ボクの奥さん

ボクの奥さんは、甲斐よしひろさんの大ファン。そんな彼女との生活をお話したいと思います。

機関紙BEATNIKその13

2016-01-30 13:42:02 | 日記
甲斐バンド ライブスケジュールの取材メモの最後にあった
1982年7月5日の堺市民会館での爆破予告事件について
このブログネタの初回にご紹介した82年9月号に「証言」が掲載されてます

「会場を爆破するという若い男の電話があり
それを受けた会館の人が動転して
すぐに警察に通報してしまった」そうで

舞台監督の諫山喜由さんは
「スタッフが受けてたら、あんなにならなかったろうね
冗談やめろよ、くらいで応対できたんだろうけど
話が大きくなってしまった」とおっしゃってますが

その時は、ちょうどセッションの皆さんが楽屋にいらしたらしく
「堺は楽屋から会場まで遠いから、早く行かないと…と外に出したら
お巡りさんさんとイベンターが揉めてる
私服だったんで、変なオジサンが揉めてるなあって感じでしたね」

「爆弾」とお聞きになっても
「ともかくステージは進めるつもりだったから
セッションを舞台に上げたんです
上がりたくなさそうでしたね
目線が浮いてました。動揺してましたね」…って、そりゃそうでしょ(汗)

「イベンターに私服が、中止しろと言ったんです
そしたら、イベンターが言葉のあやだろうけど
ちょっと待って下さいって言った
それで警察の人が本気で怒り出したのね
ちょっと待てはないだろ!
ホントに爆発したらどうすんだ!
すごい剣幕でしたね」…たぶん、バリバリの関西弁だったでしょうし…(汗)

トレードマネージャーの樺山成人さんは
「イベンターが最初に警察から連絡を受けたんですけど
その時はもう、警察官がワッと来てた
パトカーが多いねなんて言ってたら、ドッと上がって来た
ヘルメットの機動隊もいましたね」

「二手に分かれて、いきなりゴミ箱を引っくり返すんです
有無を言わさず調べられましたね
お前、爆発したら死ぬぞとか言われて…」

「クロークの中に1個、鍵がかかって開かないトランクがあって
これ、開かないんです!って誰かが叫んだら、サッと警官が来て
ガサガサやってみて、音してないぞ…
でも、考えてみたらカチカチなんていわないんだよね
時限爆弾がカチカチいうのは、テレビや映画だけで
警察も慣れてなかったんだろうね」
…警察の方も刑事モノをご覧になってるんだ?(笑)

佐藤剛さんは「イベンターに説明されて、どうしましょうか?って言われた
もう、周りには不審な物はないみたいだから、会場を探させたいって…
その時そばに前島さんがいて、どっかで灯りを点けた方がいいって言うから
じゃ、すぐやりましょうって舞台に行ったんです」

「ちょうど喋りの所で、諫山と会って
彼が今から甲斐さんに言って貰いますって言うんで
動揺しないように…とか、言い方を確認して上がって行ったんです」

読者投稿によると
「安奈を歌うために椅子に腰かけた甲斐よしひろが
楽し気に朝からプールで泳いだ話をしていた時だった
舞台監督が突然、甲斐よしひろの所へ走り込んで来て何やら耳打ちをした」

「甲斐よしひろが、落ち着いた声で
爆弾を仕掛けたと電話があったと知らせた時、足がすくんだ
シーンとして、ざわめいて、次のざわめきに移ろうとした時
一緒に死のうぜ!という声が一際高く耳に残った」

その時、諫山さんはそのまま甲斐さんのそばに座っておられたらしく
「甲斐さんが、異物があったら手を挙げろって言ったでしょ?
でも、甲斐さんは目が悪いし
おまけにピンスポが当たってるから見えない
いっぱいいたんですよ、ハーイとか手を挙げてる奴が…2階とか…
言い方で冗談とは判りましたけどね」

奧さんに言わせると…こういう時にこんなフザけ方する奴が
実は一番ビビってるんだとか…(笑)

ここだけの話…って、書いて公表してますが(笑)
謎の(笑)音源によれば、甲斐さんは諫山さんの連絡を受けられて
まず「動かないでね、頼むから…かなりキワドイモンヨウがあるようなんで…」とおっしゃって
次に「一番後ろのゾーン、ドアね、2階の一番後ろね」と非常口を確認され
「こんな時は、まず男たちがしっかりして欲しい。抜かしちゃダメです」と
観客には、ある種「?」の言葉を口になさった後
「いいかい、あのね…時限爆弾が仕掛けられたって電話があったらしい」と…

観客のざわめきの中「仕掛けられてたら困るだろう?
イタズラ電話って可能性はある、当然、こういう場合…
コンサートが出来なくなったらイヤだもんね、イヤだろう?」と
笑いを含んだような声のトーンで話されてます

「あった~!」「これか?」など冗談めいた叫びがおさまり
「ない!」「ないよ~!」「大丈夫!」との声が上がって
事態は収束に向かったみたいですが

甲斐さんもイタズラだろうと思いつつも
突然の知らせに驚かれたことは間違いないでしょうし
何より観客がパニックを引き起こすことが一番怖かったんじゃないかと…?
花園ライブに続いて、甲斐さんの咄嗟の対応力が発揮されましたね

ともあれ、投稿に戻って…
「緊張感は興奮を高める…アンコールを叫ぶ声は
HEROの大合唱となって行った
爆弾は爆発せず、ステージは無事終了した
その夜、生命を拾った少年少女たちの顔には笑顔が溢れていた」

ただ、この投稿者の方は「一緒に死のうぜ!」という声を聞かれた時
「私ももう少し若かったら、そう思ったのかも知れない
いや、確かに思っていた」

「そう一番先に叫べなかったのがもどかしかった
死と背中合わせになりながら、怖くなかったと言えば嘘になるだろう
でも、なぜか一歩も離れることが出来なかった」と
その日の相反するご自身の気持ちを記され
「コンサートが終わって真剣に考えました
甲斐さんとホントに死ねただろうか」と自問なさっていたようです

後日、この件について他のファンの方から
「もし、私が行ったコンサートで爆弾事件があったとしたら
甲斐氏と一緒に死ねない感じがする」

「死んでもいいとカッコよく思うところまでは出来るけど
逃げ出しそうな気がする
今になって家族のありがたさが判って来たんだ
私の身体、親の宝物なんだよね」という18歳とは思えない
しっかりしたご意見が投稿されてます

奧さんは、幸か不幸か?或いは残念ながら?(笑)
このライブには参戦してませんが
その場にいたら間違いなく「一緒に死のう」派でしょうね(笑)
10代の頃は、ホントに甲斐さんなしでは
夜も日も明けない日々を送っていたようだし…(笑)

今となっては笑い話だけど
奧さんの母上は、有名人が事故や病気で亡くなったというニュースを見るたび
もし甲斐さんの身に何かあったら、ウチの娘は…と
本気で心配していたらしい(笑)

それはさておき…佐藤剛さんによると
「新聞社が来てたのには驚きましたね
いきなりフラッシュが焚かれて、間違われたか、スキャンダルかって…
新聞には本人の談話風に載りましたけど
甲斐よしひろはノーコメントでした」

その傍らには「爆破予告1600人が捜索」「甲斐バンド機転」
「舞台から、冷静に…」という見出しと甲斐さんのバストショットが載った
「読売新聞」の記事が…スポ紙じゃないんだ?(笑)

結局、ライブに行けなかったファンのイタズラと処理されたみたいですが
「後遺症があるんです」と樺山さん

「京都会館の時、スタッフ全員が警察に調べられて、名前を書かされた
いつもこうなんですか?って訊いたら、甲斐バンドだけです(苦笑)
二度とあんなことしないで欲しい
イベンターも、こんなことが流行ることを怖がってます」と…

まあ、その1回だけで何事もなく済んだから
「伝説」の一つになってるんでしょうけど
今だったら、当時以上にパニックが起こる可能性が高いんじゃないかと…?

やはり、当時は甲斐さんも観客も電話をかけたファンも
若さゆえの無鉄砲さがあったような気がします
















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機関紙BEATNIKその12

2016-01-30 04:17:53 | 日記
さて、今回は「取材メモ」以外のその他モロモロです
例えば「甲斐バンド ALL ABOUT BEST10」という連載?
第1回では「うまいビールのベスト10」を

甲斐バンドのメンバー3人、佐藤英二さん、小林よしのりさん、田家秀樹さん、
井出情児さん、佐藤剛さん、東芝EMIのディレクター・米田恵一さん
ファイアーハウス・樺山成人さんの10名が
選考委員として、それぞれベスト3を選出

1位3点、2位2点、3位1点で集計した結果(総合点)と
その銘柄の推薦者が発表されてるんだけど
総合点と推薦人数から割り出した(笑)甲斐さんのベスト3は
1位 サントリー純生(缶)、2位 COORS
3位 バドワイザー(米国発売のみ)で
ワースト1は「ここ3年間のキリン大瓶」なんだとか…(笑)

第2回は「延べ100日以上もレコーディング・スタジオに入っていた間
どんなものを食べていたのか?出前の一大調査を行ってみた」らしく(笑)

1位は、元禄弁当(海老フライ、巻カツ、焼魚、厚焼玉子、筑前煮) 780円
勝因は内容のバラエティーさか?
それともやはり「筑前煮」かな?(笑)

2位 牛肉旨煮かけ御飯 600円、3位 レバニラ炒めライス 800円
洋食弁当 800円、カレー南蛮 450円とガッツリ系メニューが並び(笑)

6位の牛肉旨煮かけ御飯 600円は、2位とは違うお店のもの(笑)
以下、カレーライス、冷麦、中華弁当、ヒレカツ弁当で
「早ければ夜中、遅くなると翌朝に終わる」レコーディングを
乗り切っておられたみたいです

読者から寄せられた「マイ・コレクション」のコーナーでは
甲斐バンドの新聞や雑誌の切り抜きが掲載され
「その時は読み捨ての対象でしかないのだけど
しばらくたって読み直したりすると
その時その時の現在がキチンと残されていて貴重な記録になっていく

甲斐バンドは特にそんな現在(いま)を鮮烈に持っているバンドだから
こうして切り抜きを改めて見てみると
マスコミの中でどう見られていたのかがよく判って面白い」
…と書かれてるんですが、正にこのブログでは
奧さんの記憶と共に貴重な資料として活躍してくれてます(笑)

「やはりHEROの前と後で扱い方がガラリと変わっており
以前は、ロックゲリラみたいな扱いが多く
記事の内容もグループ紹介風な書き方が目立つ」

「朝、ちゃんと新聞読むような人が好きなのね
奥サンの座に甘んじそうな人っているでしょ?そういうの得意じゃない
(1976年6月甲斐よしひろの言葉)
なんていうインタビューが載ってたりする
初恋談義や趣味の話などもフランクな形で載っている」

「HERO前の記事には、五業昌晶(佐藤剛のペンネーム)という名前の記事が多い
なぜ彼が甲斐バンドと共にいるのか
その頃の彼の原稿が物語っている」

「後になって集めようったってナカナカ難しい、現在の集大成なのだから
一度まとめて本にしたら面白いだろうと思うのだ」と結ばれてるんだけど
「かさぶた」の「甲斐発言集」で、その一部が紹介されてますよね♪

「セイヤングの生歌コーナー」を録音したカセットテープも
「マイ・コレクション」に投稿されていて
「毎回1曲、調子のいい時は2曲
マイクの前でギター1本で歌っていた」との注釈の後

76年12月20日神田共立講堂ライブの「銀座カンカン娘」
甲斐さんが喋ってる隣で頷いてるのが
この日のゲスト・富澤一誠…とか

「花の首飾り」…ゲスト、ギター大森信和、コーラス松藤英男・長岡和弘
(でも、よく声が聞こえない。殆ど松藤くんのコーラス)…とか(笑)

「電話でキッス」…コーラス甲斐バンド
甲斐さんが歌詞を間違い「違う!」と叫ぶ…など(笑)
聴けないながらも、その状況が目に浮かんでニヤリとしてしまいます(笑)

長岡さんとイチローさんがコーラスなさった曲は
「正しいタイトルは知りません」となってますが
かつて甲斐バンドお喋りNo.1の座に輝いた(笑)
お二人がご出演って…さぞかし賑やかだったでしょうね?(笑)

ただ、編集部のコメントに
「生放送だから、歌詞を忘れたり間違えたりしてるところが面白い
でも、甲斐よしひろってこんなにギター弾けたんだね」と記されてるのは
当時もう「シールド繋がってない説」が蔓延してたってこと?(笑)

ともあれ「切り抜き」もそうだけど
BEATNIK編集部の吉田昌佐美さんの「チケット」コレクションにも
見覚えのあるものがいっぱい(笑)

でも、奧さんには参戦できなかった東京近郊の会場や
学園祭のチケットの写真に添えられたキャプションは興味深いです♪

例えば、76年11月4日相模女子大学祭は
「体育館ではなく、314教室
メンバーは黒板を背に、私達は机を前にしてのコンサート(…スゴイ!笑)
この異様な光景と、男と女のいる舗道がナゼかしっくりしていた」

77年8月31日相模原市民会館は
「今では考えられないほど、気軽な感じのコンサート
甲斐さんのMCも心持ちお笑い的(…今や完成形?笑)
演奏はノリノリ、床が10cm下がったほど…」

77年11月15日川崎産業文化会館は
「甲斐よしひろがメチャクチャかっこよかったコンサート
あまりの美しさに失神者続出、救急車が2台やって来た
白い衣装に派手めメイク、ソフトパーマで正に美少年って感じ」
…ジュリーに似てるって言われてた頃でしょうか?

77年12月4日サンプラザ
「1枚目のライブLPを作るため
4時からスタートの内容の濃~いコンサート
エンディングのスモークもくもく
花吹雪は半端じゃなくストーンズ」

78年3月16日郵便貯金、5月3日渋公
「ライブLPが発売されて、俄然ファンが増えた
この頃のステージは、インストを必ず1曲演奏、大森さんがんばる」

78年10月10日駒沢大学
「入手の難しい学園祭もの
この日もチケットのない人が溢れに溢れ、おまけに雨…
でも、開演したらもう同じ。席なんて関係なかった(笑)」

78年11月11日横浜文化体育館
(ふきのとう、ばんばひろふみ…の名前も)
「制服を着たまま直行、1階席はとりあえず、2階3階がガラガラ
後ろで風が吹いてるよと悔しそうに言った」

79年3月29~31日新宿厚年
「果たして3回も見るべきなのかと思いつつ、結局見てしまった(笑)
でも、同じ曲でも3日間とも全く違っていた
あっ、調子良さそうとか、昨日よりノッてるとかヒシヒシ感じる」

80年7月1日横浜文化体育館
「2年前、今度ここでやる時は
一杯にしてやると言った言葉通り、ほぼ満員」

81年12月20日武道館
「甲斐よしひろが怒っていた
マイクが宙を舞い、何かズレているって感じ」
81年12月21日武道館
「前日とは裏腹にビシッと決まってた」

…と記されてますが、やはりライブはナマモノ
その時その時に足を運んでないと
「悔やんでも悔やみ切れない」という奧さんの言葉を思い出しました(笑)

余談ですが、吉田さんいわく…
コレクションという言葉は好きじゃないのね
そのために集めたみたいに聞こえるもん

コレクターって、終わってしまった過去のモノを集めてるような気がして…
私のは今もずっと同時進行なんだし
体験と感動の積み重なりがこのチケットです

枚数や回数を競い合うことが目的じゃないよ
でも、ここには嘘のカケラもないです
まだまだ増えます

「関西でのコンサートを見たことがない」とおっしゃる吉田さんが
奧さんと知り合いだったら…と考えるだけで…以下省略(笑)




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