徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

熊本駅界隈の変わりよう

2022-11-05 22:08:38 | 熊本
 現在、アミュひろば(JR熊本駅前)と花畑広場で開催中の「くま博2022」で今日から「熊本総踊り」をやるというので、どんなもんかなと朝から覗きに行った。駐車場探しでウロウロしたらいけないとバスで行ったら、ラッキー!今日は「運賃大人100円」の日だった。
 肝心の「熊本総踊り」はというと、お目当ての牛深ハイヤ踊りや山鹿灯籠おどりまで見るには夜中までいなければならないことがわかり、早々にあきらめ、最初の二つほどの演目を見たところで帰ることにした。駅前バス停のベンチで茫っと眺めていると、一瞬「アレ!今どこにいるんだっけ?」と思うような景色が広がっていた。それがこの写真である。熊本駅にはたしか3年ほど来ていないのでその間に景色が変わってしまっていた。



 前はどんな景色だったかなと思い出そうとするのだが全然思い浮かばない。帰宅してから、同じアングルの写真がどこかに残ってないかと散々探し回った挙句、見つけたのがこの写真。済々黌水球部が二度目の全国制覇を果たし熊本駅に凱旋、在校生の歓迎を受けた昭和28年9月1日の駅前の風景である。今から69年前ということになるが、「昭和は遠くなりにけり」感をあらためて実感。


 昭和42年 熊本日日新聞社刊「郷土スポーツの歩み 熊本の体力」には次のように紹介されている。

▼二度目の全国制覇
 二度目の全国制覇は、二年後の二十八年である。この年は六・二六の熊本大水害の年だった。濟々黌にも付近の被災者がいっぱい避難して、プールは被災者たちの洗たく場となり、水球の練習などできる状態ではなかった。インタハイは近づくし、選手たちは練習のできない苦しみとあせりでじりじりしていた。八月になってやっとプールが使用できるようになり、選手たちはこれまでのブランクを取り戻そうと必死の練習に明け暮れた。わずか一ヵ月足らずの練習でインタハイにのぞむことになった。この年の水球部は部長・平田忠彦、コーチ・竜川武弘、主将・田久保徹、井上融、前田隆啓、宮村元信、渋谷竜志、江副一英、飯田桂三、田上新一郎、内田啓一、内田実、坂本敏寛であった。
 第二十一回日本高校水上大会は八月二十九日、三十日の両日、名古屋の振甫プールで開かれた。水球の参加チームは十四校、濟々黌は第一日の第一試合で前年の優勝校鴨沂(京都)と対戦、3-2でこの強敵をくだした。二回戦の池田(大阪)には16-0と完勝、準決勝でも西京(京都)に9-2と楽勝して三十日の決勝に進んだ。
 優勝戦は午後一時四十分から高松宮ご夫妻を迎えて開始された。対戦相手は山城(京都)。濟々は立ち上がりLB井上がドリブルで山城ゴールに迫り、パスを受けたCF田久保が決めてリード。その後の出足の良さと、スピードにのった攻撃で田久保にボールを集め、前半3-1の優位に立った。だが後半に入って濟々黌は得意の泳力を生かせず、山城の強引な攻撃で同点に持ち込まれる苦戦。しかし終了前3分に田久保が決勝のシュートを決めて、二度目の優勝を飾った。