徒然なか話

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江戸のリアルウーマン ~歌麿が描いた女たち~

2021-09-05 17:47:39 | テレビ
 4年ほど前に放送された「江戸のリアルウーマン~歌麿が描いた女たちの物語~」がBSPで再放送された。檀れいさんのナレーションに聞き覚えがあるので初回の放送も見ているのだろう。ただ、その頃は今回フィーチャーされた「難波屋おきた」の時代より30年ほど前、鈴木春信が描いた「笠森おせん」らの第1期美人画ブームの方に、より興味があったためかブログにも取り上げていない。
 「難波屋おきた」は浅草寺観音堂裏の水茶屋「難波屋」の娘として生まれ、13歳頃から店に出たようだ。15歳の時、喜多川歌麿の目にとまり肖像画のモデルとなる。以降、看板娘として18歳頃までは活躍していたらしいがその後の消息はよくわからないという。
 歌麿が繊細に描く「難波屋おきた」は「寛政の三美人」の一人。江戸中の人気を集めた茶屋娘おきたの日常を通して、江戸の女たちの実像を描こうというのがこの番組の趣旨。
 世は、奢侈(しゃし)に対する幕府の規制が強まった、いわゆる「寛政の改革」(1787~1793)の時代。絵師たちは知恵を絞って幕府の規制を逃れようとした。絵にモデルの名を記載することが禁止されると、右の絵のような「判じ絵」が流行った。
 左上に暗号のような絵が描かれている。すなわち「菜二把」「矢」「沖」「田」を表している。
 江戸後期、浅草寺境内では越後獅子が人気を博していたが、文化年間(1804~1817)にこれを題材として長唄が作られ、さらにその替歌として浅草寺界隈の賑わいを唄う端唄「浅草詣り」が作られた。
 江戸端唄の笹木美きえ師匠によれば「浅草詣り」の歌詞には一部差別的表現が含まれるので、歌詞を変えて唄われる場合も多いという。下の映像で「浅草詣り」を踊るはつ喜月若さんはこの時19歳。難波屋おきたが活躍した年齢とほぼ同じである。