のすたる爺や

文明の果てなる地からのメッセージ

マキシマ

2013年08月22日 | 日記・エッセイ・コラム

 夏の甲子園は前橋育英高校が優勝して終了しました。群馬の夏は最後まで終わらなかった。おかげでバテバテです。

 甲子園はラジオで時々聞く程度でしたが、今回のチームには利根沼田地区から4名の選手が出ていました。エースの高橋投手は今は沼田市ですが、昔の利根村の郵便局員のせがれだと今日はじめて聞きました。

 さらに、今日もホームランを打った私の村から出た田村という選手。父親は私のすぐ下の弟と同級生で、結婚前は年中我が家に来ていました。あの当事まだ珍しかったV6エンジンを搭載したブルーバード・マキシマに乗っていたので「マキシマ」と呼んでいましたが、そういえば「マキシマ」の姓は田村でした。

 マキシマの息子といえばおぼえがあります。私の弟達と海水浴に行った帰りに私の実家によって2次会をしていたとき、パンツ一丁(紙おむつ一枚)でテーブルの上で踊っていたお調子者の赤ちゃんで、酒屋の前掛け巻いて相撲取りの真似させたり、大人達のおもちゃになっていた赤ちゃんでした。あれが甲子園で優勝した選手になったかと思うと世の中わからないものです。

 たまたまそんな話をしていた人が、以前ゴルフの最中に同じパーティーの人がポックリ亡くなった事件のことを話してくれました。

 炎天下の出のゴルフの最中に心筋梗塞でポックリは良くあることですが、そのほとんどがパターのときに倒れているのだそうです。思い切りクラブを振るときではなく、精神統一してちょこっとボールに当てるパターのときが多いというのも驚きでしたが、パターとティーショットとかが何のことやら?私には皆目見当が付かないので、そこからのレクチャーになり「こんなことも知らないのやつがいるのか?」と向こうに驚かれていました。

コメント
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