とんち話でおなじみ、一休さんのモデルといわれる室町時代の名高い高僧、一休宗純禅師について、最近のライブドアニュースに書かれていたのが目についた。「喜寿にしてフォーリン・ラブ!」「晩年は酔っ払いのエロジジイ・・・」などと散々な言われようだ。一休禅師が77歳のときに40以上も歳の離れた森女(しんにょ)という瞽女(ごぜ)を側女としていたと伝えられるが、これは実は、一休禅師は森女がまだ少女だった時代に出逢っていて、森女はずっと一休禅師を慕っていた、後年、応仁の乱の戦火を逃れてたずねて来た森女を一休禅師はそばに置いたという前段の話があるそうだ。
「持戒は驢と為る、破戒は人」つまり「戒律を守るとロバになる、戒律を守らないのが人間だ」などと言って、自他ともに破戒僧であることを認めていたようで、悟りとは無縁のお坊さんだったのである。多くの詩集を残しているが、室町時代の能役者であり能作者でもある金春禅竹(こんぱるぜんちく、世阿弥の娘婿)と親交があったといわれ、今日では世阿弥の作とされている「江口」は、一休禅師の作ではないかという説もあるそうだ。
※絵は右が一休和尚像、左は森田曠平作「森上郎(森女)」
▼江口
旅の僧が摂津の国、江口の里を訪れると、一人の若い里女が現れる。女は、その昔西行法師が遊女江口の君に一夜の宿を求めたが、それを断った話をし、自分はその遊女の霊だと言って消える。僧が遊女の菩提を弔おうとしていると、川面に遊女達が舟遊びをする光景が見えてくる。遊女達はその身の上と世の無常を語る。いつか江口の君は普賢菩薩に変わり、舟は白象となって白雲に乗り西の空に上ってゆく。
この夢幻能は、いかにも一休禅師が作ったといってもおかしくない物語である。
「持戒は驢と為る、破戒は人」つまり「戒律を守るとロバになる、戒律を守らないのが人間だ」などと言って、自他ともに破戒僧であることを認めていたようで、悟りとは無縁のお坊さんだったのである。多くの詩集を残しているが、室町時代の能役者であり能作者でもある金春禅竹(こんぱるぜんちく、世阿弥の娘婿)と親交があったといわれ、今日では世阿弥の作とされている「江口」は、一休禅師の作ではないかという説もあるそうだ。
※絵は右が一休和尚像、左は森田曠平作「森上郎(森女)」
▼江口
旅の僧が摂津の国、江口の里を訪れると、一人の若い里女が現れる。女は、その昔西行法師が遊女江口の君に一夜の宿を求めたが、それを断った話をし、自分はその遊女の霊だと言って消える。僧が遊女の菩提を弔おうとしていると、川面に遊女達が舟遊びをする光景が見えてくる。遊女達はその身の上と世の無常を語る。いつか江口の君は普賢菩薩に変わり、舟は白象となって白雲に乗り西の空に上ってゆく。
この夢幻能は、いかにも一休禅師が作ったといってもおかしくない物語である。
能「江口」(能楽図帖より)