以前にも、日本語は聞き手の理解力に支えられている
曖昧な表現が多い言葉だと書かせて頂きましたが
世の中には、繊細な部分に気がつく方がいらっしゃるんだなあと
最近とみに感じたことを幾つかご紹介します
まず、新聞紙上で使われる数字について…
洋数字と漢数字には、どういう使い分けがされているのか?
…って、疑問に思うことなく読んでいたもので
理由を訊ねられるとよくワカリマセン(苦笑)
我が家の購読紙では、大まかに言うと…
数量など変化するものは洋数字
変わらないものは漢数字で表記されているらしい
日付は『1日、2日…』と変わるので洋数字
『一日中』は『二日中』とはならないので漢数字
『一匹狼』や『一を聞いて十を知る』などの
慣用句やことわざに出て来る数字も漢数字が使われてるそうだけど
囲碁・将棋の段位や歌舞伎・落語などの『三代目〇〇』のように
変わり得るものでも漢数字を使う場合があるんだとか…
『一人前の料理人』と『料理1人前』なんて
注意していないと気づきませんよねぇ(笑)
同じく新聞紙上の表記で『足の人さし指』は如何なものか?との質問(笑)
確かに、足の指で人を指したりはしませんが(笑)
『足の第2指』や『足の親指の隣の指』よりも
『足の人さし指』の方が判りやすいでしょう(笑)
広辞苑では、人さし指を『手の』と限定していたのが
2010年から『足の場合はその位置から足の人さし指という』になったらしい
余談ですが…伊東ゆかりさんの【小指の思い出】について
かの人生幸朗師匠が『あなたが噛んだ小指が痛い』
『…って、誰に噛まれても痛いわい!』(笑)とツッコんでおられたけど
上岡龍太郎さんは『手の小指とは限らん』と…(笑)
それはさておき、よく似た表現でも
使い方やニュアンスの違う言葉を並べてみると…
『ふくらむ』と『ふくれる』は
内側から外側へ盛り上がるように大きくなるという意味で使われますが
『ふくらむ』は『パンがふくらむ』みたいに
全体的な膨張を連想させるのに対して
『ふくれる』は、餅を焼いた時に一部分だけが飛び出すような
バランスの悪い膨張にピッタリするという
『うるさい』と『やかましい』は
耳障りな音や声が聞こえてイライラする場合に使われますが
『やかましい』の方が、音量が大きくて
迷惑の度合いも大きい感じを受ける
『前髪が目にかかって、うるさい』のように
音と無関係に神経に障る場合は
『やかましい』に置き換えられない
また『味にうるさい』や『うるさく注文をつける』などは
『やかましい』を使うと言い方がキツくなり
『礼儀に』『門限に』『しつけに』の後につける場合
『うるさい』は、細かい点を再三注意するイメージで
『やかましい』は、注意の回数よりも
厳格さに重点がある感じがするらしい
『一瞬』と言われれば『思う』
『じっくり』と来れば『考える』と続くように
『思う』は心に瞬間的に浮かぶ情緒的な判断をさし
『考える』は頭である時間をかけて行う理知的な思考をさすそうだ
『不安に思ったが、暫く考えた後で…』という風に
『思う』と『考える』が続けて登場した場合
それぞれを置き換えることは出来ない
『思い』と『考え』を比べると
『思い』が心に瞬間的に浮かんで来る希望から決意までの
主観的な思い入れであるのに対し
『考え』はそれを具体化する段階の思考内容なんだとか…
個人的には『思い』が『想い』になると
瞬間的というより、もっと長く、深いものになるような気がします(笑)
『ふれる』と『さわる』も接触という意味では同じですが
『外気にふれる』『人の目にふれる』『怒りにふれる』
『法にふれる』『核心にふれる』など対象が人間に限らず
物や抽象概念にも使われます
一方の『さわる』は、接触する主体が人間(動物)に限られ
現象、感情、雰囲気みたいな抽象的な存在はもちろん
物と物との接触にも使えず
人間が目的を持って、手や指の腹で
対象に接触するのが典型的な用法だそうだ
確かに、痴漢は『さわる』だけど(笑)
『ふれる』だと偶然、接触してしまった…ように感じます(笑)
『さわるな!』というのと『(お手を)触れないで下さい』という注意書きでは
前者は手で、後者は手以外のものでも
接触しないように促すものらしい
甲斐バンドの【感触】に出て来る
『その手で俺を確かめてくれ』という歌詞は『さわる』(笑)ですが
【ビューティフル・エネルギー】の『微かにふっと頬に…』で『ふれる』のは
指か?唇か?悩ましいところです(笑)
曖昧な表現が多い言葉だと書かせて頂きましたが
世の中には、繊細な部分に気がつく方がいらっしゃるんだなあと
最近とみに感じたことを幾つかご紹介します
まず、新聞紙上で使われる数字について…
洋数字と漢数字には、どういう使い分けがされているのか?
…って、疑問に思うことなく読んでいたもので
理由を訊ねられるとよくワカリマセン(苦笑)
我が家の購読紙では、大まかに言うと…
数量など変化するものは洋数字
変わらないものは漢数字で表記されているらしい
日付は『1日、2日…』と変わるので洋数字
『一日中』は『二日中』とはならないので漢数字
『一匹狼』や『一を聞いて十を知る』などの
慣用句やことわざに出て来る数字も漢数字が使われてるそうだけど
囲碁・将棋の段位や歌舞伎・落語などの『三代目〇〇』のように
変わり得るものでも漢数字を使う場合があるんだとか…
『一人前の料理人』と『料理1人前』なんて
注意していないと気づきませんよねぇ(笑)
同じく新聞紙上の表記で『足の人さし指』は如何なものか?との質問(笑)
確かに、足の指で人を指したりはしませんが(笑)
『足の第2指』や『足の親指の隣の指』よりも
『足の人さし指』の方が判りやすいでしょう(笑)
広辞苑では、人さし指を『手の』と限定していたのが
2010年から『足の場合はその位置から足の人さし指という』になったらしい
余談ですが…伊東ゆかりさんの【小指の思い出】について
かの人生幸朗師匠が『あなたが噛んだ小指が痛い』
『…って、誰に噛まれても痛いわい!』(笑)とツッコんでおられたけど
上岡龍太郎さんは『手の小指とは限らん』と…(笑)
それはさておき、よく似た表現でも
使い方やニュアンスの違う言葉を並べてみると…
『ふくらむ』と『ふくれる』は
内側から外側へ盛り上がるように大きくなるという意味で使われますが
『ふくらむ』は『パンがふくらむ』みたいに
全体的な膨張を連想させるのに対して
『ふくれる』は、餅を焼いた時に一部分だけが飛び出すような
バランスの悪い膨張にピッタリするという
『うるさい』と『やかましい』は
耳障りな音や声が聞こえてイライラする場合に使われますが
『やかましい』の方が、音量が大きくて
迷惑の度合いも大きい感じを受ける
『前髪が目にかかって、うるさい』のように
音と無関係に神経に障る場合は
『やかましい』に置き換えられない
また『味にうるさい』や『うるさく注文をつける』などは
『やかましい』を使うと言い方がキツくなり
『礼儀に』『門限に』『しつけに』の後につける場合
『うるさい』は、細かい点を再三注意するイメージで
『やかましい』は、注意の回数よりも
厳格さに重点がある感じがするらしい
『一瞬』と言われれば『思う』
『じっくり』と来れば『考える』と続くように
『思う』は心に瞬間的に浮かぶ情緒的な判断をさし
『考える』は頭である時間をかけて行う理知的な思考をさすそうだ
『不安に思ったが、暫く考えた後で…』という風に
『思う』と『考える』が続けて登場した場合
それぞれを置き換えることは出来ない
『思い』と『考え』を比べると
『思い』が心に瞬間的に浮かんで来る希望から決意までの
主観的な思い入れであるのに対し
『考え』はそれを具体化する段階の思考内容なんだとか…
個人的には『思い』が『想い』になると
瞬間的というより、もっと長く、深いものになるような気がします(笑)
『ふれる』と『さわる』も接触という意味では同じですが
『外気にふれる』『人の目にふれる』『怒りにふれる』
『法にふれる』『核心にふれる』など対象が人間に限らず
物や抽象概念にも使われます
一方の『さわる』は、接触する主体が人間(動物)に限られ
現象、感情、雰囲気みたいな抽象的な存在はもちろん
物と物との接触にも使えず
人間が目的を持って、手や指の腹で
対象に接触するのが典型的な用法だそうだ
確かに、痴漢は『さわる』だけど(笑)
『ふれる』だと偶然、接触してしまった…ように感じます(笑)
『さわるな!』というのと『(お手を)触れないで下さい』という注意書きでは
前者は手で、後者は手以外のものでも
接触しないように促すものらしい
甲斐バンドの【感触】に出て来る
『その手で俺を確かめてくれ』という歌詞は『さわる』(笑)ですが
【ビューティフル・エネルギー】の『微かにふっと頬に…』で『ふれる』のは
指か?唇か?悩ましいところです(笑)