徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

豊前街道筋 出京町

2021-09-22 21:32:08 | 熊本
 熊本市西区の出町(出京町)は現在、旧豊前街道(現県道303号線)に面した東側だけが出町という町名になっているが、江戸時代の町図を見ると、街道の両側にズラッと並んだ町家はみんな出町で、道が右に緩やかにカーブする辺りから先を新出町と呼んでいたようだ。現在、スーパーのマックスバリューの辺りが出町の北限で、そこから北方向は加藤清正時代に開削された「切通し」の道が続く。
 そもそも出町は京町番所の空堀の外に京町の出張りとして作られた町で、城下町と見なされていた。僕らが子供だった頃は普通に「出京町」と呼んでいた。小学校が京町と出町の境界に近く、小さい頃から京町と出町の別は意識しなかった。個人的には幼い頃お世話になったお手伝いさんが出町に住んでおられたことも親しみを感じた理由かもしれない。
 町のシンボルは往生院と大久保醤油の二つ。辺りは常に醤油の匂いが漂っていた。


かつて京町番所や空堀があった地点


7、8年前まで空堀の一部が残っていた。




町のシンボル・往生院(熊本地震前)


毎年2月末の往生院の開山忌は出店が並び大勢の人で賑わった。


大久保醤油(現フンドーダイ)


出町の先は切通しの道


戦後間もない頃まで見られた光景(山伏塚付近)

出町の米穀商・塩津家から塩津清人、塩津哲生、塩津圭介と三代の能楽師を輩出。

能「高砂」で後シテの住吉明神を演じる塩津圭介さん