ボクの奥さん

ボクの奥さんは、甲斐よしひろさんの大ファン。そんな彼女との生活をお話したいと思います。

谷村さんと甲斐さん2

2020-02-01 14:04:00 | 日記
さて、世間の認知度が上がり…「1978年夏
アリスは初めて日本武道館のステージに立つ」ことになり…
「レコードでしか聴いたことのなかったビートルズが日本に来て、演奏したのが日本武道館

日の丸が上にある会場で、時代の象徴であるビートルズがロックンロールをやった
衝撃と伝説の場所で、自分たちが音楽をやるわけで、僕らにはものすごく特別なことでした
オープニングの何とも言えない胸の鼓動は忘れられません
堀内も矢沢もすごく緊張していましたね」と谷村さん

今よりももっとステータスを感じられた「聖地」でのワンマンコンサートは
当時のミュージシャンの憧れの場所だったでしょうけど
翌年、甲斐バンドが武道館のステージに立った時は
「武道館ラッシュ」と言われたほど、多くのバンドがコンサートを行い
大型スクリーンやレーザー光線など、華やかな演出を競い合う中
「武道館だからといって特別なことはしない」と甲斐さん

イヤ、その3カ月前に、ロックハンドとして初めてNHKホールでライブを行われたこと
その模様が「ヤング・ミュージック・ショー」と冠された番組で放映されたこと
武道館のステージに立たれたことにも、谷村さんに負けず劣らず高揚なさったと思いますが…(笑)

NHKホールライブのMCで…「NHKと言えば、田舎の親が喜ぶよ、そりゃ(笑)
ニッポン放送協会…『ニッポン!』って付くんだから
日の丸をしょって俺たちはやってるって感じで…(笑)」と話されたり(笑)
ビートルズ来日の際に、タラップで手を振る4人の姿をニュースでご覧になって
「伝説が動いていた」と思われたりしたんですもんね?(笑)

ただ、日本中を回られ「地方の奴らの方が悶々としてるんだよ」と実感なさっていたことが
その憧れの武道館でも「特別なことはしない」という選択や
その後の「どんなに小さな町の小さなホールでも
武道館と同じ機材を持って行く」という心意気に結びついたんじゃないかと…?

そうして年間100本以上のツアーを行われていた頃
ツアー先のホテルや移動の車中などで、曲をお作りになるのが習慣でいらしたようだけど
谷村さんもまた「24時間に起きること全てが詞の素材になるので、完全なオフはありません
休みのように見えても、次の曲作りのために本を読むとか、ラジオのためにトピックを探すとか…

国鉄の新しいキャンペーンソングを作って欲しいと依頼されて
子どもからお年寄りまで歌えて、日本人なら誰でも反応する唱歌のような曲を
百恵さんが歌ったらいいなあと思って作ったのが『いい日旅立ち』です

日本全国をコンサートで回ると、誰も降りない駅がいっぱいあるんですよね
でも、そういう所でも人はちゃんと生活して音楽を楽しんでいるということを
旅をして体感していたからこそ生まれた歌かなと思いますね

『昴-すばる-』はウイスキーのCMソングとしてテレビで流れたのが最初かな
引っ越しをすると空気が変わって、今までにない風が吹く瞬間に歌が生まれることが多いんですけど
これもそういう時に出て来た歌です」と話されていて

そういえば、甲斐さんも「歌詞を書く人間は流れていないと書けない
窓から見える風景に飽きたら引っ越していた」のが
アルバム「GOLD」の曲は全て「同じ窓の景色を見て書いた」そうで
こちらのお宅には長くお住まいになったんですよね?(笑)

ともあれ…「作家の沢木耕太郎さんと雑誌の企画で対談した後
誘われて下北沢の金子ジムへ、カシアス内藤のスパーリングを見に行ったんです
その夜のうちに感じたことを書いたのが『チャンピオン』でした」と谷村さん

「78年12月発表のこの曲が、アリス最大のヒット曲になった」訳ですが
同じく78年12月にリリースされた【HERO】が
「チャンピオンは世界に1人だけど、ヒーローはどの街角にもいる」とブチ上げ(笑)
【チャンピオン】と入れ替わるようにして
チャート1位を獲得したことにも浅からぬ因縁を感じますね(笑)

もっとも、我が家では「長年の謎」…
【チャンピオン】のモデルは、カシアス内藤なのか?それとも輪島功一か?
…が解けてスッキリしました!(笑)

詞の世界に決めごとはなくて、その瞬間に浮かんで来たものを書くようにしているんです
書こうと決めるとスイッチが入る
詞は読んだ人、音楽は聴いた人が感じることが全てなんですよという谷村さんの言葉は

バーのコースターの裏に歌詞を書き留められたり(笑)
「曲をリリースして、いったん自分の手を離れたら
それをどう解釈しようが聴き手の勝手だ」とおっしゃった方にも当てはまりますし

更に…「ラジオは僕のライフワークです
耳で聞くだけだから、想像力が無限大に広がるんですよ
それがラジオの素晴らしさだし、ラジオでしか出来ないことを伝えていけたらと思っています

昔は放送コードが違って、今なら全部アウトみたいな番組もありました
当時だから出来たことで、今は使ってはいけない単語が100倍くらい多く
あの頃のようなものをやって欲しいと言われても、それは無理」と谷村さん

当時でも民放局よりずっと放送コードが厳しかったであろうNHKで
「聴取率も始末書の数も一番だった(笑)」方の共通点は
「今のラジオは、話す内容を事前に構成作家に説明して
書かれた文章を読むことが多い」ところを

「会話の突発的な面白さはなくなってしまう
本番のファーストリアクションはラジオの一番大事な瞬間」だから
「事前の打合せで、出来るだけ内緒にさせて貰ってます」というトコでしょうね?(笑)

それはともかく…このインタビューの最終回には
「アリスは2月8日の大阪城ホール公演で今のツアーを終える」との説明があり
谷村さんは「アリスがなかったら今の自分は当然いないし、僕にとってすごく大きな存在です
ソロになって離れてから、再始動してから
バンドとしてのすごさをより強く感じるようになったし、3人の出会いは運命だったと思います

いつまで続けるかということは特に決めていません
みんなが幸せになってくれるなら、やれる限りはやります
自然なんですよ、すべて」と結ばれていて
こちらも、お楽しみは続きそうですね♪
まあ、甲斐さんに言わせれば「上の人間がみんな辞めないもん(笑)」ってことになるのかな?(笑)

余談ですが…谷村さんが担当されていた「ヤングタウン」金曜日には
「女性立ち入り禁止コーナー」という…内容はご想像通りかな?(笑)…人気コーナーがあり
学生時代の奥さんも毎週楽しみにしていたらしいんだけど

全校生徒の8割は聴いているほどのこのコーナーに
奥さんが投稿したハガキが、こともあろうに本名で読まれてしまい(笑)
翌日、ナンとかして学校を休めないか?と真剣に悩んだんだとか…(笑)

ちなみに、本名を書いていたのは、番組特製のグッズが欲しかったからみたいで(笑)
その時に頂いたキーホルダーとステッカーは、今も大切に?保管されてます(笑)
コメント
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