皆さんは「報恩講」という言葉を耳にしたことがありますか?
「報恩講」とは浄土真宗で使われる言葉です。
浄土真宗の祖とされる親鸞上人が11月28日に亡くなったことから、
「親鸞上人の恩に報いる」という目的で、お念仏を唱える法要が
行われるようになったそうです。
昨日、一昨日と私の地元のお寺でもその報恩講の法要が行われました。
父はその寺院の檀家総代をしていることもあって、
受付のお手伝いをさせてもらっています。
そして私も連日お参りをさせて頂きました。
まず数人の僧侶たちによる読経(私達も一緒に唱えます)の後、
「お説教」と呼ばれる法話があり、講師の先生が来られて、
仏様やお念仏のことを説かれます。
今回の講師は北海道のニセコというところから、はるばる来られた32歳の若いお坊さんでした。
ニセコといえば、夏に旅行した折に通ったところで、
懐かしい北海道の風を運んできてもらったような気がしました。
お話は自身の子供の頃の体験談や檀家さんのことなど、
わかりやすい内容で、またわざわざ持参されたギターの弾き語りなどもあるなかなかユニークなものでした。
途中1回休憩があり、恒例の大根だきが振舞われます。
厚さ5センチくらいの大きな大根と大きな油揚げが
お椀に盛られています。
この大根だきは私達地元の檀家の女性たちの奉仕ですが、
ありがたいお説教の合間にいただく熱々の大根の味は、お汁がよく沁みていてまた格別のものです。
一切れの大根にも、なんか有難い!という気持ちになったりして・・・
お話の中で、印象に残ったことをひとつ書いておきましょう。
それはこんな内容でした。
檀家さんのお家の57歳の奥さんが手の施しようのない癌におかされて、ご自分の死期を悟られた時、ご主人や子供さんやお孫さん、一人一人の名前とこんなことを書かれていたそうです。
「私がいなくなっても、淋しがらなくていいですよ。
私はいつもお念仏の中にいますからね。」って・・・
浄土真宗では、日頃お経の中に、「南無阿弥陀仏」という言葉が
よく出てきますが、これがお念仏というもので、
「南無阿弥陀仏」と唱えることで、仏様や亡くなったご先祖様達が
私達、生きている者をいつも見守っていて下さるのだそうです。
なかなか心に響くいいお話で、それなら、亡くなった私の母も
私が「南無阿弥陀仏」と唱えることで、いつもそばにいて
見守ってくれているのでしょう。
そう思うと、なんか勇気が沸いてくるような気がします。
というようなことで、ちょっと仏教の中に身をおいた、なかなか有意義な
2日間となりました。
ところで、ちょっと追加です。
先日短冊に描いた紫色の豆のことをインターネットで調べてみました。
「山野草 紫色の豆」というような感じで検索してみたところ、
次のようなホームページが見つかりました。
写真が出ていて、私が描いた植物によく似ています。
ただ、「枝豆くらいの大きさ」とありますが、こちらはもう少し小さいものでした。でも、たぶんこの植物でしょう。「ノササゲ」というらしいです。
たけぽの「平常心是道」というブログです。クリックしてみて下さいね。
今回の記事、なんかだらだらと書いて長くなりました。
どうぞお許くだされ!
「報恩講」とは浄土真宗で使われる言葉です。
浄土真宗の祖とされる親鸞上人が11月28日に亡くなったことから、
「親鸞上人の恩に報いる」という目的で、お念仏を唱える法要が
行われるようになったそうです。
昨日、一昨日と私の地元のお寺でもその報恩講の法要が行われました。
父はその寺院の檀家総代をしていることもあって、
受付のお手伝いをさせてもらっています。
そして私も連日お参りをさせて頂きました。
まず数人の僧侶たちによる読経(私達も一緒に唱えます)の後、
「お説教」と呼ばれる法話があり、講師の先生が来られて、
仏様やお念仏のことを説かれます。
今回の講師は北海道のニセコというところから、はるばる来られた32歳の若いお坊さんでした。
ニセコといえば、夏に旅行した折に通ったところで、
懐かしい北海道の風を運んできてもらったような気がしました。
お話は自身の子供の頃の体験談や檀家さんのことなど、
わかりやすい内容で、またわざわざ持参されたギターの弾き語りなどもあるなかなかユニークなものでした。
途中1回休憩があり、恒例の大根だきが振舞われます。
厚さ5センチくらいの大きな大根と大きな油揚げが
お椀に盛られています。
この大根だきは私達地元の檀家の女性たちの奉仕ですが、
ありがたいお説教の合間にいただく熱々の大根の味は、お汁がよく沁みていてまた格別のものです。
一切れの大根にも、なんか有難い!という気持ちになったりして・・・
お話の中で、印象に残ったことをひとつ書いておきましょう。
それはこんな内容でした。
檀家さんのお家の57歳の奥さんが手の施しようのない癌におかされて、ご自分の死期を悟られた時、ご主人や子供さんやお孫さん、一人一人の名前とこんなことを書かれていたそうです。
「私がいなくなっても、淋しがらなくていいですよ。
私はいつもお念仏の中にいますからね。」って・・・
浄土真宗では、日頃お経の中に、「南無阿弥陀仏」という言葉が
よく出てきますが、これがお念仏というもので、
「南無阿弥陀仏」と唱えることで、仏様や亡くなったご先祖様達が
私達、生きている者をいつも見守っていて下さるのだそうです。
なかなか心に響くいいお話で、それなら、亡くなった私の母も
私が「南無阿弥陀仏」と唱えることで、いつもそばにいて
見守ってくれているのでしょう。
そう思うと、なんか勇気が沸いてくるような気がします。
というようなことで、ちょっと仏教の中に身をおいた、なかなか有意義な
2日間となりました。
ところで、ちょっと追加です。
先日短冊に描いた紫色の豆のことをインターネットで調べてみました。
「山野草 紫色の豆」というような感じで検索してみたところ、
次のようなホームページが見つかりました。
写真が出ていて、私が描いた植物によく似ています。
ただ、「枝豆くらいの大きさ」とありますが、こちらはもう少し小さいものでした。でも、たぶんこの植物でしょう。「ノササゲ」というらしいです。
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今回の記事、なんかだらだらと書いて長くなりました。
どうぞお許くだされ!