のすたる爺や

文明の果てなる地からのメッセージ

気疲れ

2020年02月11日 | 日記・エッセイ・コラム

 朝の気温マイナス4度。暖かいのか?寒いのかわからないこのところの気候です。

 久々に、ほぼ一か月ぶりにスキー場に仕事に行きました。

 予定に入れてなかったのですが、急遽来てくれと言う話でした。ユースケ君が乃木坂のライブに行ってしまったために人手が足りなくなったようでした。

 先月の話では飛び石とはいえ連休に当たる最中に乃木坂イベントには行けないと言ってましたが、麻衣やん卒業でなにがなんでも行くと施政方針が変わったようです。

 正月休みの頃とは学生バイトの顔ぶれが入れ替わってました。

 神戸出身の学生が来てまして、いろいろ話を伺っていたら、神戸と言っても山の中。有馬温泉の近くでした。なぜあんなところが神戸なのか?はなはだ疑問ですが、広いということで。

 大阪にアパートを借りて大学に通っているそうですが、アパートの住人のほとんどが日本語ではない言葉をしゃべる人たちだとかで、いつコロナウィルスが入ってきてもおかしくない環境だとか。

 今朝、ファミマに行ったら普通にマスクが売られていました。観光客が買い占めていくことでしょうが、必要十分なものは流通している。

 国内で、予防対策物資が不足している中、ニーハオに支援でそれらを送る自治体っていかがなものなのかな?わが身を犠牲にしての美談と言うより、人道を笠に着た自己陶酔でしかないと思うけれど、よほど賞味期限切れの物資が余っていたんだろうか?

 すでに国内の医療機関でマスクやエタノールが手に入らず先行きが危なくなっているのに、何のための備蓄だろう?その支援で送った物資が、ニーハオから東南アジアに支援物資として行ってたりして。ODAみたいだな。

 二階さんや鳩山さんを支援物資として送りましょう!

 国のために死ぬことと、国があなたを殺すこと。この違いは冷ややかに判断せねばならないけれど、やはりこうした災害への対策も個人なんですね。個人の裁量で備蓄して、できなければ死んでいく。そこが基本なんですね。だから、行政は余計なことをしなくていいってことになります。

 その典型がニーハオだと思うのだけど。

 1993年の冷夏による米騒動を思い出しました。

 あの時はもう米が食べられなくなるような騒ぎになり、食糧庁の存在意義などが問われましたが、農村に住んでいると、今頃の季節になると早場米が出てくるから問題ないんだけどなぁ。と愚かしく見えました。

 多分背景にはこの騒ぎをきっかけに外国米の輸入を認知させようという思惑があったのでしょうが、こちらはマリーアントワネットじゃないけど、「お米がなければケーキを食べればいいじゃないの」と眺めるしかありません。

 あの年は韓国やアジアでも米が凶作で、昔から麦と違って気候変動を受けやすいコメの凶作は世界全体で起きると言われていた意味がよくわかりました。

 未曽有の雪不足で、夏の水や長雨が気になっていますが、気にしたところでこちらには影響はない。影響を受けるのは下流の都市部です。でも気にかけている。

 すでにダムは満杯状態で、水の調整に入っています。たぶん春先の雪解け水は異様に少ないことでしょう。

 昔、昭和の時代にBC戦争と言うのがありまして、日産のブルーバードとトヨタのコロナが販売台数を競っていました。すでにどちらの車種もその名を残していませんが、今は新型コロナブームなので、コロナ復活のチャンスなんですけどね。5ナンバーでいいクルマってなくなってきましたからね。

 新車が売れなくなっているようですが、軽四は好調なんですから需要がどこにあるかってことなんでしょうが、なんか最近、政治に限らず企業も日本国内を向いていない、購入する価値がないのスパイラルに入っている気がしますそして、景気の「気」が上がらない。

 それもそのはずで日本の実質個人GDPが世界26位になっているというのですから、日本の個人購買力なんぞあてにできないわな。

 きれいごとにも辟易です。

コメント (2)
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