久しぶりに、近所の老舗米屋のご主人森さんの話を聞きたくなってお邪魔した。森さんは僕の高校の大先輩でもあるが、ただの米屋のオヤジではない。※「米屋とパイロットときりしたん」参照
森さんはわが街・京町の生き字引のような人で、京町のこと、住人のことなど話し始めると次から次に芋づるのように話題は尽きない。今日はそんな森さんの意見を聞いてみたいことがいくつかあった。
その話題と話の概要は次のとおり。
1.米相場の旗振り通信
江戸時代から明治・大正初期まで、投機目的で大坂の米相場を一刻も早く伝達するシステムとして旗振り通信が各地に存在した。しかし、九州では久留米、大川から南には旗振り通信の中継地点があったという史料は見出せない。米相場の伝達にはもう一つ米飛脚という手段があり、堺屋という飛脚屋が熊本辺りまで営業範囲にしていたことがわかっている。熊本は米飛脚に頼っていたのか、本当に旗振り通信はなかったのか、米を扱う商売の森さんの意見を聞きたかった。しかし、森さんは米相場伝達システムについて聞いたことがないという。ただ、大坂から熊本までの距離を考えると旗振り通信の情報の信頼性には疑問があるとのこと。
2.京町濱田屋
西南戦争の貴重な史料となっている「吉田如雪の明治十年日記」の中に、如雪本人が京町濱田屋の湯に行き、そこで熊本城本丸からの出火を目撃する場面がある。その京町濱田屋というのがどこにあったどんな店舗なのかがわからない。昨年一度、森さんの意見を聞いたことがあった。如雪が見たのは三階からとあり、三階建てとなると妓楼か料亭だろう、場所は出火を目撃した方向や位置関係などから京町1丁目と2丁目の間辺りが怪しいということになった。今日は、西南戦争で京町遊郭が焼失後、新たに二本木に遊郭がつくられる時、いち早く妓楼建設に着手した濱田屋というのが京町濱田屋と同一の経営者ではないかという話になった。
他にもいくつかの話題があったが、また別の機会に。
森さんはわが街・京町の生き字引のような人で、京町のこと、住人のことなど話し始めると次から次に芋づるのように話題は尽きない。今日はそんな森さんの意見を聞いてみたいことがいくつかあった。
その話題と話の概要は次のとおり。
1.米相場の旗振り通信
江戸時代から明治・大正初期まで、投機目的で大坂の米相場を一刻も早く伝達するシステムとして旗振り通信が各地に存在した。しかし、九州では久留米、大川から南には旗振り通信の中継地点があったという史料は見出せない。米相場の伝達にはもう一つ米飛脚という手段があり、堺屋という飛脚屋が熊本辺りまで営業範囲にしていたことがわかっている。熊本は米飛脚に頼っていたのか、本当に旗振り通信はなかったのか、米を扱う商売の森さんの意見を聞きたかった。しかし、森さんは米相場伝達システムについて聞いたことがないという。ただ、大坂から熊本までの距離を考えると旗振り通信の情報の信頼性には疑問があるとのこと。
2.京町濱田屋
西南戦争の貴重な史料となっている「吉田如雪の明治十年日記」の中に、如雪本人が京町濱田屋の湯に行き、そこで熊本城本丸からの出火を目撃する場面がある。その京町濱田屋というのがどこにあったどんな店舗なのかがわからない。昨年一度、森さんの意見を聞いたことがあった。如雪が見たのは三階からとあり、三階建てとなると妓楼か料亭だろう、場所は出火を目撃した方向や位置関係などから京町1丁目と2丁目の間辺りが怪しいということになった。今日は、西南戦争で京町遊郭が焼失後、新たに二本木に遊郭がつくられる時、いち早く妓楼建設に着手した濱田屋というのが京町濱田屋と同一の経営者ではないかという話になった。
他にもいくつかの話題があったが、また別の機会に。
旗振り通信の絵では望遠鏡を使っていますね。
この絵は初めて拝見しました。
私がネット上で見た記述には望遠鏡のことが書かれていましたね。
神戸や明石ではこの通信手段はとても重要だったんでしょうね!
>三階建てとなると妓楼か料亭だろう
現実的ですね。
>妓楼建設に着手した濱田屋というのが京町濱田屋と同一の経営者ではないかという話になった。
歴史っていもづる式に解かれるものなんでしょうね。
興味深いです。
老舗米屋のご主人森さんの話は、今聞くことが出来る間にたくさん仕入れておきたいものですね。
ぐっとランクは下がりますが、1908年生まれのお袋は、我が家の歴史年表みたいに、いろなことを覚えていました。
今、あれも聞いておけばよかった、あのことがお袋だったら解ったのにとよく想うことです。
有難うございました。
幕藩の頃、公認されていた米飛脚しか使っていなかったとすれば、いかにも細川藩らしいという気もします。
京町遊郭というのは3年余しか存在しませんでしたし、兵火で焼失していますので史料が残っていません。当時を知る手がかりはこれからも出て来ないような気がします。
おっしゃるように年配者の話はよく聞いて記録にとどめておくべきだということを感じることが度々あります。