徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

消えゆく? 父の想い出の小学校

2014-10-22 16:31:40 | ニュース
 今朝の熊日新聞に、熊本市西区の松尾東、松尾西、松尾北の小学校3校を、同じ城西中校区の小島小と統合する方向であるというニュースが載っていた。児童数の減少でやむをえないことなのかもしれないが、このうちの松尾東小は昔、松尾小学校といって僕の父にとっては初任配置された思い出深い学校。もし生きていれば寂しがったに違いない。また、この学校は平安時代の女流歌人、檜垣嫗が閼伽の水を汲んで岩戸観音へ日参した道沿いにあり、僕も季節ごとに訪れる馴染みのルートでもある。もし、学校が無くなってしまうとなれば寂しさは禁じ得ない。

 昭和6年に師範学校を卒業した父は、川尻尋常高等小学校勤務の辞令をもらったものの、すぐに5ヵ月間の短期兵役に服務した。兵役が明けて8月31日付けでもらった辞令は何と松尾尋常小学校への転任。従って松尾が実質的な初任地ということになった。その初出勤の様子を父は次の様に書き遺している。

 さて、辞令を受けたら一週間以内に赴任すればよいと聞いていたし、娑婆の風に吹かれるのも5ヶ月ぶりだから2、3日休養してからとのんびり構えていた。ところが退営の翌日、つまり9月1日の昼過ぎクラスメートのK君が訪ねてきた。彼は当初から松尾小勤務となっていたので一緒の赴任である。二人とも未知の学校であり、所在地も知らないので下見に行こうというわけだ。新市街からフォード幌型のバスに揺られて30分、運転手に教えられて松尾村役場入口という標柱のある所に降り立った。辺り一帯は田んぼであり家は一軒もない。行く手300メートル位の山麓に農家が2、3戸点在している。進むこと10分余、集落に差しかかった。しかし校舎らしい建物は見当たらない。里人に聞くと「学校はさらに10分程登ったところ」だと言う。ここからはいよいよ爪先上りの山道である。K君と顔を見合わせながら「えらい辺鄙な学校だな」と言いつつ上りに上る正面には金峰山が峨々として突立っている。右手は急斜面の櫟林、左手は段々畑でその下に谷川のせせらぎが聞こえる。漸く校舎が見えてきた村道から幅1メートル程の通学路に入り十数段の階を上ったところに校舎はあった。しかし、校舎内外に人影はなく静まり返っている。なるほど今日は第二学期の始業日、みな早退したのだなと思いつつ校庭を一巡していると、端の教室からオルガンの音が聞こえてきた。そこで教室に入り来意を告げたところ、日直勤務という女先生が「職員も児童も新任の先生のおいでを待ち焦がれています」との言葉。こうなれば何をか言わん翌日から出勤と相成った次第である。松尾小は金峰山の南麓段丘の山懐に位置し、職員7名(男5、女2)、児童150名余、学校長以外はすべて学級担任である。当時ほとんどの学校には校番さん(今の用務員)か小使いさんがいたが、この校にはその配置がなく、例えば鐘打ちは高等科の男子の当番という具合で、それぞれを職員もしくは児童で補っていた。