ボクの奥さん

ボクの奥さんは、甲斐よしひろさんの大ファン。そんな彼女との生活をお話したいと思います。

ちょっと気になった言葉おまけ

2021-03-23 23:10:00 | 日記
甲斐さんは「福岡と言えば『明太子』と『豚骨ラーメン』って思われてるけど
ホントのソウルフードは『おきゅうと』と『うどん』だからね」と、よくおっしゃってますが
中原蒼二さんは、著書「わが日常茶飯」に…
「数ある麺類の中でも、うどんはとりわけ身に優しいもの。腹に納めると体が芯からほどける
だから、うどんについては、誰も蘊蓄を傾けたり『どうだ』と凄んだりしない

ここのうどんがいかに旨いか、という話をする時でも
これといった取り柄もなく、目立たぬ奴ですが、いないと困る大事な奴ですと
まるで、出来の悪い家族の1人について話すような空気が流れる」…と記されていて
確かに、力を込めて凄んだりは、なさってないんだけど
充分、熱く語られているような気が…?(笑)

血の繋がったご家族ではないものの、ご一緒に生活なさっている阿佐ヶ谷姉妹のお二人は
お食事もたいていご一緒にお取りになるそうですが
ある日、美穂さんがご自分の分だけシチューをよそい、お一人で食べ始められたのをご覧になって
「どうして私の分もよそってくれないの?
私だったら持って来るけど…という考え方が違っているのかしら」と江里子さん

でも、それは「やって貰って当然のことではなく
『サービス』なのだと考えたら落ち着いた」…と、おっしゃっていて
「普通」という感覚が、人によって違うってことを改めて痛感…というか
ボクは、奥さんから「そういうトコ、一人っ子だよね」と言われるたびに
自分の「普通」と奥さんの「普通」が違うことをひしひしと感じてますが…(苦笑)

「美穂さんも一人っ子でいらっしゃるのかなあ?(笑)」と思っていたら
ウェブサイトで連載中の原稿が書けず、食欲を失くされた江里子さんのために
普段は辛口派の美穂さんが、江里子さんのお好きなバーモントカレーのルーで
カレーを作って下さったらしく「さりげないいたわりは身に染みる」と江里子さん
ただ、美穂さんは「今日のは、バーモントの中辛です
甘口じゃないのよ、中辛だからね」とおっしゃったんだとか…(笑)

カレーと言えば、翌朝にも食べる・食べない問題(笑)
「朝からカレーなんて…」とか「残り物を出すのは手抜き」とか
「きちんと保存しておかないと食中毒になる恐れがある」など
「食べない派」の皆さんのご意見もごもっともなんだけど
一晩寝かせたあのしっとりとしたコクは、もはや別の食べ物(笑)とも言える訳で
そのままでも良し、カレーうどんやカレートーストにするも良し♪

で…「人の世の毎日は『夕べの残り』を引きずりながら、次の日へ、また次の日へと繋がって…」
…と、おっしゃったのは、ドラマ演出家の久世光彦さん
「前夜のいざこざや行き違いも、一晩寝かせた煮物の味と相まって
ぺこりと頭を下げると、空気がほどける
賢く乗り越える知恵を朝に学んだ」そうです

もう1つ、久世さんは…「始まったからには、終わらなければならない
映画や小説にはラストシーンがあり、エッセイにも最後の一行があるが
人生のオチは、誰も自分では書けない
末期の刻になって、こんなラストシーンのつもりじゃなかったと、ジタバタするのがオチだ」
…と、見事に落として?(笑)おられますが

なかにし礼さんも…「人生に起承転結があるか?そんなものあるはずない
ありそうな気がして、何となくケジメをつけてみたくなるだけだ
人生には目的すらもない。無数の動機がせめぎ合う『ジタバタ劇』があるだけだ
だから、片意地張って、その1つに賭けるなどというのは馬鹿げている
歌は巷を漂う。それを耳にした時に生まれる、人生それぞれの問いに
愛情を持って答えて行く用意のある歌が良い歌だ」…と「作詩の技法」に記されていて

幾つになっても「ジタバタ」しているのは、自分だけじゃないと、ちょっとホッとする一方で
「ジタバタするのがオチ」ならばと、腹をくくるほど達観も出来ず…(苦笑)
でも、そういう宙ぶらりんな気持ちに寄り添ってくれる歌は、確かに良い歌かも知れませんね?(笑)

かの瀬尾一三さんは…「時代にヒットするというのは、サウンドだけの問題ではない
それよりも、その作品とその時代の人々の気持ちに入り込んで
『自分が求めていたのは、これじゃないか?』と感じさせられる何かがあることが必要なのだ
そして、その何かは、決して計算で作り出せるものではない」…と話され

佐藤剛さんは…「聴き手を感激させない音楽も
感激から生まれたものではない音楽も、私は音楽ではないと思っている
少なくとも、私の目指して来た音楽の姿ではない」…とツイートなさっていて

かつて、甲斐さんが…「ひとりのシンガーがさ、10年、15年歌ってたとしたら

『来た来た』って『歌を歌う自分』を感じられるのは1回か2回だね
物凄くてめえ自身がシビアにならざるを得ない時っていうか
てめえ自身が最高のボルテージなんだっていう感じで作った歌
俺の場合、それが『漂泊者』だった訳なんだけど…

それでもね、聴く側はやっぱり『ただの歌』としか聴かないからね
色んな人の心に残る流行り歌ね…それはやっぱり、その時の時代のタイミングと
リアリティーのある、なし、で決まるんだろうね
信じさせたり、信じ込ませたりするリアリティー。これなんだよね

ただ、そういう歌を作ってる本人は、ハンパじゃなくキツイよね
その時代を取り巻いてる色んな感覚を吸収してさ
最大公約数の無意識っていうもんを、てめえの血と肉を使って表現する訳だからね」

…と、おっしゃっていたことが重なり、そういうパッションというか
内側からほとばしり出た作品が、企まずして時代のニーズに合致するって
どれだけの確率なんだろうとか、イヤイヤ、ヒットを狙うどうのじゃなくても
「キてる」状態の時は、自然と肌で時代を感じておられるんじゃないか?とか

イヤイヤイヤ、そのために身を削り、血を吐くような思いをしなければならないかも?とか
それでも、時代の先端に立ってみなければ、見ることが出来ない景色ってどんなだろう?等々
ボクが考えてもしょうがないことがグルグル~(苦笑)

ということで、代わりにココ・シャネルのあまりにも有名なこの言葉…
「流行を作っているんじゃない。私自身が流行だから」
まあ「やっと時代が追いついて来た」と肩を並べるくらい
『カッケー!』の一言だけど、生半可な覚悟じゃ言えないでしょうね

母に死なれ、父に見捨てられ、孤児院で育ち
裁縫の下働きから身を起こし、27歳で帽子店を構え…っていう波乱万丈ぶりもスゴイんですが
「私の頭の中に、秩序を押し込もうとする人々が嫌い」と宣言し
体を締め付けるコルセットから女性たちを解放し
スカートの丈を短くし、ジャージー素材の服も考案
自ら髪を短くして、ショートヘアを流行らせた…一方で

新作を自国で酷評されても、米国でヒットさせ、流行を逆輸入したり
手の届く製品から商いを広げ、安価な素材を巧みに使う…といった
緻密なマーケティング戦略を武器に、たぐいまれな経営手腕を発揮する…って
まさに「ヒットチャートに入るロック」みたいな方だなあと…(笑)
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ちょっと気になった言葉3

2021-03-22 15:10:00 | 日記
甲斐さんは、よくちあきなおみさんの歌唱力を絶賛なさってますが
そのちあきさんだからこそ成立したというか
今でも時折、物議を呼ぶことがある異色作「夜へ急ぐ人」
…って、奥さんは、この曲をテレビで初めて聴いた時
鬼気迫るちあきさんの表現を「イヤ、怖い怖い怖い!」と思ったみたいです(失礼!)

ボクは、この曲をお作りになった友川カズキさんが…
「日雇い暮らしをしていた頃は、色んな人がいましたから、そりゃドラマチックでしたよ
雨が降ると仕事もなくて、1日中、花札やりながら酒飲んで…
大部屋での雑魚寝でしたけど、読書や詩作は誰もいない風呂場でやってました」とか
「きつい仕事も結構やりましたよ。沖仲士っていう船の荷物の揚げ降ろしも…
2人1組で、勝手に休めなくて嫌でしたね」

…と振り返られているのを拝見して、甲斐さんが「ミュージックフェア」で歌われた
かぐや姫の「赤ちょうちん」の歌詞に出て来る
「キャベツばかりを噛ってた」…みたいな生活を思い浮かべたり
甲斐さんや松藤さんも経験されたという「沖仲士」に食いついたりしたんですが

友川さんによれば…「生きてるって言ってみろ」という曲をお作りになった翌日に
ちあきさんの事務所から「お会いしたい」との電話があり、出向いて行かれたところ
ちあきさんご本人から「曲を作って頂けませんか」とオファーされ

その後、ちあきさんのステージをご覧になったら
「ジャニス・ジョプリンを歌っていたんですよ。もう滂沱の涙で…
ジャニスをあんな風に歌える人はいないと…
で、わりと簡単に『夜へ急ぐ人』は作れた」そうだけど

「『これで大金持ちになるんだ』と思い
妙な期待を覚えながら、紅白歌合戦を見てました
そしたら、司会の人が『気持ちの悪い歌ですねぇ』って…あれは、台本にない言葉ですね」
…って、それは、その司会の方の正直な感想だったのかも知れない(失礼!)と思う一方で
会場であるNHKホールの空気が、何かコメントしないことには落ち着かない
みたいな雰囲気になっていたのかなあと…?

甲斐バンドが「ザ・ベストテン」に出演した時
NHKの番組の公開収録の場から、民放のカメラが生中継するという
前代未聞のスタイルを容認なさった、当のNHKのディレクターの方が

「はっきり言って異様でしたね。でも、その異様な感じを見て『あ、これで大丈夫
この異様な感じを出せれば、テレビに飲み込まれないで済む』って思った」
…と、おっしゃったのと、真逆の心理が働いたんじゃないかと…?

そうそう!友川さんは、大島渚監督から「訛りを直せますか?」と訊ねられ
「イヤ、これは直らないです」とお答えになったことがおありだそうですが
監督は「戦場のメリークリスマス」への出演をオファーなさるおつもりだったらしく

友川さんが、その試写会で、ご自身に予定されていた役をご覧になり
「相手はデヴィッド・ボウイで、あの色気、不良の匂い、存在感には太刀打ち出来ない
やはり無理だったと思いました」と話されていてビックリ!
友川さんの代わりが「教授」だったってこと!?あんなにハマって見えていたけど
監督が最初にイメージなさっていた「ヨノイ大尉」って、どんな感じだったんでしょうね?

映画繋がりで行くと…甲斐さん大絶賛の「孤狼の血」の第2弾を撮影中の白石和彌監督が
危険地帯ジャーナリストの丸山ゴンザレスさんのご指名で「SWITCH」に出演なさった際に
松坂桃李さん演じる刑事が、相棒のアパートを訪ねるシーンで…

その相棒「セシマ」の隣人役の俳優さんが
「セジマさん」と呼んでしまわれ、NGとなったものの
「『セシマ』が『セジマ』…アリかなあ?
『セジマさん?』『セシマです』…もうサラッと…」と白石監督
…って「大島さん?」「児嶋だよ!」みたいな展開にクスクス(笑)

でも、隣人役の俳優さんに「もう1回、間違って貰っていいですか?(笑)」とお願いされたのは…
「台本って、やっぱり、言い間違いとか噛んだりとかないじゃないですか
でも、僕らが生きてる世界は、そういうミステイクやアクシデントに溢れてるんで
邪魔にならない範囲で入れて行った方が、たぶん生々しくはなって来る
そういうのが、現場の良さで、楽しみでもある」…からだそうですが

その昔、上岡龍太郎さんも「パペポTV」の中で…
ドラマや映画のセリフは、噛んだり間違えたりすると撮り直しになるけど
ふだん我々が話をする時に、そんなに流暢に喋ってないでしょ?
つっかえたり言い間違ったりする方が自然ですよ…といった風におっしゃってましたし
この「セジマさん?」「セシマです」みたいに
「ナカジマ」さんとか「ヤマサキ」さんとか
お名前の「濁る」「濁らない」の訂正は、日常的にままあることですよね?

ただ、本来は予定していなかったことを「現場」の空気や流れによって採り入れる方って
往々にして、突拍子もないことを思いつかれる訳で(笑)
白石監督は、松坂さんが「『ガッチャマン』の時に、7階から飛んだことあります」
…と話されたのを覚えていらして「3階くらいだったら、自力で行けるかなって…(笑)」と
主演俳優に3階からパトカーの上に飛び降りるシーンを要求(汗)

「あまり、監督の前で軽い話は出来ないんです
しっかり聴いて覚えてるんで…(笑)」と苦笑いなさる松坂さんを横目に
「基本的に(台本に)書いてあるものは、あくまで土台として、更に、よりブラッシュアップ…
どう出来るか?…ってことは、すごい考えます」とおっしゃっていて
レコーディングスタジオには「欠片のようなものだけを持って入る」という
某ミュージシャンの方を思い浮かべてしまいました(笑)

ともあれ…前作の「孤狼の血」は、オープニングから強烈で
まあ、映画館に足を運ばれた場合はいざ知らず
配信やDVDでご覧になったら、思わず視聴を中止なさる方もおられたんじゃないかと…?(汗)

役所広司さん演じるダーティーな刑事が
反社の方から「警察がこんなことしてええんか!」と言われ
「警察じゃけぇ、何をしてもええんじゃ!」と返すシーンがあったり(苦笑)
「日本で一番悪い奴ら」では、拳銃の検挙数を上げるため、暴力団と手を組み
麻薬密売に手を染めた、実在の北海道警察の刑事を取り上げられたり
「凶悪」も実際の連続殺人事件のノンフィクションを原作になさっていたり…と

「悪人を描かせたら天下一品!」な白石監督いわく…
「悪は、誰の中にも存在するものだし、でも完全な悪の人って、僕はまだ見たことがなくて
『凶悪』で、ピエール瀧が演じた須藤って男は
平気で…自分のコミュニティ以外の人間だったら、平気で殺すんだけど

家に帰ると、子供たちに優しくて、きっと良いおじさんだったりするじゃないですか
本当の悪って、そういうもんなんじゃないか?
単なる…やっぱりあの…一面的な悪じゃなくて多面的な人間
悪ければ悪いほど、多面的な人間を見せるようにしてますね」

…って、確かに、かつて成田三樹夫さんが演じられた、背中に絵のある強面の男性も
自宅では、幼い娘に相好を崩し、赤ちゃん言葉で話しかけるという(笑)
そのメロメロぶりにニンマリしてしまったことがアリマス(笑)

ただ、監督は…「今の日本映画って、社会をほぼ描かないって、よく言われる…
僕、すごいそう感じるんですけど、それってやっぱ
それを観たがる人がいるかどうかだけの問題なんですよ
昔は、そういうのを観たい人たちがいっぱいいたから、そういう映画を沢山作ってたんであって

だから、映画って『社会を映す鏡』って、よく言うんですけど
ちょっと前に気づいたのは、映画界が社会を撮さないんじゃなくて
日本の国民とか民衆が、社会に興味を失ってないか?っていう…
その社会派の映画が作れるか作れないかっていうことに、大きく関わっているなと
個人的にはすごい思ってます」…と憂いておられたんですが

それは、甲斐さんが「三つ数えろ」をお書きになった際に
そのきっかけとなった「梅川事件」に触れようとなさると
慌てて話題を変えようとしたDJの方がいらしたみたいに
コンプライアンスにピリピリしているマスコミが、民衆に情報が行き渡らないように
フタを閉めまくっているせいもあるんじゃないかと…?(汗)

でも…我が家の購読紙に「社会の不条理 いまヤクザ映画で」という見出しで
「義理と人情を描き、かつて一大ジャンルを築いたものの、今や数えるほどに減ったヤクザ映画
そのヤクザを題材に現代社会を映し出す注目作の公開が相次ぐ
社会から排除された、はみ出し者の物語から見えて来るものとは…」という記事が掲載されていて

「美化する訳でもなく、悪と決めつけるのでもない
リアリティーを持った作品で暗く沈むが、どうしようもない現実を見せつけてくれる」という
「ヤクザと家族 The Family」の河村エグゼクティブプロデューサーは…

「時代が変わり、新自由主義が進むに連れ、相互監視や同調圧力が強まった
ヤクザの排除は、そんな社会を象徴している
義理や人情、繋がり、絆が、今は断絶、分断されている
ヤクザ映画は、一種のタブーだが『新聞記者』同様
ジャンルを超えて行く作品にしたかった」と話され

また「殺人罪での服役を終え、今度こそ更生しようともがく
元ヤクザの主人公の姿を通して、社会の不条理や生きづらさをあぶり出す」
「すばらしき世界」の西川美和監督は…
「社会から忘れ去られた側、排除される側を描くと
個人に焦点を当てても、それを取り囲む世界が見えて来る」…とおっしゃっています

ただ…「ヤクザの在り方自体が変わった現代
作り手も観客も敏感になり、描くとしても美化することは許されない
北野武監督の『アウトレイジ』白石和彌監督の『孤狼の血』など
近年も話題作はあるが、その数は減っている」中

WOWOWの映画キュレーター・甲斐さんのインタビュアーを務めておられる
映画評論家の松崎健夫さんは…「(上記の2作品は)昔ながらのヤクザ映画とは違うけれど
注目の監督が共に取り上げたのは、社会に描くべきことがあるから。
アプローチは異なるが、両方とも刑務所を経て
突然現代社会に出て来ることで、時代の変化を提示し
世界的なテーマにもなっている格差社会の流れを、はみ出し者を通して新たな視点で描いている」
…と紹介なさっていて「社会を映す鏡」の在り方が変わって来たんだなあと…

余談ですが…前述の「SWITCH」後半、丸山さんのパートになり
丸山さんが、無職でいらした頃「3食チキンラーメンで過ごしてました」とおっしゃったんだけど
朝ドラ「まんぷく」効果なのか?(笑)録画映像なのに特に修正やお詫びなどはなく
奥さんは「甲斐さんが生放送で、商品名と知らずに『へちまコロン』って言った時は
『へちまのコロンですね』って訂正されたのに…」とクスクス(笑)
今や、ある意味、民放より自由度が高いのかも知れませんね?(笑)
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ちょっと気になった言葉2

2021-03-21 14:20:00 | 日記
阿久悠さんと同じく、70年代の歌謡界に新風をもたらされた松本隆さんが
長年コンビを組まれ、数多くのヒット曲を生み出された作曲家
筒美京平さんがお亡くなりになったあとのインタビューで…

「意外と、水と油みたいに音楽的な指向性は違ったと思う
北極と南極くらい違っていたというか…
僕はバンド出身で、京平さんはそれをせず作曲家になったというのもある
京平さんはシングル志向で、僕はアルバム志向というのもそうだと思う」…と話されていて

そういえば、作曲家の都倉俊一さんも、筒美さんについてのインタビューで…
「京平さん自身は、歌があまり上手くなかった
でも、それが懐の深さ、引き出しの多さに繋がっていた
自分で歌える作曲家たちは、自分の世界に入って、自分が歌って気持ちいい歌を作る
でも、自分で歌わない京平さんは
完全に提供する相手の身になって歌を作るから、とにかく幅が広かった」とか

「僕は、ピンク・レディーにしても、山口百恵にしても
シリーズものにしたり、編曲したりと全てプロデュースする
京平さんは、プロデュースというよりは、楽曲そのもので勝負する
その違いはありました」…と、おっしゃっていたし「1曲入魂」の方でいらしたのかなあと…?

ただ、松本さんは…「歌謡界で、一から百まで信頼できるのは京平さんだけだった
京平さんが仕事を引き受けてくれたら、それでもう僕の仕事は半分終わり。
成功を保証されたようなものだったから」とも話されていて
その絶大な信頼感がスゴイなー!とビックリ!

でも「日本は、古代から常に大陸の文化を輸入して来た国
時々、紫式部のような天才は出て来るけれど、基本的には輸入が多い
戦後も、アメリカ文化を輸入し始めて、最初は訳詞をつけて歌っていたけれど

京平さんは、洋楽ポップスと日本の土着性の接点を探して、新しい音楽を作った
ジャンルを作ったんだと思う。新しい歌謡曲というジャンルを…
僕は、日本語でロックをやり出して、僕もジャンルを作った
だから、僕らというのは、MacとWindowsのような感じで
日本の音楽のプラットホームになってるんじゃないかと思うんだ」という言葉にナットク

甲斐さんが「ヒットチャートに入るロック」を意識なさったのは
日本のロック第一世代だったジャックスや、はっぴいえんど
サディスティック・ミカバンドなどが、優れた楽曲を生み出しながら
商業的には成功したと言えないことを歯がゆく思われていたからみたいですが

…って、松本さんご自身は「ヒット曲を出すなんて全く考えていなかった」らしく(笑)
好きな音楽をやるために集まった仲間と共に、キャリアを重ねられた作詞家と
「ヒットしなければ失敗作」とおっしゃる「職業作曲家」が
「ゴールデンコンビ」と呼ばれるようになられたのは必定だったんだなあと…

ただ、松本さんは、このインタビューの最後に…
「はっぴいえんどは、半世紀経ってしまったけれど
ありがたいことに、年が経つごとに評価が上がって来ている感じがする

僕と京平さんの作品の多くも、これからそうなって欲しいと思う
流行り物じゃなく、音楽の歴史として残って行ってくれたらなって…」
…と話されているんですが、様々なアーティストによるカバーはもちろん
CMやドラマのタイアップは引く手あまたでしょう?(笑)

そうそう!このところ「Mt.RAINIER」のCMで「風をあつめて」が流れるたび
奥さんは、先月配信された甲斐バンドの「プレジャー・プレジャー」でのライブに行った際
1ドリンク制のコインを握り、この「Mt.RAINIERホール」の交換カウンターに並んだ時
生まれて初めて、温かいコーヒーやカフェオレがあったことに感激したのを思い出すらしい(笑)
まあ、寒い時期の開催でしたしねぇ…(笑)

それはさておき…昨年末に亡くなられた、作詞家のなかにし礼さんと
タッグを組まれていた作曲家の浜圭介さんは…「『あなたの過去など 知りたくないの』
1960年代半ばに、そんな歌詞が耳に飛び込んで来ました…菅原洋一さんの『知りたくないの』
洋楽に日本語詞を付けたのが、なかにし礼さんでした
あんな歌詞は、それまでの歌謡曲になかった
『すごい詞を書く人だな』と思いました」…と、なかにしさんの作品との出会いに始まり

初めての共作は残念ながらお蔵入りになったものの
数年後、なかにしさんからの「石狩挽歌」の曲作りのオファーをお受けになった際に
「それまで歌謡曲で、16分音符はほとんどなかったと思うし、僕自身そんな発想はなかった
礼さんの詞が引き出してくれた。あの歌がなかったら(16分音符を使った)
『舟唄』も『雨の慕情』も生まれなかった」とか

「共作した『ホテル』の中には『一度でいいから あなたの肌に爪を立てたい』
…みたいな、鋭いフレーズが沢山あった
女性視点の歌詞を書くのも、とにかく上手くて
その繊細な気持ちを、あんなに細かく、表現豊かに描ける人は、礼さんしかいなかった
でも、面白いことに、石原裕次郎さんの作品だと、男の世界に入り込む
『勇者たち』とか『わが人生に悔いなし』とか…そのギャップもすごかった」とか

「1番、2番、3番…と続いて行くのが、それまでの歌謡曲だったけれど
1番、2番、サビを繰り返す『ツーハーフ』というやり方を日本に定着させた
それによって歌謡曲は、日本的なものから、よりポップなものになって行ったと思います」
…と、おそらく?なかにしさんの詞先で
作品を生み出されて来たことが窺える言葉が続いていて、とても興味深かったんですが

ボクがツボったのは、その石原裕次郎さんが、初対面のなかにしさんに
「よしな!よしな!シャンソンの訳詞なんぞ、どうだっていいじゃないか
あんなもの、日本語にしたってつまんねえよ!なんで日本の歌を書かないのよ?
俺が歌ってるような、ガツーン!とヒットする歌をよ」…と真顔でおっしゃったという言葉(笑)

もうナンか…昭和の「スターさん」っていうのは
豪快というか、スケールが違うというか…(笑)
その大スターに、いきなり、こう話しかけられたなかにしさんは
それこそ「ガツーン!」って感じでいらしたんじゃないかと…?(笑)

ともあれ…浜さんが「僕は、阿久悠さんとも沢山の曲を作って来ましたが
阿久さんはアメリカで、礼さんはヨーロッパだというイメージがずっとあった
阿久さんは、ニューヨークっぽい都会的な印象
礼さんは、フランスのシャンソンが好きで、字余りの歌詞をよく送って来た」

…と話されているのを拝見して、阿久さんの「無国籍曲」の代表である
「ジョニイへの伝言」と、それに続く「五番街のマリーへ」を思い出したんだけど
この2曲は、共にペドロ&カプリシャスが歌唱を担当されたこともあり
「2時間待ってた」だけで(笑)バスに乗り、去って行った女性が「マリー」で
「五番街」で新しい生活を始めた彼女に対し「ジョニイ」は未練たらたら…(苦笑)

…といった風に、連続したドラマみたいな受け取られ方をしていたのに
阿久さんは「2つを組み合わせて考えたことはない」とバッサリ(苦笑)
そこは「聴き手それぞれのイメージに委ねます」とかナンとか
お茶を濁して頂きたかったなあと…(苦笑)
まあ、甲斐さんは「マリーへの伝言」という「合作」をお作りになりましたが…(笑)
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ちょっと気になった言葉1

2021-03-19 22:05:00 | 日記
甲斐さんが、ラジオ番組で告知なさっていた
「歌える!J-POP黄金のヒットパレード決定版!」に関する記事に…
「この時代(70年代から90年代)は、いわゆるJ-POPの黄金時代と言われており
往年のファンは多い」…という一文があったんですが

くくり方がザックリし過ぎというか(笑)
それこそ、いわゆる「ニューミュージック」世代の奥さんにとって
「J-POP」なんて「つい最近の呼び方」みたいだし(笑)

その「ニューミュージック」以前は、乱暴な言い方をすれば
「邦楽」vs「洋楽」とか「演歌・歌謡曲」vs「フォーク・ロック」といった風に
相容れないものを「ジャンル」という名の壁で仕切っていた感じがあるし

その感じは、和洋折衷…様々な音楽を聴いて育ったリスナー達が自ら演者となった
「ニューミュージック」というカテゴリーが登場した時もまだ続いていたような気が…?

なので…例えば「甲斐バンド」と「倖田來未」さんが
同じ「J-POP」というフレーズで、くくられていることに「ん?」となったんだけど(笑)
「今でも『あの歌』を聴くと、その時代に瞬間移動してしまう
音楽は、まさに唯一『存在するタイムマシン』と言えます」との一文にはハゲ同(笑)

甲斐さんも、レストランで流れていた映画音楽を耳にされた途端に
その映画の場面や、それをご覧になった当時のご自身のことがフラッシュバックして
一気に気持ちを持って行かれたとおっしゃってましたよね?

もっとも、そのタイムマシンは、楽しかった時に連れ戻してくれるだけじゃなく
切なく哀しい思い出や、いたたまれなくなるような出来事を
イヤでも甦らせることもあるかも知れませんが…?(苦笑)

「その当時」が、どの時代になるかは、もちろん年代によって違うとはいえ
好きで聴いていた曲や、自分の心情を重ね合わせていた曲に限らず
当時よく流れていたヒット曲がタイムマシンになったりもする訳で

「誰でもが歌える名曲」という基準で選ばれたという、この番組のラインナップには
「音楽配信のストリーミングサービスが、大きな伸びを見せており
その中でも、80年・90年代の音楽の人気が高まっている」ことも影響しているらしく

倖田來未さん世代の皆さんにとっては、我が家の「タイムマシン曲」が
「ピカピカの新曲(笑)」として定着しているのかなあと…?(笑)
まあ、倖田さんは「愛のうた」の他に「キューティーハニー」も歌われるみたいなので
ある意味、我が家のタイムマシン曲とも言えるんだけど…(笑)

ただ、南佳孝さんが「モンローウォーク」と「スローなブギにしてくれ」
甲斐バンドが「HERO」と「安奈」という「THE 代表曲(笑)」を披露されるのに対し
渡辺真知子さんが「迷い道」と「唇よ、熱く君を語れ」を歌われることに違和感が…(苦笑)
イヤ、どちらも素晴らしい曲なんですが
ナンで「かもめが翔んだ日」が外されたんでしょうか?

それはともかく…「歌える」J-POPが、70年代~とされているのは
それ以前だと、演歌・歌謡曲の方が「歌える」曲が圧倒的に多い、いわば「全盛期」であり
当時の若者たちに人気があったフォークやロック…J-POPの原型は
まだ広く認知されていなかったからじゃないかと…?

実際、甲斐バンドがデビューした74年のヒットチャートには
ほとんど演歌や歌謡曲しか並んでおらず(汗)
甲斐さんが「チャートに入るロック」を目指されたのも
そうした業界の環境によるところが大きいかと思われますけど

一方で、プロの作詞家として、チャートを賑わせていらした阿久悠さんも
「権威あるレコード大賞」を受賞なさるには異端というか
大御所の先生方から愛でられる存在ではなかったみたいで(苦笑)
古い業界の体質に風穴を開けるという意味では
甲斐さんと同じような思いを抱かれていたのかも知れませんね?

阿久さんが、作詞家になられるにあたってお作りになった「作詞家憲法十五ヵ条」
その第1条には「美空ひばりによって完成したと思える
流行歌の本道と違う道はないものであろうか」と
美空さんに代表される戦後の流行歌を強く意識なさる一方で
違う形の流行歌を生み出そうとなさっていたことが窺えますし

その具体策の1つと思われる?「『女』として描かれている流行歌を
『女性』に描き変えられないか」という、主に演歌を標的にするような条文もあり
例えば「津軽海峡・冬景色」のヒロインは
男性に捨てられたからじゃなく、自らの意思で北へ帰って行き

「北の宿から」のヒロインが「着ては貰えぬセーターを寒さこらえて編んで」いるのは
別れた男性への未練というより「儀式みたいなもので
セーターを完成させることで、ケリをつけたかったから」とおっしゃっていて
既成の演歌路線とは似て非なるものを目指されていたみたいです

もっとも、八代亜紀さんに提供なさった「舟唄」は
スポーツ紙の企画で、美空さんを想定して書き下ろされた曲なんだとか…(笑)

ちなみに…阿久さんが「スター誕生!」の審査員席で
いつも厳しいお顔で、辛口のコメントをなさっていたのは
「番組を始める時、プロを目指す出場者を子ども扱いしちゃいけない
絶対、笑顔を見せない」とお決めになったかららしく
そうした点でも、業界の「しきたり」や慣習に流されない姿勢が垣間見える気が…?

そもそも、前述の「憲法」といい「スタ誕」への心構えといい
「何かを始める時には決めごとをする」という「阿久流」は
「何かを始める時には形から入る」とおっしゃっていた
某ミュージシャンの方と同じスタイルですよね?(笑)
お二人とも、映画やスポーツがお好きですし…(笑)

ともあれ…阿久さんは、代表作「また逢う日まで」を「数奇な運命の歌」と呼んでおられたらしく
…って、最初は筒美京平さんが、エアコンのCM曲としてお書きになったもののボツとなり
次に、阿久さんが歌詞を付け、ズー・ニー・ヴーに提供なさって
「ひとりの悲しみ」というタイトルで発売されたものの、全く売れず…(汗)

3度目にして、やっとレコ大受賞という逆転ホームランをかっ飛ばされたそうですが
「いい作品を記憶していて、何度でもトライするようなロマンチシズムが
その頃の音楽界には、普通のこととして存在していたのである」と阿久さん

…だとしても「次のシングルが売れなければ契約を打ち切る!」と宣言されてしまう(汗)
「フォーク・ロック部門」のグループやバンドとは、全く違う世界の話で(苦笑)
そこは、やはり阿久さんの「実績」がモノを言っていたんじゃないかと…?

でも、ヒットチャートにランクインする曲が、プロの作家の手によるものではなく
シンガー・ソングライター達の作品で占められるようになり
歌番組が次々と姿を消して行ったあと
阿久さんは「書き下ろし歌謡曲」という著書に…

「そこはかとない淋しさ、やるせなさ…何かが欠けているという
そんな『飢餓感』が沁み出して来ても、人は気を振り絞って、それに蓋をする
変装してるんですよ、みんな…でも、時には少し化粧を落としてみた方がいい

歌とは、時代の中で変装している心を探す作業
死角に入っていた心のうめき、寒さにボールをぶつけるために歌を書いて来た
だから『乾いた必要な言葉』さえあれば、人間なんて結構生きて行けると
皆が証明しあっているような時代には馴染めない

もう少し、人間がチャーミングに見える言葉が存在していいはずだし、存在していた時代もある
わずかなりともカッコよくありたいという心根が、言葉に艶を与える
現代人は『等身大』をもて囃しながら、実は自分の大きさを見失っているのではないか」

…と記されていて「『時代遅れ』の男になりたい」とお書きになりながらも
「ボギー、あんたの時代はよかった」
「せめて少しはカッコつけさせてくれ」と、かつてジュリーに託されたダンディズムを
ずっと大切に抱えておられたような気が…?

まあ、座右の銘が「派手な作品、地味な生活」という辺り
ストイックで、ハードボイルドな方でいらしたのかなあと…?
「一日一麺」はさておき…(笑)
「文武両道」「非凡に地道に」がモットーの方とお会いになっていたら
案外、お話が弾んだかも知れませんね?(笑)
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期間限定

2021-03-18 14:54:00 | メディア
去年、甲斐バンドのビルボードツアー最終日に
ビルボード東京でのライブの模様が生配信されましたが
そのツアー中、大阪と横浜でも、特に事前の説明もないまま、シューティングが行われたことがあり
「ナンの撮影?」とザワついていた奥さん(笑)

その後、イチローさんが、ご自身のブログで
何の撮影だったか「聞いたけど忘れた」(笑)と書かれていたのを拝見して
「思い出してくださ~い!」と、また騒いでいたんだけど(笑)

つい先日、ツアーメンバーでいらっしゃる木村将之さんのツイッターに
「こんなん出てました 去年の映像 期間限定公開との事」と動画が貼ってあることを知り
ようやく「謎が解けた!」とスッキリした一方で

この動画が1ヶ月前からアップされているにも関わらず
甲斐さんサイドから、お知らせメールは届いていないし
当の木村さんにさえ、何もご連絡がなかったみたいだし…とビックリ!(苦笑)

まあ、その動画の後半は、各ビルボードライブ…東京・大阪・横浜…のPVのような内容なので
甲斐さんサイドも詳細を把握されてなかったのかも知れませんけど…?

…で、その動画を観てみると、甲斐バンドのプロフィールが英文で表示されたあと
「地下室のメロディー」と「目眩のSummer Breeze(一部)」
…って、この曲名もローマ字表記でした(笑)…のライブ映像が流れ

フェイスシールドを着けた奥さんがチラッと映ったり
俯瞰の映像やステージ横に客席があるのを見る限り
生配信されたのと同じ、ツアー最終日の東京の映像と思われるものの

横浜公演では、下手側のカウンター席とその上段のソファー席の間に設置されたカメラと
上手側カウンター席とテーブル席の間の通路に置かれたカメラで撮影されていたそうなので
ステージ上の演者の皆さんの手元などをメインに捉えたものがそうなのかなあと…?

あっ!申し遅れましたが、大阪公演は、別の動画がアップされていて
こちらも、やはり英文プロフが表示されたあと
「かりそめのスウィング」と「昨日のように(一部)」の映像を観ることが出来ます♪

その大阪の映像を観る前、奥さんはフェイスシールドの反射で覆われていない
自分の「バカ面」が映り込んでやしないかとヒヤヒヤ…(笑)

まあ、カメラはステージ前のテーブル席エリアではなく
テーブル席エリアの後方、数段上がった所にあるカウンター席の辺りに置かれていたそうで
後方から捉えられた客席の映像に「バカ面」が映ることはなかったんだけど

ステージ正面と、上手側・下手側それぞれから撮影された映像が編集され
場面場面で切り替わっていても、ピョコピョコする後頭部(笑)や
ほぼバンザイ状態で手拍子する姿が「これでもか!」とばかりに登場しており(笑)

…って、開演前に、他の観客の方から、会場スタッフと間違われたという(笑)
黒いジャケットに、黒いワンピースという姿は
本来なら、客席の暗闇に紛れ込める出で立ちのはずなのに…(笑)

もっとも、この大阪公演2日目の2ndステージは
ファンクラブ先行予約抽選にことごとく敗れ去った(苦笑)奥さんが唯一当選した
いわば大阪公演の神席(笑)だったもので
「近い甲斐さん」に、ついついテンションが上がり気味のトコへ(笑)

甲斐さんが「1番、甲斐バンド、頑張ります!(笑)」とおっしゃったという(笑)
まるでオーディション会場みたいに、ステージ正面を向いて
横一列に並べられたテーブル席が、5列目まであった東京とは違い

大阪は、横に1テーブル分広いとはいえ、3列しかなかった上に
隣の座席の方とは、それぞれ1mくらいの距離が保たれていたため
通常のライブのように、前方の方の頭や背中でステージが見えないというストレスがなく

しかも、目の前には「どうぞお好きに暴れて下さい」と言わんばかりの?(笑)スペースが広がっていて
更に、初日は立ちそびれた「グルーピー」で
「今日こそ絶対に立ってやる!」と息巻いていたのに(笑)
この日の1stステージから、セットリストが変わったおかげで、梯子を外された形になり(笑)

仕方なく「ひかりのまち」で立ち上がったら
1stステージのテーブル席エリアで立っていたのは奥さん1人だけ…(苦笑)
視界の隅に、カジュアルエリアで立っている甲斐友さんの姿を確認したものの

「ええーっ!?リピーターいるよね?」とひどく驚いた…という流れがあったため
2ndステージで、他のテーブル席の方々が、一斉にお立ちなったことで
「よっしゃー!(笑)」と、一気にスロットル全開(笑)

もっとも…2ndステージが始まる前、すぐ後ろのテーブル席に座られた
顔見知りのご夫婦に、1stステージの様子をお伝えしたところ
「立つ気マンマンで来たんですけど…」とおっしゃったらしく(笑)
最低3人はスタンディングすることが決まっていたみたいですが…(笑)

お祭り騒ぎで本編が終了した…って、奥さんの妄想によれば(笑)…
「嵐の季節」の最後に、甲斐さんが笑顔で奥さんを指差されたそうだし(笑)…あとのアンコール
それも、初日でさえ大いに盛り上がったという「かりそめのスウィング」…という訳で
ピョコピョコしちゃったのも、むべなるかなと…(笑)

でも、他の観客の皆さんが、どちらかと言えば、左右に上体を揺らされたり
軽く横ステップを踏んでいらっしゃる中で
足元こそ、ほとんど動かさないとはいっても
前後あるいは上下に小刻みに揺れる後頭部(笑)や
「トントン拍子(笑)」の手拍子は、やはりちょっと異質というか(苦笑)

常日頃、甲斐友さん達からは、オールスタンディングのライブで、人波に埋もれていても
「手拍子する手が見えたら、すぐに居場所が判る(笑)」と言われてるみたいだし(笑)
実際、この映像を観た甲斐友さんから
「頭だけ、手だけ、シルエットだけですぐわかる」とLINEが来たんだとか…(笑)

ただ、甲斐さんが、前回の「LEGENDS」で…
「かりそめのスウィング」のビルボード大阪テイクを流されたあと
「珍しくサビの後半をですね、1番と2番(の歌詞を)間違ってますね
あんまりないんで、僕…この『かりそめ』に関して言うと…」

…と、レアケースゆえのオンエアだったことを明かされてましたが
その「♪引きずってきた哀しみを♪」と「♪生きてきた虚しさを♪」の部分が
入れ替わってしまわれたのが、この2日目2ndステージと判明し
「ピョコピョコで気が散ったせいじゃないよね?」と奥さん(苦笑)

カメラが、イチローさんのアップを捉えようとするたび
その手前に、手拍子する腕や揺れる後頭部が現れるので(笑)
やむなく引きの映像に切り替える…といった風に見えなくもない?映像を拝見して

「イチローさんのファンの人に怒られる~!」とか(汗)
「もし、甲斐さんが編集に立ち合っていたら
『コイツ、邪魔だな!』って、イライラしたんじゃないかなあ…?」とか
気がかりのタネは尽きないみたいだけど(苦笑)

甲斐さんは「ちょっとくらい音がヨレてても」…って、たとえ歌詞を間違われても?(笑)
「その場の熱やグルーヴ感」といった、ライブならではの「醍醐味」を優先なさる方ですし
初のコロナ禍真っ只中ツアー、2日目のこのステージで
ある種の手応えをお感じになったんじゃないかと…?

余談ですが…去年のビルボードツアーのラスト曲「昨日のように」について
甲斐さんが、初日の2ndステージで「手拍子いる?」とおっしゃったにも関わらず
奥さんは「イヤイヤ、一緒に歌えないから、せめて手拍子くらいさせてよ~」と口答え(笑)

この日は、甲斐さんが「陽の訪れのように」を歌い終えられたあとに
「この曲は手拍子要るね(笑)SNSに書いといて(笑)」と話されたので
「今日はガードが弛いかも?(笑)」と考え、手拍子して来た(笑)と言っていたんだけど
確かに皆さん、ためらいもなく手拍子なさってますね(笑)

ただ、この曲の最後で、鈴木健太さんが松藤さんとご一緒に
「♪昨日のように~♪」と、少し苦し気に?歌っておられるトコや
その合間に、木村さんが「♪Wooo…♪」とコーラスなさっているシーンが
観られなかったことが残念でした…(苦笑)
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