スズノブでは、玄米を店頭に並べる前に、全て玄米色彩選別機を通して、無視に食べられた玄米、活き青米や未成熟の玄米を除去している。
活き青米については、1割程度入れるべきという考え方が産地側には、まだあったりしているが、今の炊飯器でお米を炊く場合には、この活き青米が、炊きあがりを悪くしてしまうことから、自分の店では、ほとんど除去してしまうのだ。
炊きあがりを悪くするとはどういう事かというと、活き青米が入っていると、炊いている時の香りが出たりするし、炊きは上がりは、やや柔らかめとなる。
ところが今の炊飯器には、蒸気レスというタイプがある、この炊飯器は、炊いている時に蒸気が出ない。
蒸気が出ないという事は、炊いている時の香りはいらないという事。
よって、活き青米を入れておく意味は無いのだ。
さらに、活き青米が入っていると、炊きあがりは柔らかくなる。
活き青米の程度にもよるのだが、青ければ青いだけ、炊きあがりは柔らかいというよりも、水っぽくなってしまったり、ペタッとしてしまったりする。
しかし、全てが活き青米というお米は滅多になく、ほとんどが完熟している米粒の中に、活き青米が混ざっている状態となっている。
それを炊いたとしたら、多分ムラになって炊きあがるという事は、誰でも想像できる事であろう。
お釜の中で、上と下の食感が違うという理由の一つに、この活き青米もあるのだ。
圧力式の炊飯器や、高性能の炊飯器ほど、米粒の形も、大きさも、出来栄えも、全てが揃っている必要がある。
よって、この活き青米が入っていれば入ってるだけ、お米の美味しさが出ないという事実もある。
今の若者は、モチモチ感は好きであるが、柔らかいだけ、ペタッとする感じは苦手という人が多い。
お米の美味しさも、活き青米によって、判りにくくなってしまっている。
よって、お米の特徴や美味しさを、消費者にストレートに判ってもらうためには、活き青米が無い方が良いというのが、自分の結論である。
まえがきが思いっきり長くなってしまったが、下の画像が、高知県南国市の新米「南国そだち」を、玄米色彩選別機にかけた結果である。
お見事なほどに、青いお米が選別されていることが判ると思う。
こうやって見せてしまうと、大量に青いお米が出ているように見えてしまうが、現実は、このお皿に乗っている程度しか無い。
つまり、ほとんどが自分が望んていた、稲刈り時期をシッカリと守った完熟タイプ。
だからこそ、これだけ綺麗に選別できるのだ。
当然「南国そだち」の出来は良かった。
炊きあがりの見栄えは白く、米粒感も粘り具合も、極早生とは思えない出来であった。
「南国そだち」については、ここまで来るのに3年間を費やしてしまったが、それだけの価値はあったのかもしれない。
活き青米については、1割程度入れるべきという考え方が産地側には、まだあったりしているが、今の炊飯器でお米を炊く場合には、この活き青米が、炊きあがりを悪くしてしまうことから、自分の店では、ほとんど除去してしまうのだ。
炊きあがりを悪くするとはどういう事かというと、活き青米が入っていると、炊いている時の香りが出たりするし、炊きは上がりは、やや柔らかめとなる。
ところが今の炊飯器には、蒸気レスというタイプがある、この炊飯器は、炊いている時に蒸気が出ない。
蒸気が出ないという事は、炊いている時の香りはいらないという事。
よって、活き青米を入れておく意味は無いのだ。
さらに、活き青米が入っていると、炊きあがりは柔らかくなる。
活き青米の程度にもよるのだが、青ければ青いだけ、炊きあがりは柔らかいというよりも、水っぽくなってしまったり、ペタッとしてしまったりする。
しかし、全てが活き青米というお米は滅多になく、ほとんどが完熟している米粒の中に、活き青米が混ざっている状態となっている。
それを炊いたとしたら、多分ムラになって炊きあがるという事は、誰でも想像できる事であろう。
お釜の中で、上と下の食感が違うという理由の一つに、この活き青米もあるのだ。
圧力式の炊飯器や、高性能の炊飯器ほど、米粒の形も、大きさも、出来栄えも、全てが揃っている必要がある。
よって、この活き青米が入っていれば入ってるだけ、お米の美味しさが出ないという事実もある。
今の若者は、モチモチ感は好きであるが、柔らかいだけ、ペタッとする感じは苦手という人が多い。
お米の美味しさも、活き青米によって、判りにくくなってしまっている。
よって、お米の特徴や美味しさを、消費者にストレートに判ってもらうためには、活き青米が無い方が良いというのが、自分の結論である。
まえがきが思いっきり長くなってしまったが、下の画像が、高知県南国市の新米「南国そだち」を、玄米色彩選別機にかけた結果である。
お見事なほどに、青いお米が選別されていることが判ると思う。
こうやって見せてしまうと、大量に青いお米が出ているように見えてしまうが、現実は、このお皿に乗っている程度しか無い。
つまり、ほとんどが自分が望んていた、稲刈り時期をシッカリと守った完熟タイプ。
だからこそ、これだけ綺麗に選別できるのだ。
当然「南国そだち」の出来は良かった。
炊きあがりの見栄えは白く、米粒感も粘り具合も、極早生とは思えない出来であった。
「南国そだち」については、ここまで来るのに3年間を費やしてしまったが、それだけの価値はあったのかもしれない。
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