芙蓉じゃないかな。我が家の庭に咲いた。大輪。真っ赤だ。目が覚める。
西瓜畑の向こうに立っている。西瓜が繁って、ちか付けなかった。
クレヨン水彩画。真似絵だけど。色を楽しんでみた。
写真を見て描いた。
今日は暇だあ。親子づれの新しいお客が来たけど、帰って行った。一人になった。
「産声」
わたしは悲しいことを書かない/悲しいことがあっても/それをそうとは書かない/ 悲しいことだと断定をしたくないからだ
それをそう受け止めて/鳥が巣で卵を抱くように/しばらく胸に抱いている
するとそれがある朝に/唐突に孵化している/新しい変容を遂げている/小さな産声を上げている/そういうことがある
みな変化を辿るのだ/外側が変化をしないでも/内側で変化をして行く/じっとしてはいないのだ
生き物のようにして/きっと動きを始めるのだ/その悲しみの古い細胞が/新しくなっていくのだ
***
これも新聞に投稿した詩の作品。やっぱり落選した。
新聞に投稿したわたしの詩の作品 「恋文」
「目を開けて生きているときは
せっせと恋文を書きなさい」
七月の野のユリが言います
「誰に恋文を書くのですか」
そう尋ねると
「もちろんわたしにです」
着飾らないユリは答えます
「恋文を書くということ、それが大事なことなのです」
こんなふうに念を押されます
「見るものを美しく見て、 見て見て、恋して生きなさい」
「褒めて讃えて尽くすのです」
なんとまあ 彼女はしつこいのでしょう
「死んだら書けません」
「はいそれは分かっています」
「 あなたは生きているでしょう」
「だったらずっとあなたは、美しい恋文を書き続けなさい」
「それが 生きているということです」
彼女はその小さな口で こう言い張るのです
*
<七月の野のユリ>とは鬼百合のことです
わたしの庭に美しく哀しくいとしく咲き出しました
<鬼>の顔はしていません
わたしの大好きな夏の花です
近くの城原川の川土手には、これが群落を作っています
黒揚羽が来ています
その美しさを褒めるために集まって来ています
その一点で一致して、わたしも仲間に入ることを許されています