ボクの奥さん

ボクの奥さんは、甲斐よしひろさんの大ファン。そんな彼女との生活をお話したいと思います。

エンターテイメントって…おまけ

2021-03-04 15:11:00 | 日記
昨年2月に大阪のライブハウスで、クラスターが発生してから1年
「コンサートや観劇に行きましたか?」というアンケートに「はい」と答えた方は20%
実に8割の方が、生のステージから遠ざかっておられるみたいだけど
「私の周りには1人もいない」と奥さん(笑)

それはともかく…「いいえ」とお答えになった理由としては
「行きたい公演がない」「コロナ禍で行く気にならない」
「行きたい公演はあったが自粛」などが大半を占めているものの
「行きたい公演が中止」「公演期間や時間が変更され行けない」
「座席数が減りチケットが取れない」といった不可抗力的なものも見受けられるし

そもそも「興味がない」が「いいえ」の理由第5位だったり
「前年はコンサートや劇場に行ってた?」との質問に
「いいえ」と答えた方が55%いらしたり…とコロナ禍に関係なく
「ステージ」というものと無縁の皆さんも含まれているようです

一方「はい」とお答えになった方も「前年に比べ公演に行った回数」は「減った」が86%
奥さんみたいに「変わらない」と答えた方は10%でした(笑)
でも「増えた」とおっしゃる強者が4%いらっしゃるし…?

「公演会場での感染リスクをどこで感じた?」という質問には
「退場時の密」「トイレでの行列」「せき、くしゃみの飛沫」など
会場側が、予め想定できるであろうリスクが並び

それぞれ、ブロック別退場やディスタンス整列、マスク着用の義務づけ
アルコール消毒やパーティション設置などで対策を講じている場合も多く
「安心して観ることが出来た」といった意見も見られたんですが

「『会話はお控え下さい』という主催者側の注意を無視して
同伴者と喋り続ける人たちがいて迷惑」との声もあり
「(観賞に出かけるという)自分の行動の結果には、自分で責任を持つしかない」のかなあと…

また「この1年、公演の代替のライブ配信を見た?」という質問に「はい」が「25%」と
若干低い数字になっているのは「興味がない」方々のお答えも含まれているためみたいだけど
代替ライブ配信をご覧になったとおっしゃる方に
「感染リスクのない観賞方法としてライブ配信に満足?」と訊いたところ「満足」なさった方は57%

「チケットの枚数制限がなく、1週間程度アーカイブも見られた」
「地方在住のため、コロナ禍でなくても会場へは行けなかったので有り難かった」
「生音でないのは残念だし、会場の雰囲気は味わえないが
それなりに堪能でき、コロナ禍ではまあ納得できる」
…と「生」に越したことはないとはいっても、一応の満足は得られたようです

その生のステージを始め、エンターテイメントを観て感動した時に
若者たちの間で、よく使われているのが「エモい」という言葉…
2016年の三省堂「今年の新語ベストテン」で紹介され
昨年、LINEリサーチが行った、15~24歳の約5千人への調査では「流行語2位」に輝き

19年改訂の大辞林第4版で「心に響く」「感動的である」と説明された形容詞…だけど
実際には「感動」を表すだけでなく「泣ける」「哀愁がある」など様々なニュアンスがあるらしく
そういう意味では「スゴい」や「ヤバい」に似ているのかも知れません

東洋大学の三宅和子教授は「語源の『emotion』が
喜怒哀楽や興奮といった幅広い感情を指し示していることと関係する
同じ外来語由来の『エロい』や『ナウい』より
格段に意味が多様になる」

…と指摘なさっているんだけど、法政大学の尾谷昌則教授によれば
「『エモい』が多用される背景には、日本語の形容詞の貧しさがある
『静かな(る)』『堂々たる』といった形容動詞は、和語や漢語に『なり』『たり』を付けたもの

こうした形で、日本語は歴史的に語彙の不足を補って来たとされている
一つの言葉に複数の意味を押し込んだり、新しい形容詞に
人々が飛びついたりするのも、仕方のないこと」だそうです

その「日本語の形容詞の貧しさ」というのは
かつての日本人が、人前で喜怒哀楽をストレートに表すのを
「恥ずかしいこと」と捉えていたせいなのかなあ?(苦笑)
特に男性は、子供の頃から「男のくせに泣くな!」と叱られて育ったり
何かにつけ、やせ我慢やストイックさが美徳のように求められたり…(汗)

奥さんも、昔、甲斐さんが「俺だって1年に1回は、真面目に泣くよ
ワァーッて泣くんだよ、男だって…」とおっしゃった時、かなり驚いたらしく
今のジェンダーレス時代から見ると「男が泣くなんて…」といった感覚がおかしいんだけど
当時は「そういうもの」として認識されていたんですよねぇ…(汗)

ともあれ…精神的な満足度を重視する消費行動「エモ消費」の名付け親でいらっしゃる
博報堂の荒川和久さんは…「人々の感情は多様でも
『エモい』という言葉で共有することで
集団としての安心感を得たいのではないでしょうか」と分析なさっていて

まあ確かに、同じ映画を観たり、同じ空間を共有した者同士が
その内容について語り合うことで、より一層、感動が増すということはあると思うけど
その感動が「エモい」の一言で片付けられるのは、ちょっと寂しい気がします(苦笑)

最近、若者たちに「エモい」と注目されているのがアナログレコード!?
2020年上半期の米国でのレコード売り上げが、CDを上回ったというニュースに驚いていたら
日本でも、この10年で、レコードの売り上げが10倍以上になったと知って、更にビックリ!?

若者にとって、音楽はCDではなく、サブスクで聴くものじゃないの?
千円ほどで数千万曲が聴けるのに、ナンでわざわざアナログ?(苦笑)
そもそも、生まれた時には、もうレコードプレーヤーなんてなかっただろうに
と、頭の中は「?」マークでいっぱいだったんですが

「レコードって、どうやって聴くんですか?」という質問が飛び出すくらい(笑)
「若い人は、レコードが古いものだと思っていない」そうで
「音楽を『モノ』として所有した経験がないから新鮮に感じる」らしく
一周回って…っていうか、宇多田ヒカルさんを聴いて、藤圭子さんを知るみたいな…?(笑)

「レコード盤に針を落とした時のパチパチという音で、心が温かくなる」という意見は
ボクらの世代には「おぬし、判ってるなあ!」と嬉しくなったんだけど
「レコードを部屋に置くだけで、気分がアガるから」と
「レコードプレーヤーを持っていない」にも関わらず
「部屋のインテリア」として飾るために購入するって…(苦笑)

確かに、LPのジャケットが絵画代わりになるというのは理解できるものの
数秒聴いて気に入らなければ、気軽に「次の曲」へと移って行ける配信と違って
A面の1曲目からB面のラスト曲まで、順番に聴いて貰うことを想定して作られたものを
せっかく入手しながら、ナンとももったいないという気が…(苦笑)

まあ、それはそれとして…甲斐バンドフリークの皆さんにはお馴染みの音楽評論家
萩原健太さんは「高音域や低音域をカットしたCDや、それを圧縮する通常のサブスクと比べ
よりミュージシャンが『これだ!』と思った音に近い音を聴ける」
…と、甲斐さんもおっしゃっていた、音質面での違いに触れられた一方で

「経年劣化で変わって行くのもレコードの魅力
デジタルデータは劣化しないが、レコードはジャケットがすり減ったり
盤が傷ついてパチパチという音が強くなったりして
それも含めて、自分とその音楽が、一緒に年を重ねて老いて行く感覚がある
そういったロマンが、アナログ盤にはあって、魅力に繋がっているんだと思います」

…とも分析なさっているんだけど、当時は、その「パチパチ」が聞こえると
「ちぇっ!」っていう気分になったり、慌てて針を交換したり
奥さんが、甲斐バンドのアルバムをリピートし過ぎたために
「また、買い直さなきゃ…」と小遣いをやりくりしたりと、煩わしさしかアリマセンでした(笑)

そうそう!朝ドラ「エール」で、二階堂ふみさんが
アナログレコードをワシ掴みにされたシーンを観て
我が家は「うわあ~!」と悲鳴を上げたんですが
レコードの黒い部分を持っても「ノープロブレム」と知って
これまで、レコードの縁にしか触れないように慎重に扱って来た
「あの苦労はナンだったんだ!?」と脱力(苦笑)
でも、もし今、レコード盤を扱う機会があったら
やっぱり、レコード盤の縁しか持たないと思います(笑)
コメント
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