わが母黌、濟々黌の水球部が全国大会に顔を出さなくなって久しいが、今年はインターハイに連覇してからちょうど50年になる。夏休みの東京合宿を終えて、チームはインターハイの開催地、金沢に向かったが、僕ら1年生は、インターハイグループと国体グループに分けられ、僕は国体グループになったので金沢には行けなかった。金沢で優勝して凱旋したチームを熊本駅に迎えに行った日のことを鮮明に憶えている。母黌チームはなぜか、国体には運がなく、前年の地元熊本での大会に続き、この年の会津若松大会も決勝で宿敵、京都の鴨沂(おうき)高校に敗れた。しかし、当時は間違いなく、鴨沂高校と並び高校水球のトップに君臨していたことは間違いない。これ以降も、インターハイ1回、国体1回の優勝があるが、母黌水球部が最も輝いていたのは昭和36年(1961)であることは間違いないと思う。
※写真はこの年の春、恩賜記念運動会でパレード前に撮ったもの。(前列左端が僕)
※写真はこの年の春、恩賜記念運動会でパレード前に撮ったもの。(前列左端が僕)