昨夜はEテレの「古典芸能への招待」で能「檜垣」を見た。熊本ゆかりの能なのだが、これまでナマの舞台はもちろんのこと、テレビ放送で見る機会も無かったので全くの初見である。しかし、謡本「謡曲集」で繰り返し読んで展開は分かっていたし、檜垣ゆかりの地めぐりもしていたので現地を思い浮かべながら見ていた。
今回は金剛流だったからか、一部文言が違っていたり、最後に付加されたくだりがあったようだ。
この能のモチーフとなっているのは「年経ればわが黒髪も白川のみづはくむまで老いにけるかな」という後撰集の檜垣媼の歌
また、鹿子木寂心の作という説のある次の一節が誰の作なのか、世阿弥が典拠としたものは何だったのかについても新たな疑問が湧いて来た。
「さてもこの岩戸の観世音は霊験殊勝の御事なれば」とワキの修行僧が謡う霊巌洞の岩戸観音。
「南西は海雲漫々として 万古心の内なり」とワキの修行僧が謡う岩戸山から南西の致景。
「ここは所も白川の 水さえ深きその罪を」と檜垣媼が謡う白川のほとり。(右岸に蓮台寺)
「値遇を運ぶ足曳の 山下庵に着きにけり」と檜垣媼が謡う山下庵の跡。(前方に岩戸の里と雲厳禅寺)
今回は金剛流だったからか、一部文言が違っていたり、最後に付加されたくだりがあったようだ。
この能のモチーフとなっているのは「年経ればわが黒髪も白川のみづはくむまで老いにけるかな」という後撰集の檜垣媼の歌
また、鹿子木寂心の作という説のある次の一節が誰の作なのか、世阿弥が典拠としたものは何だったのかについても新たな疑問が湧いて来た。
「さてもこの岩戸の観世音は霊験殊勝の御事なれば」とワキの修行僧が謡う霊巌洞の岩戸観音。
「南西は海雲漫々として 万古心の内なり」とワキの修行僧が謡う岩戸山から南西の致景。
「ここは所も白川の 水さえ深きその罪を」と檜垣媼が謡う白川のほとり。(右岸に蓮台寺)
「値遇を運ぶ足曳の 山下庵に着きにけり」と檜垣媼が謡う山下庵の跡。(前方に岩戸の里と雲厳禅寺)