耳が痒い。思い出したように痒くなる。耳掻きが欠かせない。内耳の垢がたまると痒くなる。これを耳掻きで削ぎ落とす。これで痒いところがなくなる。すっかりする。痒いのも悪くない。瞬間の憂さ晴らしになる。
ほ。お日様だ。お日様が射してきたぞ。お縁側がほっかりほっかりしてきた。猫はベランダの濡れ縁に陣取って日を浴びている。顔洗いをしながら。
吉兆吉兆。吉なる兆し。何がどうあっても吉なる兆し。此一辺倒の世界に息をしている。そこへこの通りのあたたかい日射し。冬の日射し。寒いからこそのあたたかさ。
生まれて来たのも吉兆、老いていくのも吉兆、病むのも吉兆、死んで行くのも吉兆。それを通してその次へ向かうのだから。その次の明るさに向かうのだから。
1
AがBになり、さらにCになる、そういう方向性はないのだろうか。 AがBになり、Bが元のAになる、とばかりは言えないのかも知れない。Cは行為主であり、この生命宇宙の主宰者である。
2
わたしはにんげんになった。にんげんを完了してAに戻ることになる。法然上人も浄土に帰る、と言う言い方をしておられる。浄土還元である。
3
しかし、Bの立ち位置は今回で終わりであるとする説、一生補処(いっしょふしょ)の想定がある。彼は、もと来たところには回帰せず、更にこの先の進化を辿るのである。
4
禅の悟りでいうところの「解脱」は、サイクル周遊を逸脱して、次の高次の周遊に着くという方向性を持つ。太陽系の周回を脱して次なる恒星の重力引力に引かれて行くのである。
5
AもBもCに吸収され合一する。Aであって、BであったものがCになる。AもBも経過する点の点在に過ぎなかった、という考え方である。であれば、CもまたCに留まらないのかもしれない。Dに移行する含みを内在しているのかも知れない。
6
DはEを内在させ、EはFを内在させているというふうに。逆戻りをしないで大きな一本の道を歩き進めていく。この考え方は明るい。さぶろうは此に共鳴賛同する。
7
宇宙生命体は須(すべから)くこうした向上進化を辿って行くように思われる。直線ではないかも知れない。じぐざぐしているのかもしれないが。大局的には向上進化の一直線であるのかもしれない。
1
わたしをにんげんにしてくださった。わたしがにんげんになるにはどれだけの条件が満たされねばならなかったのだろう。あるとき条件が満ちたのだ。それを阻止するどれだけの艱難を乗り越えねばならなかったのだろう。その努力に邁進したわたしがいたはずである。それをクリアーした。いまわたしはにんげんになっている。
2
AからBになるのなら、わたしはもともとAだったはず。ではいずれBが終わったら、またAに戻って行くことになるだろう。わたしのAはどんな姿をしているのだろう。姿なんか持たないのかも知れない。
3
わたしをにんげんにしてくださった。その行為主がおられるはず。わたしを相手にして下さった方がおられるはず。すべてはその方のご努力だったのだろうか。そのはじめにわたしの意思というものがあったはず。にんげんになろうという意思が生まれていたはず。その意思の誕生すらが、行為主の計らいだったのだろうか。
4
わたしはともかくAからBになった。わたしはいまBの立ち位置にいる。BからAに戻るには、では、どうなるのか。どうすればいいのか。それを拒否できないとすれば、わたしは従順になるほかないだろう。
5
しかし、わたしはわたしの意思でもって死ぬのではなくて、死なしめられるのだろうと思う。そこにわたしの努力はいらないように思う。では、生まれしめられたときもこうだったのだろうか。Bはもうすぐ元のAに帰っていくことになる。
6
肉体ごとBに戻って行くことにはならない。肉体は置いて行くことになる。ではこの肉体はBでいる間の存在用器具だったのだろうか。ずいぶんと使い古してしまってすっかり老いている。眼も見え辛くなっている。歯も欠片だらけだ。その分、それを庇うように、愛着が積もっているけれど。
7
わたしは、わたしをにんげんになさしめた尊い方、力ある方を持っていた。その方はいまもわたしとともにおられるのだろうか。AのときにもBのときにもここにいてくださっているのだろうか。ずっと通貫しておられる方なのだろうか。片方の時にだけということは、よもや、ないはずである。
夜の内にも雪が降るかと思っていた。目覚めた。雪は降っていなかった。寒いのは寒いが、隣家の屋根には霜も下りてはいないようだ。
厚手のジャンパーを着込む。この冷えは吊した干し柿にはプラスに働くはず。白菜にも。白菜は寒さに遭わないうちは、硬い。
昨夜夕食に、摘んで来た韮を食べた。豚肉で炒めてもらって。食べられないほどの堅さではなかった。ほっとした。食べてあげないと韮の命を粗末にしたように思ってしまう。