ボクの奥さん

ボクの奥さんは、甲斐よしひろさんの大ファン。そんな彼女との生活をお話したいと思います。

機関紙BEATNIKその11

2016-01-29 14:37:15 | 日記
さて、予想通りダラダラになっておりますが(苦笑)
「甲斐バンド ライブスケジュール」の取材メモについては
今回で終了です…たぶん(笑)

1981年9月13日花園ラグビー場は
「2万人の暴動寸前イベント
大阪のホテルが、甲子園球場のカリフォルニア・ジャムのアーティストと一緒
向こうの動員は1万人弱だった」と書かれていて

「甲斐バンドがウェストコーストに勝った」って報道もあったようだけど
我が家にあるサンスポの記事には
「ロックにどっと2万1千人」
「殺到…失神、泣き出すギャル」
「あわやケガ人も」との見出しが…(苦笑)

「21,000人のファンが名残の夏に大フィーバーした
スペシャルライブ'81と題したこの野外コンサート…」という概要に続き

「激しいサウンドを身上とするロックと
同じくスポーツの中で最もハードなラグビー
そのラグビー場で、国内No.1の観客動員数を誇る人気ロックグループ
甲斐バンドがコンサートを開くとなると、いやが応でも盛り上がる
高校生を中心に男女 四対六の割合で
開演前の午後四時には、近鉄東花園駅まで続く長蛇の列が出来た」

「予定より約一時間遅れた午後六時
ブルーのセーターに黒のスリムパンツ姿のリーダー
甲斐よしひろがステージに登場すると観客は総立ち
オープニング「破れたハートを売り物に」が始まると
客席からはビニールの座ぶとんやトイレットペーパーが乱れ飛び
2曲目の「翼あるもの」でセキを切ったように
約一万人のファンがステージ近くに波のように押し寄せた」

「そのため、あまりの力に押しつぶされそうになり
泣き出した女子中高生らが続々と係員に救出された
中には、ブラウスの前がハダけ、手で押さえながら出て来る中学生も…
失神者も出て救護テントに収容、手当てを受けた
コンサート終了後の午後八時すぎ
会場の芝生の上には、片方ずつのカカトの高いサンダルがゴロゴロしていた」

…というかなり詳細な記事とステージ上で撮られたらしき
「スタンドマイクを持って歌いながら下手に向かっている?甲斐さん」と
その下方に「両手で耳を塞いだ2人のお巡りさん」の2枚の写真が掲載され

それぞれに「ステージに押し寄せるファン
最前列では係員が人波をガードするのに汗だくだった」

「強烈なロックビートに、警備のお巡りさんは耳を塞いで
もう、たまらん(笑)」というキャプションが添えられてます

以前に書かせて頂きましたが、奧さんから聴いた花園ライブの様子が忠実に…
「21,000人」「フィーバー」や「ギャル」
「(ビニールの)座ぶとん」へのツッコミはさておき(笑)…

「(翼あるもので)約一万人が押し寄せ」「救出され」「手当てを受けた」
「片方ずつの靴がゴロゴロ」などは
正にあの日、いきなり背中に「突進」された奧さん達の言葉を裏付けてます

ただ、機関紙のセトリには
当日予定されていた「きんぽうげ」がそのまま載っていて
甲斐さんが「今夜かぎりね」って歌詞は歌いたくないと
この日2回目の「翼あるもの」に変更なさったことは書かれてません(笑)

ともあれ、その5日後の9月18日新宿厚年は
「1週間前に新聞で突然告知された
1曲目が衝撃の100万$だった」と記され
その秋のツアーは、ほぼ全部この曲で始まったみたいですが

12月20~21日の武道館の初日は
オープニングが「破れた…」で「100万$」はアンコールの1曲目に
2日目は「100万$」から「破れた」で始まり
アンコール1曲目で再び「破れた…」が歌われ、1曲お得になってます(笑)

取材メモに「会場の状態で、これ程にステージが違うのかを
見せつけられた2日間だった」と書かれてる通り
甲斐さんご自身も2日目のステージで
「昨日来た人に言っといて、甲斐が謝ってたって」とおっしゃったんだとか…
やはりステージは「ナマモノ」なんですねぇ

1982年6月17日の品川プリンス・ゴールド・ホールは
「画期的イスなしコンサート
グレン・ミラーはこのツアーで」

7月5日堺市民会館は
「爆破予告電話でコンサート一時中断のハプニング」

そして、12月2日武道館
「'83年の予定…いいモノを創る時間をくれよ…が
すべてを物語っていた」で、当時の「現在」に追いついたみたいです

























コメント
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