今朝のS新聞の投書欄にあった言葉を書き留めました。81歳になられる女性の方の投書でした。
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「人は苦しんでやさしくなり、やさしくなって感動し、感動して成長する」
これは禅の言葉だそうです。この言葉が最後に添えられていました。目がここで立ち止まりました。
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語源を知りたくて、ネットで探してみましたが、辿り着けませんでした。
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AがBになり、BがCになる。繋がっている。結局は結果Cの原因はAだったということになる。Bはその途中経過地点にある。
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この禅の言葉の場合では、「人が苦しむこと」が原因のAである。「人が成長すること」が結果のCになっている。
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Aの段階にいるときには、Cは見えない。Cは見えないが、Bがうっすら見えて来る。蜃気楼のように浮かび上がって、手を振って誘いかけている。
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AもBも長い時間で長いコースだ。そこを歩き続ける。無我夢中で歩き続けると、あるときふっとCの領域に踏み込んでいる自分に気付く。涙がひとすじ頰を零れて落ちる。
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とどのつまりが、涙のひとすじのためだったのか。ひとすじの落涙の中で、来し方のすべてが雲散霧消する。生きて来た長い長い道程が、蒸発して霧になって消える。さわやかな朝の大空が広がる。
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苦しんで苦しんで苦しむ。長い間、苦しんで苦しんで苦しむ。悲しんで悲しんで悲しむ。長い間、悲しんで悲しんで悲しむ。トンネルの暗さがいよいよ暗くなる。へとへとになる。もう歩けなくなる。
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と、そこへふっと異物が混入する。化学変化が起きる。異物だったやさしいこころが、天空から混入して来る。次の化学変化がまた起きる。生きているという感動が、地下深くから混入して来る。
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