彼はそれをどうしても欲しいと思っている。でも高価だ。仕事をしていた頃の一月分の給料にも匹敵する。そんな大金は、無職の彼にはおいそれとは作れない。どうしようかと思った。それはやや大きめの翡翠の曲玉だった。彼は店先のガラスケースを見続けた。曲玉は一つの円の内部に身を曲げて潜伏している精神の形をしている。陰と陽の二つが抱き合うようにして出立を覗っているところがある。精神は精であって神である。そういうふうに受け取っていた。肉体を離れたいのちの中心核は、この世を離れて旅立つ。宇宙を彷徨する。瞑想に次ぐ瞑想をして思辨の花奥の深まりはいよいよに深まっていく。その姿を翡翠の曲玉に重ね合わせた。彼はしばらくしてこの店を離れた。もちろん手に持っているのはいつもの障害者用の杖だけであった。ほんとうに欲しい物で、それがほんとうに必要であるのなら、それはいつか必ず自然に懐に入るはずだとそう思って、その場のあきらめを果たしたのだった。
昨日の午前中にK氏が訪ねて来た。古高菜の漬け物を樽から上げたので食べてみてくれ。彼はこう言った。ビニール袋にそれが見えたが、古高菜漬けは臭(にお)った。さぶろうは臭いのは苦手だ。でも、「臭いから結構だ」とは言えなかった。それでは善意を無視してしまうことになる。かといってそれを食べずに捨ててしまうのであれば、もっと悪辣になる。さぶろうは困ってしまった。彼は、だから「すまぬなあ」とだけ言った。これはどっちにもとれる表現だった。ありがとうという感謝の意味にも使えたし、申し訳ないという言い訳にも訳せるものだった。油炒めにするとおいしいはずだったが、そこまでするまでに手先がその臭みにまみれてしまって、なかなか消えないということもこれまでの体験で知っていた。で、結局その古高菜漬けは台所に放置されたままになった。臭気が蔓延して、友情の履行を促してきた。
冬が過ぎて春になるようなもんですから、ご心配になることではありませんよ。ごくごく自然な成り行きというもんですよ。季節は巡ります。ずっと桜の咲く春に居続けようというのも分からないではありませんが、夏にだって秋にだって、いえいえ冬にだってそれぞれ特有の花は咲きますからね。そうでしょう?
なんの話かと思ったら、人間が肉体を死ぬことについての話だった。冬で終わりだなんてことはないのに、肉体の死をそういうふうに限定的に観てしまうというのがあなた方人間の短所でしょうなあ、とジョウビタキ氏は言うのだった。しかしそれも仕方がないところがありますけどね、と同情もしてくれたのだが。仕方がないという部分は、春夏秋冬を通して見えないという点だった。その季節季節を生き抜くことで精一杯なので、そこで記憶が飛んでしまうのだった。まるで電気のヒューズが切れてしまうように。
あなた方人間は死んだらそれでおしまいだと早合点しているところがある。だから、今生の一回きりのうちにあれもしたいこれもしたいなどと欲を張る。欲張った方が勝ちだと言わんばかりに急ぎ働きをする傾向がある。続きがちゃんとあるんです。用意してあるんです。この世のことだけに執着することはないんです。もっと気長にやれませんかねえ。余裕を持っていられませんかねえ。
ジョウビタキ氏は見るからにほあんほあんしているから、言っていることがあまり信憑性がない。ほんとうかどうか疑いたくなる。といっても人間の思考形態の90%近くはその疑いで構成されてはいるんですから、人のせいにはできませんがね。
ここは自然界が提供しているよろこびをよろこぶところなんですよ。彼はそんなことを言いだした。よろこびはすでに準備完了されているので、ここの住人はただそれをおいしく消化するだけでいいというのだ。そうでないともったいないというのだ。それには手も着けずに、目もくれずに、自分の手で製作した製品の自慢話をもって、それをよろこびにかえているたって、それは了見が狭すぎていますよ、と言うのだ。ジョウビタキ氏と日頃あれこれ信頼と常恆を厚くしているさぶろうでさえも、この話は半信半疑だった。
しばらく水に湿らせておいたアネモネの小さな球根を庭先の花壇に植え付けていたときのことです。木枯らしが吹いていましたから、さぶろうは鼻水を垂らしています。麻痺の脚は体重を支えきれませんから、どっこいしょで、風呂場に使う丸椅子にかけています。そこへあのジョウビタキがひらりと飛んできて、1・5mほどの竹の棒のとっぺんさきに止まりました。尻尾と頭と羽をしきりに動かして来意を告げています。「や、とうとう風の中へお出ましになりましたな」「ほ、感心ですな。春になればここへ花を咲かそうというんですな」
さぶろうは彼の方へ目をやりました。彼はいっそう忙しく尻尾や羽や頭を動かします。この山鳥はほんとうに人間を恐れていません。情が深くこまやかです。
これは、さぶろうが腰痛になるほんのちょっと前の夕暮れ時のことでした。さぶろうは今日は寝込んでいますので、窓の外の様子がわかりません。ひょっとしたらもう何度か窓の外のベランダに置いてある自転車の、ハンドルあたりまで見舞いに来てくれたのかもしれません。
えええ~ん、え~ん。いてててて、いてててて。ひーっ、ひーっ。
泣きべそかくなよ。木枯らしの吹き荒らす寒い日に、老体に鞭打って重いものをかかえるからだよ。
昨夕、庭に出て、クロッカスの球根を植えた重たい丸鉢をちょいとだけ運搬した。たったの2mくらいだよ。そうしたらそれを下ろそうとしたときに、すかさず腰に電気がばびりばびりと走った。万事休す。悲鳴を上げてその場に座り込んだ。もう動けない。助けを呼んでいざりながら、顔面蒼白になって家の中に入った。即、布団を延べてもらって頓挫した。安静を保って天井を見上げる。ふうう~っと溜息が出る。
で、それからはずっと寝たまんま。放尿は溲瓶を使った。布団の中から両手を差し上げて、眠られぬままに、軽めの本を掴んで読書をする。これは許される。
もうすぐお正月が来るというのにどうしよう。このざまじゃ、年越しだってままならぬだろう。しかし、覆水盆に返らず。嘆くなさぶろう。痛む腰の部位に湿布薬を貼ってもらって耐えている。