徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

今こそみんなで気持を奮い立たせて・・・

2011-04-15 13:03:52 | 熊本

 これは昨年春の「熊本城坪井川大園遊会」の様子である。残念ながら今年は東日本大震災が起こったため中止となった。特に今年は、九州新幹線全線開業記念として、「春のくまもとお城まつり」などとともに大々的に行なわれる予定だったが、すべて中止となった。大震災の影響は、当然のことながら、観光客の激減となって表れているようだし、自粛ムードの広がりは、経済活動の停滞となって、熊本にも暗い影を落としつつあるようだ。今こそみんなで気持を奮い立たせるイベントをリスタートさせるべき時なのではないだろうか。このままの状態が続けば、被災者の支援どころか、大変な事態に陥りかねないような気がしてならない。

「いったいどうしちゃったの!?」2題

2011-04-14 21:59:33 | その他
 NHKの人気アナ、武田真一さんが「ニュース7」にもう三日も顔を見せていない。一緒にキャスターを務める小郷知子アナから「喉を痛めている」という話はあったが。いったいどうしちゃったの?喉はアナウンサーの生命線だから大事をとっているのかもしれないが。ところでこの武田アナ、番組中に泣いたことがあるらしい。残念ながら僕は見ていない。僕の母によれば、彼は幼稚園の時、泣き虫さんだったそうだ。NHKに入ってテレビに出始めた時、「あの泣き虫の武田クンが・・・」と驚いたそうだ。
 もう一つの「どうしちゃったの?」は「YouTube」だ。マイチャンネルのボタンを押すと、プルダウン・メニューが出ていたのだが、もうだいぶ前から、メニューは表示されるが選択できない、つまり各ページにリンクしていない状態が続いていた。「YouTube」のような大手ともなれば、普通、こういう不具合は1日くらいで治るものだ。それが何日たってもいっこうに治らない。もう忘れかけていたら、今日、いつの間にか治っているのに気付いた。まぁ、一件落着ではあるが、この対応の遅さ、あまりにもお粗末だ。

今日の1フレーム ~ 柳川小路のむくり屋根 ~

2011-04-13 20:22:25 | 熊本

 近所に昔から気になっている家がある。昔風の町名で言えば、東の柳川小路の坂の途中に建つ「むくり屋根」の家だ。「むくり屋根」というのは屋根の形状が上方に凸形となったものを言う。普通、家の屋根は凹形となった「そり屋根」が多い。僕の知るかぎり、今、熊本市内では「むくり屋根」はほとんど見ることができない。この家の住人F氏の奥様に聞いた。すると「相当古いとは聞いているが、いったい築後何年なのか、正確にはわからない」という答え。そして、家にはなんと西南戦争時の弾痕が残っていると言う。ということは133年以上経っているということだ。かつて大学の研究者が訪ねて来たこともあると言う。ひょっとして重要文化財モノか?
 周囲の地形は下の写真のとおり。


輝いていた時代! ~ インターハイ連覇から50年 ~

2011-04-12 13:09:35 | 水球
 わが母黌、濟々黌の水球部が全国大会に顔を出さなくなって久しいが、今年はインターハイに連覇してからちょうど50年になる。夏休みの東京合宿を終えて、チームはインターハイの開催地、金沢に向かったが、僕ら1年生は、インターハイグループと国体グループに分けられ、僕は国体グループになったので金沢には行けなかった。金沢で優勝して凱旋したチームを熊本駅に迎えに行った日のことを鮮明に憶えている。母黌チームはなぜか、国体には運がなく、前年の地元熊本での大会に続き、この年の会津若松大会も決勝で宿敵、京都の鴨沂(おうき)高校に敗れた。しかし、当時は間違いなく、鴨沂高校と並び高校水球のトップに君臨していたことは間違いない。これ以降も、インターハイ1回、国体1回の優勝があるが、母黌水球部が最も輝いていたのは昭和36年(1961)であることは間違いないと思う。
※写真はこの年の春、恩賜記念運動会でパレード前に撮ったもの。(前列左端が僕)


原発のリダンダンシー

2011-04-11 19:03:45 | 時事
 東北地方太平洋沖地震が発生してから1ヶ月。あっという間だったような気もするが、その後も発生し続ける大きな余震に、先の見えない福島原発の事故処理が重なって被災者の皆さんは気の休まることはなかったろう。あらためて心からお見舞を申し上げたい。
 原発事故については、想定を超えた大きな津波が原因であるかのように言われているが、当初から僕はそれについては疑問を抱いている。確かに未曾有の大地震と大津波には見舞われたが、原発が制御不能に陥ったのは、もともと安全設計が甘かったからではないだろうか。他の原発の信頼性にまで影響するから想定外の大津波のせいと言わざるを得ないのだろう。今朝の某ワイドショーでも「ホンマでっか!?TV」で人気の出た武田邦彦教授がそんなようなことを言っていた。僕は専門家でもなんでもないからよくわからないが、30年ほど前、システム工学を学んでいた頃よく聞いていた「リダンダンシー(冗長性)」の設計が甘かったのかなと思ったりした。武田教授によれば「今の原発はマグニチュード4でも危ないもんだ」という。僕は今回の原発事故と同じような問題は、今そこら中にあるような気がしてならない。今の時代は経済性がすべてに優先していると思うからだ。

野林祐実さん & 従姪のさきちゃん

2011-04-10 18:29:36 | スポーツ一般
 今日は朝から水前寺競技場で行なわれた熊本市内高校陸上競技大会を見に行った。昨年、金栗記念選抜陸上を見に行ってからちょうど1年だ。お目当ては九州学院に進学した女子短距離のホープ野林祐実さんと、熊本商業で中長距離を走っている従姪のさきちゃん。残念ながら野林さんは熊本県陸上選手権兼国体一次予選が来週に迫っているためか、個人種目は回避し、4×100リレーだけ、九州学院の二走として出場した。しかし、その走りっぷりは他の選手たちとは明らかに違い、実力を見せつけた。彼女の快走もあって九州学院の楽勝だった。ジャージを着ている時はごく普通の小柄な高校生だが、ジャージを脱いでユニフォーム姿になると、早くもスターのオーラを発している。来週は100mと200mの2種目にエントリーしているが、どんな走りを見せてくれるか楽しみだ。従姪のさきちゃんは3000mに出場した。正直、特別秀でた才能がある選手というわけではないが、なかなか粘り強い走りを見せてくれ、4位に入賞した。たしか自己ベストだったのではないかと思う。お疲れさん!
※右の写真はチームメイトとウォームアップする野林祐実さん


ゼッケン73がさきちゃん

ザ・わらべ ~ 春の宴・植木をどり ~

2011-04-09 22:36:58 | 熊本
 今夜の熊本城・本丸御殿での「春の宴」は、先週の「熊本をどり」に続いて「植木をどり」。植木町は昨年3月、熊本市と合併したが、かつて豊前街道の宿場町として、また街道分岐点として栄えた。西南戦争の激戦地となった田原坂もあり、歴史的に独特な文化を持つ。今夜は植木在住の、唄・三味線の本條秀美さんがフィーチャリングされていた。伸びやかで艶のある唄声はいつ聴いてもホレボレする。特に今夜も唄った「肥後の殿様」は絶品。ザ・わらべもふだんとは違う演目で、とても新鮮だった。


「伊藤の話」と地蔵堂

2011-04-08 19:46:40 | テレビ
 昨夜は東北地方での強烈な余震のニュースを見ながら夜更かしをした。チャンネルを回していると、何やら面白そうな映画をやっていた。見たことのある映画ではなかったが、話自体はどっかで聞いたことのあるような、と思って朝起きてからネットで調べてみたら、やっぱり、小泉八雲の「伊藤則資の話」を現代風にアレンジして映画化した「伊藤の話」という映画だった。原作の主人公の侍を、現代の大学教授に置き換え、温水洋一さんが笑い一切なしのシリアスな芝居をやっていて結構面白かった。この大学教授が、平家の武将で非業の死を遂げた平重衡の娘の亡霊にとり憑かれるという怪談だが、溝口健二監督の映画で有名な「雨月物語」を連想してしまった。昨日、坪井の熊本二番目の八雲邸前にあった地蔵堂を拝んだばかりだったので、やっぱりなんかあるのだろうか。


ダイジョウブ!にっぽん!

2011-04-07 20:24:34 | その他
 2007年に放送された連続テレビ小説「どんど晴れ」がスペシャル版として帰ってくる。ここ10年ほどの朝ドラの中では、僕が最も好きなドラマだ。舞台となった岩手は大震災からの復興に向けて今、大変な時期。被災者の皆さんに少しでも元気を出してもらうためにタイムリーなドラマ復活となりそうだ。若女将・夏美がどんな成長を見せてくれるかも楽しみだ。主題歌の小田和正「ダイジョウブ」は被災者への応援歌としても、これ以上いい歌はないと思う。
■放送日:4月24日(日)NHK-BSプレミアム


さまざまなこと思い出す桜かな

2011-04-06 18:07:55 | 熊本
 週2回は必ず八景水谷公園のそばを通る。今日は水面に舞い落ちる桜の花吹雪の美しさに誘われて車を停めた。ちょうどお昼どき、平日というのに多くの家族連れが弁当を開いて花見を楽しんでいた。この公園に面した道路脇、坪井川にかかる橋のたもとに清水心(ここ)ちゃんの遺体発見現場がある。花見を楽しむ人たちは、すぐ傍で起きたそんな事件のことなどもうすっかり忘れてしまったかのようだ。いや、きっと忘れてはいないのだろう。忘れてはいないが、みんな自分の人生をしっかり生きていくしかないのだ。今日も沢山のお花や果物、お菓子といったお供え物が供えられていた。

   さまざまなこと思い出す桜かな(松尾芭蕉)




三題噺 「東京物語 ~ 黒澤明 ~ 内田百間」

2011-04-05 18:10:52 | 映画
 昨夜のBSプレミアムで放送された「山田洋次監督が選んだ日本の名作百本」は小津安二郎監督の「東京物語(1953)」。この作品の素晴らしさは今さら語る必要もないが、昨夜放映されたデジタル・リマスター版の、クリアで、かつ陰影に富んだ映像美は素晴らしく、また一段と価値が高まったような気がした。昨夜も話されたと思うが、山田監督が黒澤明を語る時、いつもエピソードとして話されるのが、黒澤監督が「まあだだよ」を撮る前に、自宅で一人、「東京物語」を食い入るように見ていた。という話だ。小津監督とは正反対と思っていたあの黒澤明が「東京物語」に見入る姿に、自分はとんでもない場面に遭遇しているのではないかと思った、と語っておられた。黒澤監督が「東京物語」を参考にしたと思われる、その「まあだだよ」は小説家・随筆家の内田百間を主人公にした物語だ。この内田百間は代表作の「阿房列車(あほうれっしゃ)」シリーズの取材で訪れた八代の松濱軒という宿がたいそう気に入り、都合9回も訪れているという。このあたりの話は、現在、熊本近代文学館で開かれている「鉄道と文芸展」に詳しく紹介されている。





美観を損ねる城壁のワケ

2011-04-04 13:32:15 | 熊本

 3月26日の当ブログ記事「春の息吹 四景!」に関し、浜野様からいただいた「城壁の下にある不細工なコンクリートと土の壁が昔から気になっている。できれば撤去したほうがよいのでは」というご指摘について熊本城管理事務所に質問をしていたが、今日その回答があった。
【回答要旨】
 ご指摘の箇所は、市民からよくお問い合わせいただくが、昭和初期に城壁下部が膨らんできて崩壊の危険性があったため、当時の軍が応急的に補強工事を行なった所である。田尻市長(86.12~94.12)の時代に改修工事を行なうべく城壁内部等の調査を行なったが、城壁一部だけの改修で崩壊の危険性を防止することは難しいことが判明した。上には五間櫓(ごけんやぐら)や不開門(あかずのもん)等、国指定の重要文化財が乗っており、迂闊に手を出せない状態。妙案がないまま今日に至っている。
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 美観的には不満が残るが、当面見守るしかないようだ。

久方の 光のどけき 春の日に・・・

2011-04-03 19:35:29 | 熊本
       「久方の 光のどけき 春の日に
          しづ心なく 花の散るらむ」(紀友則)
 熊本城周辺は今日が花見のピークだろう。桜の写真も今日あたりが最後かなと思っていたが、一日中曇り空で良い写真は撮れなかった。それでも桜の樹の下はどこも花見客でいっぱい。そして早くも風に吹かれて花びらが舞い落ち始めていた。来年こそは穏やかな気持で花見を楽しめることを願うばかりだ。写真はいずれもここ数日間に撮ったもの。


桜の樹の下での結婚写真の前撮り


ライトアップされた天守閣が夕闇の中に浮かび上がる


春の日差しを浴びて百間石垣の前を歩く


先月オープンした「城彩苑」は連日盛況

わが町の街道と歴史 ~ 豊前街道(2) ~

2011-04-02 23:35:32 | 熊本
 加藤清正が築いた熊本城および城下町は、城のほか城下町一帯も含めて堀で囲い込んだ「総郭(そうぐるわ)」と呼ばれる城郭構造を持つ。従って、城下町だったわが京町の北側にも空堀が掘りめぐらされており、京町から出町(出京町)方面に出る所には番所があった。西郷隆盛も坂本龍馬も篤姫もこの番所を通ったわけだ。明治維新後に堀は埋められ、今日では一見その痕跡すら見当たらない。今の熊大附属小学校の前あたりから道がなだらかに登りながらS字状にカーブするところ(写真1)が、昔の番所前の勢屯(せいだまり)つまり広場があったところである。そして坂を登りきった辺りから真東の方向に、民家やビルの間から裏に進むと、昔の空堀の痕跡(写真2)を見ることができる。番所を出たところにある光永寺(写真3)および往生院(写真4)は今も昔も変わらない。

【1650年頃の京町絵図】



【写真1】


【写真2】


【写真3】


【写真4】

春の宴 ~ 城下町文化の煌びやかさ ~

2011-04-01 21:36:14 | 熊本
 今日から熊本城本丸御殿で「春の宴」が始まった。第一日目は、和楽の女流演奏家・中村花誠さんが率いる「花と誠の会」が見事な和楽芸を披露。本丸御殿大広間の畳に座って見ていると、往時のお殿様や家臣たちもこうして歌舞音曲を楽しんでいたのかと思うとちょっと感動。こうした城下町に伝わる伝統芸能は大事に守り、次世代につないでいかねばという想いを新たにした。「ザ・わらべ」のあやのちゃんも今日は囃方として出演していて、彼女のお祖父さんと一緒に見させてもらったが、熊本にはこういう素晴らしい宝物があるということをもっと積極的に発信していかなければ、と意気投合した。