<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

垂涎

2014年12月19日 12時21分39秒 | Weblog

いい気持ちになると垂涎(すいえん)する。涎(よだれ)が口元から知らず知らず流れ落ちてくる。じゃ、どんな場合にそうなるか。

1,おいしいものを食べたとき。(たとえば安納芋の焼き芋の蜜が出ているのなんて)これは肉体の口から零れるだろう。

2,お釈迦様に褒められたとき。(えっ、そんなときがあったの? いや、想像をしているだけだ。そうだといいなって。でも褒められるようなことができるんだろうかね)この場合は魂氏の口から涎がナイアガラの滝のようにどっさり零れるだろう。

3,やさしいおんなのひとにふんわり抱きすくめられたときに。(死後に天女だとか守護天使だとかが花園に来て迎え取ってくれるはずだ。約束ができているのでこれは確実)こうなれば胸のハートについている唇から垂涎するだろう。

4,してはならないお昼寝をしたとき。(授業中に先生の目を盗んでしてたな。机の上にほんとうに涎が垂れていて、それを隣の席の女の子に見られるととっても恥ずかしかった)これも肉体の口から。

5,按摩さんに行って背中を揉んでもらって気持ちよくなったとき。(涎を垂らしながら入眠してたようだ)これも肉体のレベルの営為。

6,お母さんが母性を発揮して庇ってくれたとき。(お父さんに叱られて泣き泣きしていると間に入ってくれて、幼児の僕は背中に負ぶってもらった)これは快感という感情部位のすることだったのかな。

7,肉体から精神が解放されるとき。つまり死んだ瞬間に。(束縛を離れて自由の身になるのだから、そりゃ嬉しいに決まっているよね)脳内の快感ホルモンがまず反応して全体がくったりとなるだろう。それからこの快感ホルモンは地上から遊離したスピリットの中をも流れて行くだろう。

8,光の宇宙空間を遊覧飛行しているとき。(いのちの向上レベルがどんどん上がって行って僕はレベル7~レベル10にまで高くなっている。そこでしか味わえないよろこびをよろこんでいる)ここまで来ると仏陀が垂涎をしていることになるだろう。仏陀は人間のいのちをここまで高くすることによろこびを感じている存在だから。

9,「きみが大好きだよ」「きみを待ってたよ」「きみに会いたかったよ」と言って向こうの方からこっちへ走り寄って来る人を見つけたとき。(えええっ、そんなハプニングを望めるのかな?) 願望が大きな口を開けてそこから涎をこぼしてしまうのかな。

10,かなしみをかなしんでいるのではなくて、そこを超克して、よろこびをよろこんでいるとき。(案外難しいことなんだよね、これが。よろこびなんてこの世に居る間に沢山沢山用意してあるのに、それをそうだと認識して受容し、やすらぎの天地空間に至ることは至難の業である)やっとここまで来られたねって言って感動が涙と涎をこぼしている。

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大威張り屋の留守の合間に

2014年12月19日 12時10分42秒 | Weblog

やややっ、目白たちが下りてきたぞ。久しぶりだな。半分に切って梅の小枝に刺してある蜜柑を啄んでいる。嬉しそうだ。するとそこへいきなり体のでかいヒヨドリが舞い降りてきて、せっかくの目白を蹴散らしてしまった。ここはおれさまの縄張りだぞ、彼は威張ってみせる。威張った奴は大嫌いだ。でも、好き嫌いの目で自然界の動静を見るのはそれよりももっと悪いことだ。蜜柑はどっさり提供してある。目白たちは大威張り屋の留守の合間にまた戻ってくるだろう。

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ぽっかりとした静寂

2014年12月19日 11時51分01秒 | Weblog

ヒヨドリが庭の高い木の上にとまってヒーヨヒーヨと甲高く鳴いている。屋根に張っていた霜もあらかたは解けた。光が撥ねている。さぶろうは腰痛を発症してどこへも出て行けない。明るくなった窓の外を室内からぼんやり眺めているきりだ。堅くて重い肉体の中にとどまっていなくてすむのなら、よく晴れた青い冬の空へ浮かんでいって上空から丘や森や湖や平野や平野を流れ下る川を、すういすうい旋回しながら眺め下ろしていたら、どんなにか気持ちがさっぱりするだろうかと考える。もうすぐお昼だ。台所のテーブルの上に焼いたトーストが置いてある。これにはバターと蜂蜜が塗ってある。一人居てなんにもしないでじっとしているから、そうそう空腹も覚えていない。ヒヨドリはもうどこかに去って行ったらしく、ここにあるのはぽっかりとした静寂だけだ。

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さみしいなあ

2014年12月19日 09時00分32秒 | Weblog

さみしいなあ。この感情に片方の腕を捕まりそうになる。振り切って逃げる。逃げおおせない。粘着性の強い感情の長い触手がアメーバ状に空間へにょろりと延びてくる。これがさぶろう全体を包み込んでしまってもう冬の空も見えなくしてしまう。さみしいなあ。彼はこれを呟いているしかなくなってしまう。檻の中の熊になってうろうろとする。ふいに若い頃にそうであったように、女の人のやさしい美しい肌を欲しがる。擦り寄っていって甘い匂いを嗅いでいたくなる。これが果たせればここから脱出できるという淡い希望が首を擡げてくる。この老体だ。現実化はしかしすこぶる困難だ。困難以上だ。絶望的だ。代わりを探すしかない。いや、それが唯一の解決策だと直感したこと自体ひどく屈辱的だとも思えて来る。長年月を生きて来て、お前まだそんなところを徘徊していたのかという嘲笑が聞こえてくる。老体の自分がいまだもって肉体の欲求段階に居留しているのがひどくみすぼらしく哀れに思えて来る。見ろ、手の甲にもそれを支えている腕にも沖から沖から皺の波が寄せているではないか。顔を鏡に映してみればこの惨憺たる窮状は熾烈だ。半死の状況を見せている。どう見たってここで起死回生を計ることなどはできっこない。この段階は疾うに通り越してしまっている。問題とすべきは、ここではない。肉体を満足させることではない。違う違う違う。彼は否定を強くする。魂が空腹なのだ。魂が旧態依然として貧乏をしているからなのだ。ここへ至り着く。さぶろうは魂を取り出して手の平に乗せてみた。手の平に乗った魂は、背の丈10cmほどで痩せて寒そうにして震えていた。

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