熊本地震の本震が襲ったのは6年前の今日未明。凄まじい揺れだった。
翌日以降、被災現場で見た光景は一生忘れない。
瓦や鯱鉾が落ち、石垣の一部が崩落した熊本城大小天守閣(2016年6月8日撮影)
崩落した北十八間櫓および東十八間櫓(2016年4月20日撮影)
崩落した百間石垣(2016年6月8日撮影)
土台が崩落した西大手櫓門(2016年6月8日撮影)
崩落した戌亥櫓石垣および西出丸石垣(2016年6月8日撮影)
倒壊した往生院山門(2016年4月18日撮影)
崩れ落ちたマンション。(2016年4月18日撮影)
翌日以降、被災現場で見た光景は一生忘れない。
瓦や鯱鉾が落ち、石垣の一部が崩落した熊本城大小天守閣(2016年6月8日撮影)
崩落した北十八間櫓および東十八間櫓(2016年4月20日撮影)
崩落した百間石垣(2016年6月8日撮影)
土台が崩落した西大手櫓門(2016年6月8日撮影)
崩落した戌亥櫓石垣および西出丸石垣(2016年6月8日撮影)
倒壊した往生院山門(2016年4月18日撮影)
崩れ落ちたマンション。(2016年4月18日撮影)
修学旅行で訪れたお城。いつまた復元できるのだろうか。
当時、そんな気持ちを抱きました。
熊本県の皆さまのお城への愛着は相当強いものですね。
もうひとつのエピソードは、あるお父さんが必死になって、行方知れずのわが息子を探されたこと。そして遂に彼を見つけられたこと。
親の愛は海より深い、と思ったことです。
でももう戻らないものも数多くあります。それを考えますと切ない気持になります。
大和晃さんのご両親のエピソードは熊本地震のシンボリックな話として熊本県民で知らない人はいないほどです。
地震発生の日が来るたびにメディアも取り上げますが、その一方で11年前の東日本大震災の行方不明者が2500名を超えていて、ご家族がいまだに捜し続けておられることを忘れてはいけないと思っています。
もう元には戻らないだろうと 素人目にも思えましたが
また美しい姿に戻りつつあり いつか行きたいと思っています。
多くの熊本県民の働きがあり 今の姿まで戻ったことは
私たちは忘れてはならないことです。
そうでしょうね。
私も1週間くらい経って、神戸の街に入った時は、それこそ戦災下か、戒厳令下みたいな別世界だったことを思い出します。
>瓦や鯱鉾が落ち、石垣の一部が崩落した熊本城大小天守閣・・・
無残ですね。
地球の恐ろしさそのものの気がします。
鉄筋コンクリート造といえども木造住宅と変わらない被害を受けるんですね。
その真っただ中に居られたFUSAさんの恐怖感と言ったら想像できません。
有難うございました。
ただ、観光コースはさらに整備が進むと思いますので、復旧工事が進みつつある熊本城をぜひ見にいらっしゃってください。
お気遣いありがとうございます。
修復に当たって耐震性を重視した工事が行われているようですが、再び震度7クラスが来た時、本当に持つのかどうか誰にもわかりませんからね。また、柱などは地震に耐えても、今回のように屋根や壁が落ちてしまっては結局同じことのような気もします。