<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

虚の時間

2016年01月20日 06時18分18秒 | Weblog

しばらくあなたの隣にいたい、いていい? だなんて言うんだもんねその人は。歌謡曲の歌詞を覚えて来たみたい、だった。人はときどきそんな気分になることがあるらしい。さぶろうにだってある。さみしいときがある。隣の人の重さを借りるとそこでやっとバランスがとれて来るのだろうか。虚が実になるのだろうか。近くに青白い顔が来た。垂れた髪の間に彼女の二つの黒い瞳があった。瞳を見つめた。しばらくして安堵が浮かんだ。唇がうっすら赤い灯台になった。干潟に潮騒が満ちて来る音が遠くから聞こえて来た。引き潮が満ち潮に反転する間に虚の時間がある。人にもそれがある。

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死は天才級である

2016年01月20日 02時46分28秒 | Weblog

死は天才級である。死は人にこころを生ましめる天才である。人が死ぬとその後にこころが芽生えている。弟が死んだときもそうだった。残された兄にこころを芽生えさせた。やっとやっと兄にこころが芽生えた。遅い遅い春になつた。遅い遅い春が来て兄の野原にこころの草が青く悲しく芽生えたのだった。たいした弟だった。ここでも死が天才級の役を果たしてのけた。

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死と悪とは大切な役を演じている

2016年01月20日 02時02分31秒 | Weblog

新見南吉は狐のゴンをして兵十のこころをこころたらしめた。そしてまた兵十をして狐のゴンのこころをこころたらしめた。いたずらもののゴンと愚直な兵十との間にこころが通い合って行く。そして熱くたぎる。沸き立つことになる。ここまで来るのに兵十のおっかあが死なねばならなかった。そして物語の主役のゴンがこともあろうに兵十の鉄砲に撃たれて死なねばならなかった。こうして死が狐と人間にこころを生ましめたのだった。死が無駄にならなかったのである。死が目覚ましい活躍をしてのけたのだった。それが物語をうつくしく紡ぎだしてくれた。これは南吉のお手柄だった。しかしその両者ともそこに悪が介在した。罪悪がそれぞれをさいなみ続けねばならなかった。悪がものの見事にひっくり返ったのだった。死と悪と罪と誤解が大切な役目をしたのだった。

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