ボクの奥さん

ボクの奥さんは、甲斐よしひろさんの大ファン。そんな彼女との生活をお話したいと思います。

機関紙BEATNIKその12

2016-01-30 04:17:53 | 日記
さて、今回は「取材メモ」以外のその他モロモロです
例えば「甲斐バンド ALL ABOUT BEST10」という連載?
第1回では「うまいビールのベスト10」を

甲斐バンドのメンバー3人、佐藤英二さん、小林よしのりさん、田家秀樹さん、
井出情児さん、佐藤剛さん、東芝EMIのディレクター・米田恵一さん
ファイアーハウス・樺山成人さんの10名が
選考委員として、それぞれベスト3を選出

1位3点、2位2点、3位1点で集計した結果(総合点)と
その銘柄の推薦者が発表されてるんだけど
総合点と推薦人数から割り出した(笑)甲斐さんのベスト3は
1位 サントリー純生(缶)、2位 COORS
3位 バドワイザー(米国発売のみ)で
ワースト1は「ここ3年間のキリン大瓶」なんだとか…(笑)

第2回は「延べ100日以上もレコーディング・スタジオに入っていた間
どんなものを食べていたのか?出前の一大調査を行ってみた」らしく(笑)

1位は、元禄弁当(海老フライ、巻カツ、焼魚、厚焼玉子、筑前煮) 780円
勝因は内容のバラエティーさか?
それともやはり「筑前煮」かな?(笑)

2位 牛肉旨煮かけ御飯 600円、3位 レバニラ炒めライス 800円
洋食弁当 800円、カレー南蛮 450円とガッツリ系メニューが並び(笑)

6位の牛肉旨煮かけ御飯 600円は、2位とは違うお店のもの(笑)
以下、カレーライス、冷麦、中華弁当、ヒレカツ弁当で
「早ければ夜中、遅くなると翌朝に終わる」レコーディングを
乗り切っておられたみたいです

読者から寄せられた「マイ・コレクション」のコーナーでは
甲斐バンドの新聞や雑誌の切り抜きが掲載され
「その時は読み捨ての対象でしかないのだけど
しばらくたって読み直したりすると
その時その時の現在がキチンと残されていて貴重な記録になっていく

甲斐バンドは特にそんな現在(いま)を鮮烈に持っているバンドだから
こうして切り抜きを改めて見てみると
マスコミの中でどう見られていたのかがよく判って面白い」
…と書かれてるんですが、正にこのブログでは
奧さんの記憶と共に貴重な資料として活躍してくれてます(笑)

「やはりHEROの前と後で扱い方がガラリと変わっており
以前は、ロックゲリラみたいな扱いが多く
記事の内容もグループ紹介風な書き方が目立つ」

「朝、ちゃんと新聞読むような人が好きなのね
奥サンの座に甘んじそうな人っているでしょ?そういうの得意じゃない
(1976年6月甲斐よしひろの言葉)
なんていうインタビューが載ってたりする
初恋談義や趣味の話などもフランクな形で載っている」

「HERO前の記事には、五業昌晶(佐藤剛のペンネーム)という名前の記事が多い
なぜ彼が甲斐バンドと共にいるのか
その頃の彼の原稿が物語っている」

「後になって集めようったってナカナカ難しい、現在の集大成なのだから
一度まとめて本にしたら面白いだろうと思うのだ」と結ばれてるんだけど
「かさぶた」の「甲斐発言集」で、その一部が紹介されてますよね♪

「セイヤングの生歌コーナー」を録音したカセットテープも
「マイ・コレクション」に投稿されていて
「毎回1曲、調子のいい時は2曲
マイクの前でギター1本で歌っていた」との注釈の後

76年12月20日神田共立講堂ライブの「銀座カンカン娘」
甲斐さんが喋ってる隣で頷いてるのが
この日のゲスト・富澤一誠…とか

「花の首飾り」…ゲスト、ギター大森信和、コーラス松藤英男・長岡和弘
(でも、よく声が聞こえない。殆ど松藤くんのコーラス)…とか(笑)

「電話でキッス」…コーラス甲斐バンド
甲斐さんが歌詞を間違い「違う!」と叫ぶ…など(笑)
聴けないながらも、その状況が目に浮かんでニヤリとしてしまいます(笑)

長岡さんとイチローさんがコーラスなさった曲は
「正しいタイトルは知りません」となってますが
かつて甲斐バンドお喋りNo.1の座に輝いた(笑)
お二人がご出演って…さぞかし賑やかだったでしょうね?(笑)

ただ、編集部のコメントに
「生放送だから、歌詞を忘れたり間違えたりしてるところが面白い
でも、甲斐よしひろってこんなにギター弾けたんだね」と記されてるのは
当時もう「シールド繋がってない説」が蔓延してたってこと?(笑)

ともあれ「切り抜き」もそうだけど
BEATNIK編集部の吉田昌佐美さんの「チケット」コレクションにも
見覚えのあるものがいっぱい(笑)

でも、奧さんには参戦できなかった東京近郊の会場や
学園祭のチケットの写真に添えられたキャプションは興味深いです♪

例えば、76年11月4日相模女子大学祭は
「体育館ではなく、314教室
メンバーは黒板を背に、私達は机を前にしてのコンサート(…スゴイ!笑)
この異様な光景と、男と女のいる舗道がナゼかしっくりしていた」

77年8月31日相模原市民会館は
「今では考えられないほど、気軽な感じのコンサート
甲斐さんのMCも心持ちお笑い的(…今や完成形?笑)
演奏はノリノリ、床が10cm下がったほど…」

77年11月15日川崎産業文化会館は
「甲斐よしひろがメチャクチャかっこよかったコンサート
あまりの美しさに失神者続出、救急車が2台やって来た
白い衣装に派手めメイク、ソフトパーマで正に美少年って感じ」
…ジュリーに似てるって言われてた頃でしょうか?

77年12月4日サンプラザ
「1枚目のライブLPを作るため
4時からスタートの内容の濃~いコンサート
エンディングのスモークもくもく
花吹雪は半端じゃなくストーンズ」

78年3月16日郵便貯金、5月3日渋公
「ライブLPが発売されて、俄然ファンが増えた
この頃のステージは、インストを必ず1曲演奏、大森さんがんばる」

78年10月10日駒沢大学
「入手の難しい学園祭もの
この日もチケットのない人が溢れに溢れ、おまけに雨…
でも、開演したらもう同じ。席なんて関係なかった(笑)」

78年11月11日横浜文化体育館
(ふきのとう、ばんばひろふみ…の名前も)
「制服を着たまま直行、1階席はとりあえず、2階3階がガラガラ
後ろで風が吹いてるよと悔しそうに言った」

79年3月29~31日新宿厚年
「果たして3回も見るべきなのかと思いつつ、結局見てしまった(笑)
でも、同じ曲でも3日間とも全く違っていた
あっ、調子良さそうとか、昨日よりノッてるとかヒシヒシ感じる」

80年7月1日横浜文化体育館
「2年前、今度ここでやる時は
一杯にしてやると言った言葉通り、ほぼ満員」

81年12月20日武道館
「甲斐よしひろが怒っていた
マイクが宙を舞い、何かズレているって感じ」
81年12月21日武道館
「前日とは裏腹にビシッと決まってた」

…と記されてますが、やはりライブはナマモノ
その時その時に足を運んでないと
「悔やんでも悔やみ切れない」という奧さんの言葉を思い出しました(笑)

余談ですが、吉田さんいわく…
コレクションという言葉は好きじゃないのね
そのために集めたみたいに聞こえるもん

コレクターって、終わってしまった過去のモノを集めてるような気がして…
私のは今もずっと同時進行なんだし
体験と感動の積み重なりがこのチケットです

枚数や回数を競い合うことが目的じゃないよ
でも、ここには嘘のカケラもないです
まだまだ増えます

「関西でのコンサートを見たことがない」とおっしゃる吉田さんが
奧さんと知り合いだったら…と考えるだけで…以下省略(笑)




コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 機関紙BEATNIKその11 | トップ | 機関紙BEATNIKその13 »

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。