加藤清正が築いた熊本城および城下町は、城のほか城下町一帯も含めて堀で囲い込んだ「総郭(そうぐるわ)」と呼ばれる城郭構造を持つ。従って、城下町だったわが京町の北側にも空堀が掘りめぐらされており、京町から出町(出京町)方面に出る所には番所があった。西郷隆盛も坂本龍馬も篤姫もこの番所を通ったわけだ。明治維新後に堀は埋められ、今日では一見その痕跡すら見当たらない。今の熊大附属小学校の前あたりから道がなだらかに登りながらS字状にカーブするところ(写真1)が、昔の番所前の勢屯(せいだまり)つまり広場があったところである。そして坂を登りきった辺りから真東の方向に、民家やビルの間から裏に進むと、昔の空堀の痕跡(写真2)を見ることができる。番所を出たところにある光永寺(写真3)および往生院(写真4)は今も昔も変わらない。
【1650年頃の京町絵図】
【写真1】
【写真2】
【写真3】
【写真4】
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【写真2】
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