徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

お殿様の緊急避難ルート

2021-09-18 22:41:06 | 歴史
 今日は散歩で熊本県伝統工芸館(中央区千葉城町)の前を通りかかった時、ふと館の裏側のことを思い出してちょっと立ち寄った。閉館時間を過ぎていたので職員さんにひと言声かけして建物の裏側へ回った。地階への階段を降りるとそこは木々や草が生い茂り鬱蒼としているが、その昔、坪井川の船着場があったところ。工芸館の辺りには藩の米蔵があり、高瀬舟で運んだ米をここで積み降ろして搬入していたのだろう。


熊本県伝統工芸館


地階へ降りる階段


古めかしい石積みが残っているが、坪井川の護岸だったのだろう。


 また、いざという時に主君が緊急避難する際、不開門(あかずのもん)を通って駆け下り、ここから舟で脱出する手筈になっていたとも伝えられる。
 熊本城築城に携わった高瀬の大工棟梁・善蔵が語った「大工善蔵より聞覚控」という古文書には次のように書かれている。

――それから昭君之間のうしろに機密の間があつたこつも覚へとる。壁がめぐる仕掛けで壁が一帳きりつとめぐると床の高さ六尺ばかりのところから細か梯子で下に降りって女の髪の毛で練り合わせた綱にすがつて下に降りそれからつまる所は不浄御門から小豆坂に出るやうになつておつた。――

 前段の「どんでん返し」の話は、復元された本丸御殿にはそういうものはないので何とも言えないが、本丸御殿の式台之間には闇り通路へ降りる階段があり、隣の鶴乃間にも階段の跡があったので、本丸御殿からの脱出は割とスピーディーにできたかもしれない。小豆坂(あずきざか)というのが痕跡が残っていないので場所を特定できないが、上の写真の石積みと何か関係あるかもしれない。
 なお、不浄御門というのが不開門のこと。


不開門(熊本地震で倒壊する前)


不開門からこの坂を駆け下る。