今日は買物ついでにひさしぶりに上熊本駅界隈を散策した。行く時は新坂を下ったが、帰りは「赤尾口の坂」を上って帰った。
漱石先生を無視して通り過ぎるわけにはいかないので一応ご挨拶。相変わらず先生は128年前に上熊本駅に降り立った時のように新坂方向を向いてござる。ここから人力車で新坂を越えて行かれた。
熊本電鉄上熊本駅は中華圏からの観光客と思しき団体で賑わっている。相変わらず「くまモン」が人気のようで、ラッピングを背景に記念撮影ラッシュ。
前方直進が新坂。赤い車の処から左折が「赤尾口の坂」この坂を上った右の丘の上に、加藤清正公の時代、熊本城の外城「赤尾丸城」が構えていた。清正公が亡くなった時、この丘で荼毘に付された。
「赤尾口の坂」を上り切ったところにわが母校・熊大附中があり、その先に古刹往生院がある。境内のしだれ梅はまだ三分咲きくらいか。本堂と百体目の放牛石仏に手を合わせた。
(P.S.)その後、しだれ梅は散りじまいだったことが判明。昨年の満開が2月20日頃だったので勘違いしてしまった。
漱石先生を無視して通り過ぎるわけにはいかないので一応ご挨拶。相変わらず先生は128年前に上熊本駅に降り立った時のように新坂方向を向いてござる。ここから人力車で新坂を越えて行かれた。
熊本電鉄上熊本駅は中華圏からの観光客と思しき団体で賑わっている。相変わらず「くまモン」が人気のようで、ラッピングを背景に記念撮影ラッシュ。
前方直進が新坂。赤い車の処から左折が「赤尾口の坂」この坂を上った右の丘の上に、加藤清正公の時代、熊本城の外城「赤尾丸城」が構えていた。清正公が亡くなった時、この丘で荼毘に付された。
「赤尾口の坂」を上り切ったところにわが母校・熊大附中があり、その先に古刹往生院がある。境内のしだれ梅はまだ三分咲きくらいか。本堂と百体目の放牛石仏に手を合わせた。
(P.S.)その後、しだれ梅は散りじまいだったことが判明。昨年の満開が2月20日頃だったので勘違いしてしまった。