甲斐さんは「福岡と言えば『明太子』と『豚骨ラーメン』って思われてるけど
ホントのソウルフードは『おきゅうと』と『うどん』だからね」と、よくおっしゃってますが
中原蒼二さんは、著書「わが日常茶飯」に…
「数ある麺類の中でも、うどんはとりわけ身に優しいもの。腹に納めると体が芯からほどける
だから、うどんについては、誰も蘊蓄を傾けたり『どうだ』と凄んだりしない
ここのうどんがいかに旨いか、という話をする時でも
これといった取り柄もなく、目立たぬ奴ですが、いないと困る大事な奴ですと
まるで、出来の悪い家族の1人について話すような空気が流れる」…と記されていて
確かに、力を込めて凄んだりは、なさってないんだけど
充分、熱く語られているような気が…?(笑)
血の繋がったご家族ではないものの、ご一緒に生活なさっている阿佐ヶ谷姉妹のお二人は
お食事もたいていご一緒にお取りになるそうですが
ある日、美穂さんがご自分の分だけシチューをよそい、お一人で食べ始められたのをご覧になって
「どうして私の分もよそってくれないの?
私だったら持って来るけど…という考え方が違っているのかしら」と江里子さん
でも、それは「やって貰って当然のことではなく
『サービス』なのだと考えたら落ち着いた」…と、おっしゃっていて
「普通」という感覚が、人によって違うってことを改めて痛感…というか
ボクは、奥さんから「そういうトコ、一人っ子だよね」と言われるたびに
自分の「普通」と奥さんの「普通」が違うことをひしひしと感じてますが…(苦笑)
「美穂さんも一人っ子でいらっしゃるのかなあ?(笑)」と思っていたら
ウェブサイトで連載中の原稿が書けず、食欲を失くされた江里子さんのために
普段は辛口派の美穂さんが、江里子さんのお好きなバーモントカレーのルーで
カレーを作って下さったらしく「さりげないいたわりは身に染みる」と江里子さん
ただ、美穂さんは「今日のは、バーモントの中辛です
甘口じゃないのよ、中辛だからね」とおっしゃったんだとか…(笑)
カレーと言えば、翌朝にも食べる・食べない問題(笑)
「朝からカレーなんて…」とか「残り物を出すのは手抜き」とか
「きちんと保存しておかないと食中毒になる恐れがある」など
「食べない派」の皆さんのご意見もごもっともなんだけど
一晩寝かせたあのしっとりとしたコクは、もはや別の食べ物(笑)とも言える訳で
そのままでも良し、カレーうどんやカレートーストにするも良し♪
で…「人の世の毎日は『夕べの残り』を引きずりながら、次の日へ、また次の日へと繋がって…」
…と、おっしゃったのは、ドラマ演出家の久世光彦さん
「前夜のいざこざや行き違いも、一晩寝かせた煮物の味と相まって
ぺこりと頭を下げると、空気がほどける
賢く乗り越える知恵を朝に学んだ」そうです
もう1つ、久世さんは…「始まったからには、終わらなければならない
映画や小説にはラストシーンがあり、エッセイにも最後の一行があるが
人生のオチは、誰も自分では書けない
末期の刻になって、こんなラストシーンのつもりじゃなかったと、ジタバタするのがオチだ」
…と、見事に落として?(笑)おられますが
なかにし礼さんも…「人生に起承転結があるか?そんなものあるはずない
ありそうな気がして、何となくケジメをつけてみたくなるだけだ
人生には目的すらもない。無数の動機がせめぎ合う『ジタバタ劇』があるだけだ
だから、片意地張って、その1つに賭けるなどというのは馬鹿げている
歌は巷を漂う。それを耳にした時に生まれる、人生それぞれの問いに
愛情を持って答えて行く用意のある歌が良い歌だ」…と「作詩の技法」に記されていて
幾つになっても「ジタバタ」しているのは、自分だけじゃないと、ちょっとホッとする一方で
「ジタバタするのがオチ」ならばと、腹をくくるほど達観も出来ず…(苦笑)
でも、そういう宙ぶらりんな気持ちに寄り添ってくれる歌は、確かに良い歌かも知れませんね?(笑)
かの瀬尾一三さんは…「時代にヒットするというのは、サウンドだけの問題ではない
それよりも、その作品とその時代の人々の気持ちに入り込んで
『自分が求めていたのは、これじゃないか?』と感じさせられる何かがあることが必要なのだ
そして、その何かは、決して計算で作り出せるものではない」…と話され
佐藤剛さんは…「聴き手を感激させない音楽も
感激から生まれたものではない音楽も、私は音楽ではないと思っている
少なくとも、私の目指して来た音楽の姿ではない」…とツイートなさっていて
『来た来た』って『歌を歌う自分』を感じられるのは1回か2回だね
物凄くてめえ自身がシビアにならざるを得ない時っていうか
てめえ自身が最高のボルテージなんだっていう感じで作った歌
俺の場合、それが『漂泊者』だった訳なんだけど…
それでもね、聴く側はやっぱり『ただの歌』としか聴かないからね
色んな人の心に残る流行り歌ね…それはやっぱり、その時の時代のタイミングと
リアリティーのある、なし、で決まるんだろうね
信じさせたり、信じ込ませたりするリアリティー。これなんだよね
ただ、そういう歌を作ってる本人は、ハンパじゃなくキツイよね
その時代を取り巻いてる色んな感覚を吸収してさ
最大公約数の無意識っていうもんを、てめえの血と肉を使って表現する訳だからね」
その時代を取り巻いてる色んな感覚を吸収してさ
最大公約数の無意識っていうもんを、てめえの血と肉を使って表現する訳だからね」
…と、おっしゃっていたことが重なり、そういうパッションというか
内側からほとばしり出た作品が、企まずして時代のニーズに合致するって
どれだけの確率なんだろうとか、イヤイヤ、ヒットを狙うどうのじゃなくても
「キてる」状態の時は、自然と肌で時代を感じておられるんじゃないか?とか
イヤイヤイヤ、そのために身を削り、血を吐くような思いをしなければならないかも?とか
それでも、時代の先端に立ってみなければ、見ることが出来ない景色ってどんなだろう?等々
ボクが考えてもしょうがないことがグルグル~(苦笑)
ということで、代わりにココ・シャネルのあまりにも有名なこの言葉…
「流行を作っているんじゃない。私自身が流行だから」
まあ「やっと時代が追いついて来た」と肩を並べるくらい
『カッケー!』の一言だけど、生半可な覚悟じゃ言えないでしょうね
母に死なれ、父に見捨てられ、孤児院で育ち
裁縫の下働きから身を起こし、27歳で帽子店を構え…っていう波乱万丈ぶりもスゴイんですが
「私の頭の中に、秩序を押し込もうとする人々が嫌い」と宣言し
体を締め付けるコルセットから女性たちを解放し
スカートの丈を短くし、ジャージー素材の服も考案
自ら髪を短くして、ショートヘアを流行らせた…一方で
新作を自国で酷評されても、米国でヒットさせ、流行を逆輸入したり
手の届く製品から商いを広げ、安価な素材を巧みに使う…といった
緻密なマーケティング戦略を武器に、たぐいまれな経営手腕を発揮する…って
まさに「ヒットチャートに入るロック」みたいな方だなあと…(笑)