徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

山本周五郎「よじょう」を再読する

2014-10-16 16:15:56 | 文芸
 先日、映画「武士の献立」のDVDを見た時に思い出した山本周五郎の短編小説「よじょう」を再読してみた。何十年も前に一度読んだきりなのでディテールはほとんど忘れていた。まだ子どもだったせいか、ヒーローが登場するわけでもない、チャンバラがあるわけでもないこの小説の面白味は理解できなかった。しかし、この歳になって読み直してみると実に面白い。ほとんどドロップアウトしかかっている包丁侍の次男坊。博打と女と酒に身を持ち崩し、家も勘当され、ついには乞食生活を余儀なくされる。世間に対して斜に構えるこの主人公から見れば、剣聖・宮本武蔵もただの見栄っ張りのじじい。ところが父が起こした事件によって、心ならずもその武蔵を父の仇と狙う感心な息子に祭り上げられてしまう。そのことによって彼の身に起こる奇妙な逆転劇。
 調べてみたらこの小説、ちょうど50年前に一度だけNHKでドラマ化されているようだ。主人公・岩太を演じたのはなんと渥美清。一度見てみたいものだ。
 ところでこの物語の舞台は熊本城の城下町。実際の地名などが出てくる。すなわち、京町、水前寺、国分、千段畑、千葉城、坪井川、白川など。あくまでもフィクションだから、ちょっと位置関係がしっくりこない面があるのもご愛嬌か。


時代背景となった寛永年間の風俗(彦根屏風より)

When I'm Sixty-Four

2014-10-15 23:01:08 | ファミリー
 今日は家内の6●回目の誕生日。夕食の時、家族でささやかなお祝いをした。あらためて、40年を超える連れ添っての人生を考えると感慨もひとしおだ。ふと、ビートルズの「When I'm Sixty-Four」のメロディが頭に浮かんだ。僕がまだ学生時代に好きだった歌だ。ざっくり言うと、若者が「僕が64になっても愛していてくれるかい」と恋人とともに老後の幸せを願う歌だ。学生時代は何の現実味もなく聴いていたが、今あらためてこの歌を聴きなおすと胸に迫るものがある。既に僕も家内も64を過ぎてしまったが、この歌に込められた若々しい感性をいつまでも失いたくないものだ。



神楽坂界隈

2014-10-14 13:40:15 | 音楽芸能
 学生時代、市ヶ谷の校舎に4年間通った。シーズン中は水球漬けの毎日だったが、気分転換のためにもできるだけ講義は受けるようにしていた。シーズンオフになると講義が終われば自由時間はいくらでもあったので、よく映画を見に行った。中でも校舎から歩いて外堀を渡れば飯田橋の名画座があった。安い料金で良い映画を二本立てで見られるので学生仲間でも人気があった。ある時、映画を見終った後、すぐ近くに神楽坂の花街があることに気付いた。貧乏学生には縁のない街だが、見聞を広めるためと散策をした。実に風情のある石畳の小路や料亭の黒塀が続いていた。就職したらこんなところへ来られるのだろうか、などと思いながら歩いたものだ。卒業してから二度にわたり、通算10年の東京勤務をしたが、ついぞ神楽坂の料亭には縁がなかった。


神楽坂 かくれんぼ横丁

写真はフリー写真素材集「街画ガイド」より




校舎の窓から

2014-10-13 22:43:07 | 美術
 そういえば、行定勲監督は第二高校の出身だったなぁと思っていると、ふと黒川滉二先生のことを思い出した。黒川先生とは僕が熊大附中の時に教わった美術の先生で、担任ではなかったが忘れられないエピソードがある。それは1年か2年の時だったと思うが、当時、全国的な生活画コンクールというのが行われていた。生活の中の一風景を絵にするというもので、全校生徒が描いて応募していた。美術の時間と放課後を使って描いていたと思うが、クラスのみんなは美術の時間は一斉に外に出て画題を探していた。僕はテーマが思いつかず、教室でじっと考えていたが、時間もどんどん過ぎてしまい、しようがなくなって自分の席から窓越しに見える風景を描き始めた。(上の写真のようなイメージ)しばらくすると黒川先生が見廻りに来た。そして僕の描きかけの絵を見て「これは面白い!」と言われた。わけがわからなかったが、どうやらそのポイントは二つあって、一つは僕が毎日教室で見慣れた風景であること。そして二つ目は外の木々や建物を直接的に描くのではなく、一歩引いた窓越しの風景であること、この二つを言われたように記憶している。ほめられて乗っかった僕は俄然やる気が出て、精魂込めて仕上げた。そして後日、黒川先生がニコニコ笑いながら「入選したよ!」と報告に来られた時の喜びは未だに忘れられない。僕らが卒業した後、黒川先生は創立間もない第二高校に転任されたと聞いた。結局、それ以来先生とは一度もお会いすることはなかった。ところでその絵はしばらく附中のどこかの部屋に飾ってあったらしいが、その後どうなったのだろう。


当時の熊大附中の校舎

行定監督に期待する!

2014-10-12 16:52:03 | 映画
 鬼塚美由紀さんのFacebookに「菊池国際交流映画祭」のスーパーバイザーを務めた行定勲監督とゲストの俳優、高良健吾さんを囲んだ舞踊団花童の写真がアップされていた。行定監督は熊本のFM放送にレギュラー出演されているので声だけはたまに聴くのだが、7年前に学園大学で行われたトークショーを聞きに行って以来、久しぶりにお顔を拝見したような気がする。監督の作品は最近の2、3本は見ていないが、それまではほとんどの作品を見ていた。7年前のトークショーで自分の代表作が「セカチュー」こと「世界の中心で、愛をさけぶ(2004)」と言われることが不本意だという趣旨の話をされた。また、当時ちょうど公開を控えていた「クローズド・ノート(2007)」が主演の沢尻エリカの「別に…」発言の余波で観客動員にも影響が出かねない心配もされていた。あれから7年経ったが、はたして監督の代表作は「セカチュー」以外のものになっただろうか。正直、僕はそうなっていないと思う。もちろん監督は一作一作、よりレベルの高いものを追究しておられると思うのだが、観客の評価はまた別である。有能な監督の一人であることは間違いないと思うので、もっといろんな題材に取り組んでほしいと願っている。僕の個人的な希望はぜひ時代劇をやってほしい。行定監督が敬愛する黒澤、溝口、成瀬、山中、山田らの監督たちはみな時代劇の名作を残している。これまでの行定作品で、あえて時代劇と呼べるのは吉永小百合さん主演の「北の零年(2005)」くらいだが、あの作品は大作ではあったが、僕は大いに不満の残る作品だった。あんな重いテーマではなく、江戸古典落語を下敷きにしたような人情喜劇をやってもらいたいのである。かつての美空ひばりの時代劇のようにミュージカル仕立てでも良い。そして主演はもちろん、「武士の献立」でも好演した高良健吾、できることなら町娘で花童の面々を使っていただければなおよろしいのだが・・・。


残念な「熊本城薪能」

2014-10-11 23:09:16 | イベント
 台風の影響を心配しながら熊本城二の丸広場へ「熊本城薪能」を見に行く。案の定、特設ステージは撤去作業中。薪能は本丸御殿に会場を移して行うという。入場者数が限られるので整理券をもらって本丸御殿へ。いつものように大広間前で待っていると、なんと本丸御殿入口前に整列しろと言う。しばらく並んで待っていると整理券番号順に10名づずつ中へ誘導される。整理券はいったい何枚配ったのかわからないが、120くらい入ったところで既に満杯状態。二の丸広場でやっていれば少なくとも500名くらいは来ただろう。急遽の会場変更だからやむを得ない面はあるが、マイク設備が無かったり、珍妙な照明設備だったり、不手際が目立つ。おまけになぜか撮影はNGだという。この「熊本城薪能」は毎年、熊本城を背景に写真を撮るのが楽しみの一つだったのでガッカリ。
 肝心の能は、舞囃子「高砂」、狂言「入間川」、能「枕慈童」の三番立て。特にお目当ての「枕慈童」は、700年を不老不死の霊水で生き続けねばならなかった枕慈童の舞姿が哀れをさそう。狭い舞台ながら皆さん熱演でそれなりに見ごたえはあった。それだけに二の丸広場で見ることができなかったのが残念でならない。

熊本市・福井市姉妹都市締結20周年記念イベント

2014-10-10 21:32:27 | イベント
 「秋のくまもとお城まつり」は今夜、熊本城二の丸広場において「熊本市・福井市姉妹都市締結20周年記念イベントオープニングステージ」が行われた。日本の伝統芸能やジャズ演奏、そして目玉は「DRUM TAO」による「十七人のサムライ 野外特別ライブ」が行われ、満員の会場からやんやの喝采が送られた。


福島竹峰社中の演奏に合わせて花魁の道行


12日の花魁道中は台風で中止となるため今夜の舞台に急遽登場!


STREET ART-PLEX KUMAMOTO のジャズ演奏


福井市からの訪問団挨拶

東京オリンピック開会式から50年

2014-10-10 10:58:59 | スポーツ一般
 50年前の今日、東京オリンピックの開会式が行われた。つまり、本来は今日が「体育の日」。“ハッピーマンデー法”とか言って、記念日を何のゆかりもない日に変えるという政治の愚策の見本のような日である。
 それはさておき、毎年10月10日がやってくると1964年の今日のことを想い出す。この年から僕は大学に進学して上京した。春先に上京した時から、とにかく10月10日が待ち遠しくてしかたがなかった。僕の大学の水泳部員も多くが大会運営の補助役員として裏方を務めたのだが、僕の当番は大会後半、この日は寮のテレビで開会式を見た。ブルーインパルスが五輪の輪を描く場面になると、みんな一斉に窓を開けて空を見上げた。抜けるような青空に白い五つの輪を描いて飛び去るブルーインパルス。この日ばかりまさに奇跡的な快晴で、前日と翌日は雨だった。大会期間中、補助役員当番の日は、水球競技の会場となった千駄ヶ谷の東京体育館プールや代々木のオリンピックプールへ通った。夢のような15日間だった。
 6年後の2020年には再び東京オリンピックがやってくる。それまで元気でいられるかどうかわからないが、1964年のように興奮することはもうないだろう。
(2012.10.10の記事を再編集したものです)

花のほかには松ばかり

2014-10-09 20:41:48 | 音楽芸能
 「能狂言の本屋さん 檜書店」さんのFacebookを見ていたら、「謡曲を読む愉しみ ‐花のほかには松ばかり‐」という新刊が紹介されていた。「花のほかには松ばかり」とは何の台詞だったっけ?と思いながら、ググってみると、能「道成寺」の前シテ・白拍子の台詞であることが分かった。検索したサイトの中にokkoyaさんという方の「読書百篇」というブログがあった。大正から昭和前期の作家、夢野久作のことが書いてあった。なんと夢野久作は喜多流の能楽師でもあったという。夢野久作の名前は幼い頃からよく知っていた。なぜなら祖母がよく「夢の久作のごたる話」という表現を使っていたからだ。途方もないホラ話のような意味合いだったと思う。随分後になってそんな名前の作家がいることを知った。夢野は福岡出身なので、やはり子供の頃からよく聞いていた「夢の久作」をペンネームにしたらしい。彼の作品を手に取ってみたこともあったが、その怪奇性みたいなものが肌に合わなかった。今回、能楽師だったことを知ってあらためて「青空文庫」で彼の作品リストを調べてみた。「能ぎらい/能好き/能という名前」という随筆があった。面白い。僕がこれまで能について感じて来たことをすべて書いてある。最近で一番の発見だった。
※写真は「道成寺」から、蛇体に変身した女が柱に巻き付く「柱巻き」の場面

海響風唄 ~現代民俗歌謡とは~

2014-10-08 23:19:15 | 音楽芸能
 端唄や俚奏楽など多方面で活躍している本條秀太郎さんの、もう一つのジャンルが「現代民俗歌謡」。聞き慣れない言葉だが、この「海響風唄」もその中の一つのようだ。何の説明も聞かずとも日本海の荒波を連想するし、どこか懐かしい響きの中に、よく聞いていると今までにない新しさも感じる。クセになりそうな音楽世界だ。当の本條秀太郎さんは「現代民俗歌謡」について次の様に語っている。

▼現代民族歌謡
 Pure & Innocent な民謡(民謡歌謡)へ回帰し、そこから“いま”を生きる音楽を作る必要があります。伝統的な作・編曲法で民族音楽の持つ心を醗酵させ、絶えず“回帰”しつつ日本人の感性を感じ取れる音楽を表現したいと考えます。
日本音楽(邦楽)にはビート感の無い時代遅れの音楽のように云われるが、ビートをきかせた作曲、編曲の方法は、単に日本音楽の中に広がりを加えた一つのテクニックでしかないように思います。この方法でなされている多くの日本音楽は本来の日本音楽の持つ感性とは隔たりを感じます。また、あたかも新しい出来事のように思われている音楽も、ほんの少しの時間を過ぎてしまうと、色褪せて痩せた音楽になってしまい伝統に繋ぐことの出来ない単に“はやり”のものでしかないものになってしまいます。西洋の音楽の縦に重ねる表現法ではなく、他聞的に横に豊かな広がりを持たせる日本独自の音楽表現を取り戻す作業が大事なように思います。忘れかけている日本人の生活の中、そこここにあった“しぐさ”や“ことば”の美しさをも音楽表現に生かすべきだと考えます。現代に生きようと、安易に洋楽化させるのではなく、伝統と継承に恥じることなくしっかりと根ざし、そこから生まれた音楽それが“現代民族歌謡”なのです。日本人の日本人のための音楽でありたいのです。現代であっても過去であっても、日本の“う・た”でなくてはならないのです。
 過去と未来にまたがる“うた”“うたあそび”がJ-TRAD「現代民族歌謡」なのです。


グッド・ラック・チャーム

2014-10-07 21:11:16 | 音楽芸能
 今日、車で移動中、FM放送から懐かしい曲が流れて来た。それはエルビス・プレスリーの「グッド・ラック・チャーム」だった。忘れもしない僕が高校2年生の頃だから、1962年の4月ごろだったかビルボードのナンバー1になった曲だ。2年間の徴兵期間を経て戻ってきたプレスリーは、以前の尖った印象が消え、すっかり好青年にイメージチェンジしていた。G.I.ブルース、燃える平原児、嵐の季節、ブルー・ハワイ、夢の渚など立て続けに映画に出演していた頃だ。それまで僕はエルビスはあまり好きなスターではなかったが、除隊した後の彼の映画はほとんど見に行った。そんな中で大ヒットしたこの「グッド・ラック・チャーム」は特に忘れられない曲だ。


「武士の献立」と「よじょう」

2014-10-06 21:11:47 | 映画
 映画公開の時に見逃した「武士の献立」のDVDを借りてきて見た。「武士の家計簿」と同じく江戸時代の加賀藩に仕えた実在の御料理人、舟木伝内・安信親子とその家族を描いたヒューマンドラマである。親子が残したレシピ集「料理無言抄」は「国立国会図書館デジタルコレクション」で見ることが出来るが実に素晴らしい。(読めない字も多いが)
 最近は誰もが知っているような英雄が登場する時代劇より名もなき人々を描いた、つまり狂言の「この辺りの者でござる」的な物語の方が面白い。
 ところで御料理人と言えば、熊本藩を舞台とした山本周五郎の「よじょう」という短編小説があった。随分昔に父の蔵書か何かで読んだので記憶もおぼろげなのだが。もっともこちらの御料理人は、こともあろうに宮本武蔵に斬りかかってあっさり斬殺されてしまう。で、その息子がとんでもないぐうたら息子で、勘当されて乞食のような生活をしているのだが、どこでどう間違ったか、かの宮本武蔵を親の仇と狙う感心な息子と、人々から勝手に思い込まれてしまう。というような話で、山本周五郎の短編小説の中では傑作と評価が高いようだ。いずれこれもドラマ化されるかもしれない。ちなみに「よじょう」というのは中国の故事に倣った言葉だが、この短編小説の肝なので、あえて説明はさけたい。

三番叟(さんばそう)のはなし。

2014-10-05 20:07:24 | 音楽芸能
 昨日、湧々座での花童の公演の時、配られた演目表を見て「二人三番叟」の「三番叟」を読めない中年夫婦がいた。この様子を見て、まず読めないのが普通だろうなぁと思った。もし、ザ・わらべに出会わず、昔の、日本舞踊に無関心のままの僕だったら、きっと読めなかったにちがいない。
 日本舞踊の演目である一連の「三番叟もの」は、五穀豊穣を寿ぐ舞といわれ、能の「翁(式三番)」から派生したもの。能を大成させたといわれる世阿弥(ぜあみ)はその伝書「風姿花伝(ふうしかでん)」の中で次のように述べている。

まず「序」では
「推古天皇の御代に、聖徳太子、秦河勝に仰せて、かつは天下安全のため、かつは諸人快楽のため、六十六番の遊宴をなして、申楽(さるがく)と号せしよりこのかた、代々の人、風月の景を仮って、この遊びのなかだちとせり。」

さらに、「第四」の「神儀に云ふ」では
「村上天皇、申楽をもて、天下の御祈祷たるべきとして、そのころ、かの河勝、この申楽の芸を伝ふる子孫、秦氏安なり。六十六番の申楽を紫宸殿にてつかまつる。そのころ、紀の権の守と申す人、才智の人なりけり。これは、かの氏安が、妹聟なり。これをもあひともなひて申楽をす。
 その後、六十六番までは、一日に勤めがたしとて、そのうちを選びて、稲積の翁 翁面・代継翁 三番申楽・父尉、これ三つをさだむ。今の代の式三番、これなり。」

 つまり、能楽の前身である申楽は、今から千四百年ほど前の推古天皇の時代に六十六の演目が確立し、時代が下って千年ほど前の村上天皇の頃に三つに絞られて「式三番」となり、その一つが「三番叟」だというわけだ。
 そんな歴史を知ったうえで、ザ・わらべの「三番叟」を見ていると、えも言われぬ趣きを感じずにはいられない。


大江戸三美人 ~ 会いに行けるアイドル ~

2014-10-04 23:35:13 | 歴史
 9月12日に放送された「にっぽんの芸能」(NHK-Eテレ)で演奏された大和楽の「おせん」を、9月16日のブログで紹介したが、昨夜の「にっぽんの芸能」では、「大江戸三美人」のうちの一人「柳屋お藤」を題材とした長唄舞踊が放送された。
 「大江戸三美人」というのは
   谷中、笠森稲荷門前の水茶屋 鍵屋の「笠森お仙」
   浅草、奥山の楊子店(化粧品店)柳屋の「柳屋お藤」
   浅草、二十軒茶屋の水茶屋 蔦屋の 「蔦屋お芳」
の三人を言う。
 彼女たちが看板娘として有名になったのは、浮世絵師・鈴木春信が描いたカラーの美人画が江戸中に流布したからだ。三人の中でも特に、薄化粧のお仙と、化粧上手なお藤は対照的でともに人気が高かったらしい。


左から柳屋お藤、女形歌舞伎役者二代目瀬川菊之丞、笠森お仙(鈴木春信画)


 蔦屋お芳を加えた三人はいずれも店を繁盛させ町興しに貢献した。明和年間に活躍した三人の第一期アイドルに続き、寛政年間には「難波屋おきた」、「富本豊雛」、「高島屋おひさ」の三人が、第二期アイドルとして活躍したという。


舞踊 長唄「柳屋お藤」でお藤を演じる吾妻寛穂

檜垣の水スポットめぐり

2014-10-03 23:30:03 | 歴史
 しばらく湧水を汲みに行っていない。暑い季節にはせいぜい4日くらいが衛生面の期限だと聞いてやめた。もう少し涼しくなったら再開しようかと思う。
 それはさておき、日本人にとって水を汲むという行為は、ただ生活用水を補給するという以上の特別な意味があったらしい。折口信夫の「水の女」など、いろんな文献にそんなようなことが書いてある。

「年ふればわが黒髪も白川のみつはくむまで老いにけるかな」
「白川の底の水ひて塵立たむ時にぞ君を思ひ忘れむ」

などの歌で知られる檜垣嫗(ひがきのおうな)の物語も、水とのかかわりなしには語れない。
 ハイキングの好季節、そんな檜垣の水スポットめぐりも面白いかもしれない。


檜垣嫗がこの畔に草庵を結んだという白川


閼伽の水を汲んで岩戸観音へ日参したという蓮台寺の「檜垣の井戸」跡


岩戸山への険しい山道を水をこぼしこぼし登ったという「檜垣のこぼし坂」の泉


後に移り住んだ岩戸村の山下庵近くの「檜垣の泉」


▼檜垣水汲みをどり(Click to Movie)