熊本市中央区本荘の熊本大学病院敷地内で用水路「三の井手」の遺構の石垣が見つかった。敷地内を流れる現在の井手は江戸後期に流路変更されたらしいという。
三の井手は、加藤清正時代の慶長年間、農業用水や治水のために整備された渡鹿堰(とろくせき)から白川の水を取り入れる大井手の3本ある分流の一つ。
石垣は、熊本大学病院敷地の地下を横断する現在の井手の約3メートル西側で発掘された。地下約3メートルに、幅40センチ程の石20個が直線に並んでいる。石垣は当初の井手が、江戸後期の細川藩主時代に大幅に改修された遺構である可能性が高いという。
▼クリックして拡大できます(26日の現地説明会にて撮影)