<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

偽物

2014年12月21日 14時28分25秒 | Weblog

どうも負け犬の遠吠えに聞こえるなあ、さぶろうの言っていることは。音量も弱いなあ。打って出るという積極性に乏しい。ドラマチックさがない。裏技をひねり出しているようで、堂々たるところがない。彼は正統派でないぞ。

自分はただ寝っ転がっておいて、たまさか届けてもらう分を宝ものにしてよろこんでかかる。そしてこれを飴玉のようにして長く味わい尽くす。これだ。

さぶろうは、人様のようにふんだんに宝物を獲得できないので、それで宝物と見えないものを宝物に見立てているようだ。他人様の目からすれはこれは偽物だ。偽物でよろこんでいるというところがいかにもみすぼらしい。

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消極実践

2014年12月21日 12時14分05秒 | Weblog

「こちらからは何処にも出て行かぬのだからなあ。向こうから届けられるもので間に合わせないとなあ。だなあ。だなあ」ここはさぶろうの独白。

「さぶろう、今日が今日お前のよろこんでいるものは何だ?」それを聞いて問いを発したのは風神である。雲を動かしている風の神さまである。 

「こちらが外へ出て手にするものはございませぬ」

「だろうな。行くあてもないのだからな」

「へえ、そういう次第で向こうから届けられるもので間に合わせないといけませぬ」

「ほお、向こうから届けてもらうほどにお前はそんなに奇特なのか?」

「へえ、奇特であります」とさぶろうは答えた。所有してもいず、所得しにも行かぬのであれば、届けてもらうしかないのだ。頂くしかないのだ。そしてそうしてもらっているのだ、と。

さぶろうはここへ「以仏神力 利益衆生」の偈を持ち出して来た。これはこう読まねばならなかった。「仏の神力を以て衆生を利益(りやく)すべし」 仏さまがお前さんに神力を提供してくださるとお申し出だから、行って勇気をふるって衆生を利益して来なさい、と。衆生を利益するというのは利他行動のことである。利他の積極実践である。

彼はこれをひっくり返した。自分をその利益を頂く側に立たせてみた。すなわち、多くの衆生がさぶろうを利益してかかっているはずだと推測してみたのである。自分は衆生の一人だから、仏の神力でもって利益をしてもらっている、と受け身に解釈したのである。彼は是を「消極実践」と呼んだ。受領することも実践である、と。

それにしてもさぶろうがよろこんでいることは高が知れている。外へ出て行って活躍している人たちのそれと比べたら、微量だ。みすぼらしいくらいだ。で、彼はこれを嘗めるようにして味わった。味わうというそこの部分を手厚くした。これが奇特の内容だった。さぶろうは縁側で日向ぼっこをしていた。光が彼の足下に届いて彼をあたためた。

 

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これは仏さまのお仕事である

2014年12月21日 11時46分15秒 | Weblog

自帰依仏 当願衆生 体解大道 発無上意

これは三帰礼文(さんきらいもん)のその1である。

みずから仏に帰依したてまつる

まさに願わくば(われら)衆生(みな) 大道を体解(たいげ)して 無上意を発(おこ)さん

衆生とはこの宇宙界に生きとし生きるものすべてだから、人間はもとより虫鳥魚獣、山川草木、流れる水も雲も星々も含まれている。大きな道、大道とは仏道のことである。体解とは身心全体で理解して実践することであろう。無上意とは仏に成ろうという意欲のことであろう。

では、願っていればそうなるのか。大きな道を体解できるのか。無上意を発心して成仏を果たせるか。仏に帰依したものは自ずからにしてこれが成就完成する。いな、そのもっと以前の段階で、この世に誕生する以前から、しかあらしめられているのである。帰依を完了しているのである。完了してはじめていのちあるものとさせられるのである。「自帰依仏」をそういうふうに解釈してみた。これだとみすぼらしいさぶろうでも安心がいくのである。

あとはよろこんでいるだけである。この仕組みをよろこんでいるだけである。これは人為ではなく、仏為である。仏さまのお仕事なのである。仏さまもさぶろうが成仏することをよろこんでおられるのである。だから、ここでこうしてよろこぶさぶろうをよろこんで見守っておられるのである。

生死の中に仏あれば生死なし。わが生死も仏さまの術中であるから、怖れるところはないのである。

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上等上等

2014年12月21日 09時43分56秒 | Weblog

鼻水がとまらないのでちり紙がなくなってしまう。寒い寒い寒い。ふううんふううんと気張るので鼻の奥が痛む。金柑の実漬けを作って、熱湯にこれを浮かせて蜂蜜を注いでふうふうして飲んだらよかろう。庭の金柑の実が今年は太ってまんまるできらきらして上等上等。

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触れて撫でてさする

2014年12月21日 09時28分09秒 | Weblog

触れて撫でてさする。わがスピリット(霊格)に触れて撫でてさする。抽出して手の平に掬ってふうふう息を吹きかける。ゆっくり回して転がして四方から眺めてみる。こうして是をいとしむ。さぶろうのいのちの中心軸上にあって活動する主人公さまを愛しむ。これは宇宙のコアからお預かりしているものである。仏陀から授けられているもの、仏心である。分身である。修行分身である。証拠する験者である。大切にせねばならぬ。成長成育させていかねばならぬ。向上の一途を辿らせていかねばならぬ。これに触れてこれを撫でてこれをさする。

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長く生きたと思う。奇跡的だと思う。

2014年12月21日 09時05分28秒 | Weblog

腰の椎間板ヘルニア症状が軽減したので、もう室内での杖はつかなくてよくなった。トイレへも歩いて行ける。辛抱して安静を保っていたからだろう。吉祥吉祥。有り難い。今日くらいは玄関を出て庭先を散歩してみようか。買って来ているアネモネ、テッポウユリ、チューリップの球根も土を掘って早く植え付けてしまわなくてはならないが、この植え付け作業はまだちょっと無理だろう。寒い。今朝も霜が降りて屋根に張り付いている。

長く生きたと思う。奇跡的だと思う。陰に陽に片時も措かず守って護って導いて支えて後押しをしてもらったお陰である。ご恩を思う。であればなおおさらにこれからを大切にせねばと思う。どうやればいいのか。

にっこりしているといいだろう。降り注いでくる光に包まれてあたたまっていればいいだろう。魂をよろこばせるようにしたらいいと思う。身体を含めた全体のおいのちがしみじみとこの世に生きているよろこびを噛みしめるようにしたいと思う。自分が何かの行動に出なくともいい。出た人の行動を見守っているのもいい。自然界の美しい風景を観賞しているだけでもいい。仏陀を仰いでいればそれでよろこびのど真ん中なのではないかとも思う。この年齢になるといろいろ思うことばかりだ。

 

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